なぜなぜ分析

 所謂ガラケーで先日聞いた七瀬さんのメールアドレス宛に『今日は部活行けない』という旨のメールを送ると、怒り顔マークの顔文字だけのメールが彼女から返ってきた。

 七瀬さんは多分、今頃怒っているのだろう。何に対してか、と考えてみたが、部活をサボったこと、先ほどの須藤先生のロングホームルームでの呼び出しなど、思い当たる節がありすぎて、俺はすぐに頭が痛くなっていた。


 教室に辿り着くと、確かに綾部さんは自席で一人ノートに向かって頭を捻っていた。何に悩んでいるかは明白だったが、一つ違和感を覚えたことがあった。


 ああ、そうか。今日はいつもの騒がしい連中がいないのか。


「綾部さん、やってるかい」


 とりあえず、教室の外で傍観しているわけにもいかず、俺は彼女へ向けて声をかけた。


「えっ、古田? どうしたの、突然」


 綾部さんは驚きながら体を跳ねさせて、俺を見て慌てて言った。


「須藤先生に、君が面白そうなことをしているって聞いたんだ」


「ああ、そういうことか」


「そういうこと。進捗はどうだい」


 綾部さんに近づいて、彼女の前の席に腰を下ろしながら、俺は彼女が向き合っていたノートを覗いた。

 丸文字でなんて書いてあるかはわからないが、とにかく色々と考えている様子は、そのノートから見て取れた。


「アハハー。全然かな」


 綾部さんは頭を掻きながら、少し困ったように苦笑していた。


「そっか。いつもの皆はどうしたの。手伝ってもらえないの?」


「ううん。でも、頼るのも悪いかなって」


「そう」


 そんなこと気にしている場合でもない気がするんだけどな。何せ、もう納期は過ぎているんだし。


 まあいいか。その遅れの挽回のために、俺がこうして赴いたわけだし。


「先生に綾部さん手伝ってくれないかって言われてさ。ちょっとどんな感じか見せてくれない?」


 俺は下書き用であろうノートを指さしながら尋ねた。


「えぇ……? えぇと、ちょっと恥ずかしいから、出来れば勘弁してほしいかな……なんて」


 歯切れ悪く、やんわりと綾部さんは断ってきた。

 押せばなんとかなりそうだけど、どうにも調子が狂う。どうせなら頑なに否定してくれてもいいのに。


「綾部さん。先生からこの仕事をお願いされたのは、いつだい」


「……先月の半ば」


「え、結構前だね」


 思ったより前で、俺は目を丸めた。


「うぅぅ。言わないで」


 と言われても。


「綾部さん。その様子だと、先生にここまでにやってくれって言われた日、とっくに過ぎているんだろ」


「……はい」


「まずこれだけは言いたいんだけど。今の君みたいに文章の構成を考えて悩むのは、別に悪いことではないからね」


「え?」


「与えられた仕事を一人で悩みながらこなそうとすることは悪いことではないってこと。悩むことは、大事なことだ。

 百聞は一見に如かずって言うだろ?

 上司に言われた通りに仕事をする人は、いつまでたっても仕事を覚えられない。自分で悩んでやり方を考えないからだ。人は覚えることよりも、考えることで知識を身に付けていくんだよ。

 だから、今の君のように悩むことは悪いことじゃない。そうやって悩んだことは、いつか自分の能力へと変わっていく。


 じゃあ、今の君の悪いことはなんだと思う?


 それは、納期を守らなかったことだ」


「うぅ……」


「悩むことは悪いことじゃないよ。だけど、時間は守らないとダメだろう? 宿題だってそうだ。悩んで悩んで提出しても、提出日の一日後だったら怒られる。

 それと一緒だよ」


「はい」


 落ち込んだ綾部さんは、俯きながら続けた。


「古田、まるで仕事したことがある人みたいなこと言うね。なんだかすごい説得力」


「アハハハハー!」


 図星を突かれて、俺は笑って誤魔化した。果たして誤魔化せているのか、というのは大層疑問である。


「とにかく、もう納期が過ぎている今、君は誰かに相談してでもそれをさっさと片づけなきゃいけないってことはわかってくれたかい。

 まあ、俺じゃなくて君のグループの連中に頼ってもいいけどさ。とにかく、それはさっさと終わらせよう」


「うん」


「で、俺はお呼びじゃないかい?」


 ここまで言われておいて、俺の手助けを借りない選択肢はないと思うが、念のため。

 ……そう言えば俺、明後日までに作文渡すって先生に豪語してたな。


「ううん。古田、手伝って……えぇと、手伝ってくれませんか?」


「はい。承知しました」


 ふざけてお辞儀すると、綾部さんは緊張の糸でも切れたのか、クスクスと微笑んでいた。


「で、綾部さんは一体何で一月以上も作文作りが遅れているの」


 和んだ空気の中で尋ねると、綾部さんの顔がまた固まった。なんとわかりやすい人だろう。


 綾部さんは黙って俺にノートを手渡した。

 言うよりも見てもらった方が早いとでも思ったのだろうか。

 

 一先ず、綾部さんを一瞥してノートの中身を見てみた。ノートをペラペラと捲ってみると、彼女がただサボっていたわけではないことが見て取れた。


<i520861|34079>


 述べ十個の箇条書き、更に次の頁以降を見れば、その箇条書きの内容を踏まえた作文が書かれていた。しかし試し書きであろう作文は、どう見ても四百字には収まっていなかった。


「つまり、何を書くべきかわからないってところかい」


 綾部さんは黙って何度も頷いた。


「ふむ」


「えぇとね。あたし、こういう学校案内のパンフで学校生活に対する所感を書くのは初めてなの。だから、一先ずこの学校に入って良かったことを手当たり次第書いてみて、それを作文に落とし込もうと思ったんだけど……」


「書きたいことが多すぎて四百字にまとまらない。書く内容を絞るにも、どれも自分的には魅力的で削れないというわけだ」


「そうなの。古田、さすがだね」


 苦笑気味に褒める綾部さんに、俺は呆れたようにため息を吐いた。


 ……まあ、学校の良いところ? そんなものねえよ、と捻くれるよりはよっぽど健全だな。昔の俺なら多分、先生に対して愚痴っぽく文句を言っていた。

 あ、そもそも当時の俺が学校案内のモデルに選ばれるはずがなかったわ。


 ……さてと、冗談もそこそこに、そろそろ本題に入るとするか。


「綾部さん。現状は大体わかった。早速だけど、これからどうするべきかを考えようか」


「はい」


「それでだけど。まず俺が思うに、この件はキチンと問題点を整理するべきだ。今後のことも踏まえてね」


「今後のこと? 問題点?」


「うん。綾部さん、今から俺、君にいくつか質問する。それに正直に答えてくれ。もしかしたら多少答えづらいかもしれないけど、別に俺は君を怒るために聞くわけじゃないし、同級生なんだからそこまで色々言われてもなんともないだろ?

 というわけで、行くよ」


「は、はい」


「……まず、今回学校案内のパンフのモデルに決まった時、作文を書くことを須藤先生に指示された時、君はどうやって作文をまとめようとした?」


「えぇと、学校に入って良かったことを箇条書きして、その内容をまとめようとした」


「うん。じゃあ、どうしてそうしようと思ったの?」


「あたしも一学生の身だから、自分が魅力的だと思ったことは、これから受験する子も魅力的だと思ったから」


「学校に入って良かったと思ったことは、どれくらいあった?」


「十個。ノートの通りだよ。……まあ、いくつかは否定しているようなことも書き綴ったけど」


「じゃあ、そのたくさんある良かったことを全部書いて、四百字にまとめられると思った?」


「う……。お、思わなかった」


「じゃあ、どうすれば四百字にまとめられると思った?」


「……いくつかの良かったことを、削るしかないかなって……」


「じゃあ、どうやって良かったことを削ろうと思った?」


 綾部さんは顔を強張らせた。


「ごめん。そこまではまだ……」


「じゃあ、考えよう。どうすれば作文に落とし込む内容を決められたか。ひいては、納期に間に合わせることが出来たか」


 綾部さんは、閉口した。


「……実はさ、思い当たる節、俺にはある」


「そうなの?」


「うん。というか、本当は君も思っているんだろ?」


「……うん」


 綾部さんの頷きに、俺は同調して頷いた。




「それはさ、他人に手伝ってもらうことだ」


 


 そう言うと、綾部さんは俯いた。


「綾部さん、君はもっと他人を頼った方がいい」


 言いながら、こんな台詞この前誰かにも言ったな、と俺は思っていた。


 ただ、件の倉橋さんと綾部さんでは、他人を頼らない理由が全く異なる。


 倉橋さんの場合は、何でも自分で出来るから。だから、他人を頼る必要などないという考えが根底にあったから頼らなかった。



 対して、綾部さんはどうだろう。


 彼女は、自分では出来ないことがあることを知っている。

 知っていて、それに直面する可能性が極めて高い可能性も知っている。


 だけど、他人は頼らない。


 何故か。


「そんなに他人に頼るのは申し訳ないと思うものかい」


 それは、自らが与えられた仕事で他人の時間を奪うことは悪いこと、と思っているから。つまりは巡り巡ると、彼女の性格の問題なのだ。


 他人の顔色を窺ってしまう、本心を言うのを躊躇ってしまう、そんな引っ込み思案な性格のせいなのだ。


 綾部さんは、ただ黙って俯いていた。

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