イケメンを被る吹奏楽部顧問

 校庭からサッカー部の大きな声とボールを蹴る音が聞こえていた。今、放課後なんだなと思わせるような喧騒とした空間だった。


「なんだか不思議ね」


 隣を歩く七瀬さんの声は、どこか寂しそうだった。


「何がさ」


「この前までは冬だったのに、もう夏なんだもの」


「なんだよそれ」


 取り留めもない空間で取り留めもないことを言うもんだと思って、俺は笑った。


「何かあったの?」


「うん。色々とね」


「そう」


「……何があったかは聞かないんだ」


「聞いても答えないだろう」


 呆れたようにそう言うと、七瀬さんは目を丸めていた。多分どうしてわかったのだと言いたい顔だ。

 だけど、さすがにね。夢の中での時間も数えれば……えぇと、ひいふうみい。そうか、七瀬さんとの付き合いも、もう十年以上にもなるのか。


「どうしたのよ。悩んだ顔をして」


「よくわかったね」


 そんなに悩んだ顔をしたつもりなかったのに。

 でもさ。だってそりゃあ、悩むだろう。

 今更ながら、タイムスリップをして、未来が変わればその証拠の夢を見て、どうして俺は今、こんなにも恵まれた環境で生活をしているのだろう。


 最早人の域を超えた現状に、悩まない方がおかしいだろう。


 いつかも思ったが、どうして俺に今、このタイムスリップは巡ってきたのだろう。どれだけ考えても答えは出ない。無駄だとはわかっているのに、ついつい考えてしまう。


「とりあえず、これからは悩まないでよ?」


 そんなきりのないことを考えている内に、俺達は職員室に辿り着いていた。

 黙って七瀬さんと頷き合って、俺達は職員室に入っていった。


「失礼します」


「はいはい。どうしたの」


 声を出すと、近場にいた先生が興味もなさげに聞いてきた。


「鳳先生いますか?」


「……えぇと、ああ、鳳先生!」


「はい」


 扉から一番遠い席にいた男性が少し驚いたように声を上げた。


「……おおっ」


 顔を上げた男性の顔を見て、俺は思わず声を上げてしまった。


 先ほど清水先輩に鳳先生がイケメンだとかなるほど。今俺達に近寄ってくる男性は、確かにイケメンだ。まあ顔立ちから見れば、オリーブ顔というよりは砂糖顔だろうか。


 ……いやそれ、どんな顔だよ。


「えぇと、どうかしましたか?」


 鳳先生は俺達の顔を見て、少しだけ戸惑ったように声をかけた。多分、見知らぬ生徒に突然呼び出されたからだろう。


「はい。実は鳳先生に相談がありまして」


 そう言って、俺は応接室の方を指さした。


「今から時間、ありますか?」


「……どういった用件で?」


「吹奏楽部の件です」


「ああ、なるほど。それならわかりました」


 もっと深く色々言われるかと思ったが、鳳先生は意外にもさっさと快諾してくれた。


「先に応接室に入っていてください。粗茶ですが準備しましょう」


「ああいや、お構いなく」


「いいんですよ。たまに来た来客からお土産でもらっては腐らせているんです。ですから、気にする必要はありません」


 おいおい、気遣いまで出来てイケメンかよ。


「さ、どうぞ先に入っていてください」


 更には完全に足が止まった俺達を促してきて、これじゃあまるでイケメンだよ。


 促されるまま、俺達は応接室に入室した。手前のソファに並んで座ると、丁度よく鳳先生も入室してきた。


「お湯が沸くまで、もう少々お待ちください」


 と思ったら、すぐに出て行った。


「まさか、あれを言うためだけに?」


「なんてイケメンなんだ……」


 しばらくして、鳳先生は湯飲みを三つ乗せたお盆を持って入ってきた。


「く、配ります」


「いいんですよ。君達はお客さんですから」


 年上でありながら率先して湯飲みを配るだなんて、なんてイケメンなんだ……。


「あ、茶柱立ってますね。それも二つも。これは君達が飲んでください」


 茶柱を立てるだなんて、なんてイケメンなんだ……。


「あちっ」


「あ、少し熱かったですか? お水入れますか?」


 少し熱めのお茶を入れるだなんて、なんてイケメンなんだ……。


 くそう。悔しい。

 こんなイケメンに、俺は勝てるのだろうか?


 いいや、諦めちゃ駄目だ。駄目なんだ。


 諦めなければ、この非の打ちどころもないイケメンでもきっと倒せるに違いない。


「さて、そろそろ本題に入りたい頃かと思いますが、その前に一ついいですか?」


「はい? なんでしょう」


「出来れば今後は、事前に連絡してから私を訪ねて頂きたい」


 ……フ。


 フハハ。フハハハハ。見たことか。

 この男、あろうことか非礼を働いた俺達を叱ろうとしているぞ。


 所詮こいつもこの程度。


 所詮こいつも、イケメンの皮を被っただけのただのイケメンなんだよ!


 見てろよ。これから目に物見せてやるよ!



「私を訪ねてきてくれたことはとても嬉しいんです。私は教師としてまだまだ青二才な身ですから」



 ……ん?



「だからこそね。そんな私をわざわざ訪ねてきてくれた君達を、出来ればもっと良い形で出迎えたかった」



 オイオイオイ。



「今度は事前に連絡してください。そうすれば、菓子折りの一つでも用意しておきましょう」



 死ぬわ俺。



「他の子達には、内緒ですよ?」



 ほうただのイケメンですか。

 たいしたものですね。




「で、今日はどういったご用件でしょうか?」


 イケメンに打ちひしがれていると、鳳先生はようやく本題に入る気らしかった。



「えぇと、先ほども話しましたが、今日は吹奏楽部の件で相談にきました」



 ……それにしても、清水先輩も吹奏楽部の人も酷い奴らだ。


 こんな性格イケメンのただのイケメンを悪者みたいに言って。


 この人……いいや、このイケメンならば、キチンと話せば楽々話は通じるだろう。



「実は吹奏楽部の友達に、先生の指導方針に対する不満があるんだって相談されまして」


「ほう、そうですか?」


「はい。で、話を聞いてると、どうも先生の説明不足が原因で事が及んでいるようでして。いやあ、そんなことあるはずないだろって、僕は言ったんですけどね?

 どうもあまり信用されなくてですね。

 あんな素晴らしい先生が、そんなわけないから見てろって、息巻いてきたんですよ」


「そうでしたか」


「はい。でですね。まあそんなはずないって、僕は思っているし言っているのですが……それじゃあ納得しない人もどうしてもいる状況でして……。

 寛大な先生相手だから、ここは一つお願いしたいことがあるんです。


 ひいては吹奏楽部のためっ!


 ひいては先生のためなんですっ!」



「なるほど。なんでしょう?」



「先生、なんとかここは一つ……吹奏楽部の連中に一つ。寛大なお心でもう一度先生の指導方針の説明をしてあげてやれませんでしょうか?

 そうすれば、再び吹奏楽部は一つのベクトルへ向けて進めるようになると思うんです。


 いやあそんな。僕みたいなクソガキが言うまでもないと思うし、先生もわかっていると思うんですがね?


 僕としても一度息巻いた身なもので……一応、今回こうして直接言わせてもらう機会を作ってもらったわけですね。はい」


「なるほどなるほど。

 ……君、名前はなんと言いましたか? 今更で申し訳ないです」


「いえいえ、僕は古田と申します。こちらは七瀬さんです」


「そうですか。古田君に七瀬さん。あなた達がこうしてここに来てくれた理由、よくわかりましたよ」


「そうですか。良かったです」




「えぇ。それであなた方のお願いへの答えですが……駄目ですね」




「……何ですって?」


 俺は驚きのあまり、ちゃんと聞こえていたにも関わらず聞き返していた。


「だから、駄目だと言ったんです。あなた方のお願いを聞くわけにはいきません」


 俺は驚きのあまり何も言えず、隣に座っていた七瀬さんを呆然と見ていた。


 七瀬さんも同じように、驚いたように目を丸めていた。




 ……あれれぇ?


 もしかして、先生あんた……。




 猫を被るならぬ、イケメンを被ってました?

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