2

(……)


 途端、頬に何か違和感がある。


「由美ちゃんでしょ」


 目を閉じたまま言ったものの、反応が無い。紅は面倒くさそうに目を開けた。


「んー?紅ちゃん、話聞いてた?聞いてなかったでしょ」


 予想通り、由美がむくれながら紅の頬を摘んでいる。

 申し訳程度に頷いて、紅は、棒読みで返した。


「うん、聞いてた」

「嘘だ!全然話聞いてないんだから!アサが美人なのは分かるけど、ちょっとは私の方にも気配ってよねー」


 むっとした顔の由美に苦笑いする紅。すると、その紅の横から伸びてきた細長い指が、由美の額を躊躇いなく弾いた。

 パチン、と軽い音がして、由美が慌てて額に手をやった。


「あっ、酷い!デコピンするなんて!絶対ヒビ入った!顔面割れた!」


 額に手を当てたまま、一人騒ぐ由美と、何事もなかったかのように無表情で手を動かす浅倉。

 恨みがましい目もどこ吹く風といった態度に、由美は気を引こうとするのを諦めた。代わりに、浅倉のポケットから、勝手に定期券を抜き出す。


「お、今月は桜ですか」

「まだ蕾だけどね」


 由美がぷっくりとした指で器用に引き抜いたのは、桜の蕾の写真だ。真っ黒な背景の中、今にも咲きそうな桜の蕾が三つ、映っている。


「今回も綺麗だねえ」


 月替わりの花の写真は、由美のお気に入りらしい。暇さえあれば、浅倉の定期ケースから勝手に引っ張り出して眺めている。

 浅倉も浅倉で、止める労力が無駄だと悟ったらしく、それはもう見慣れた光景になってしまった。


「なんか、魔法みたいだよね。写真って」


 綺麗だねー、と、目を輝かせて写真を眺める由美を見ていた浅倉が、ぽつりと呟いた。


「魔法?」


 現実主義な浅倉らしくない単語に、紅が首を傾げると、浅倉は頷いた。


「うん。写真って、一瞬を切り取るとか言うでしょ?瞬間を永遠に変えられるなんて、普通じゃできないから。だから、魔法みたい」


 確かに、と相槌を打とうとした紅の声は、バッと顔を上げた由美に、持っていかれてしまった。


「え、なんかアサかっこいい!ねえ、今のもう一回言って!」


 満面の笑みを浮かべて、浅倉に抱きつく。


「無理」

「ねー、お願いー」


 腕を掴まれ、揺さぶられて、浅倉が心底面倒臭そうな表情を浮かべた。助けて、と目で訴えられる。


(……しょうがない)


心の中で浅倉に同情しながら、紅は口を挟んだ。


「由美ちゃん。桜ってどこで見れる?ここの中だと」

「おっ。紅ちゃん、桜に興味がおありで?」


 浅倉から呆気なく離れて、にこっと笑う由美。解放された浅倉が、ほっと息を吐く。こんなにもすれ違っていそうなのに、中学からの大親友だというから、不思議だ。類は友を呼ぶ、というのは、嘘ではなかろうか。


「中庭が一番綺麗だけど、外来の人でいっぱいだよね。ガラス越しなら、ここ出たとこの廊下の突き当たりも、桜を見下ろすのに丁度いい位置なんだけど。あ、でもどうせなら直接見たいよね?」


一を聞けば十で返してくる、それが新井由美だ。息継ぎする間もないくらい、ペラペラ、ペラペラと、実によく喋る。


「どこがいいのかなー。ナースステーションの近くの窓からも桜は見えるけど、あれは駐車場の方だし、危ないよねえ」


 意外と思い付かないもんだね、と困り顔で頭を捻る。


(……見送り桜)


 頭の中に浮かんだ不謹慎な言葉を、紅は頭を振って振り払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る