スラム街編.1.契約


「――ん」


 冷えた空気に身震いすると同時に意識が覚醒する。

 どうやら私は死に切れなかったみたいですね……あの高さのビルから身投げすれば普通助からないと思うのですが、身体の節々が痛いだけで済んでます。


「これは……」


 酷い頭痛を堪えながら固い剥き出しの地面に両手を突いて上体を起こし、見渡した周囲の様子に思わず息を呑んでしまいます。

 何故ならそこは私の見知った東京都内でも、飛び降りたはずのビルの真下でもなく――見慣れない洞窟の中だったのですから。


 しかも不思議な事にこの洞窟には出入り口となりそうな穴は一切見当たりません。

 ネズミ一匹分の小さな穴すらないのですから、どうやって私がここに放り込まれたのかが全く分からないのです。


 もしかしたらここに放置された後に入口なんかを埋め立てられたのかも知れませんが……そうする事でどんな利が得られるのかが分かりません。

 少なくとも掘り返された様な跡も、埋め立てられた様な跡も見受けられませんね。

 しかもご丁寧に私の母とその彼氏だった物まで一緒ではありませんか。


「……」


 そんな不可思議な空間である洞窟内で一際目立つ玉座・・……人為的な痕跡は何もないこの場所で、唯一の人工物らしきそれ。

 先ほどから殴り付ける様な私の頭痛の原因と思われる物であり、明確に意識を向けた途端に玉座からの呼び声・・・が大きくなります。


「……っ、うる、さいですね……」


 頭の中で巨大な鐘を鳴らされているかの様な言葉にならない声に突き動かされ、痛む自身の頭を抑えながらフラフラと玉座へと向かって行く。

 ビルの屋上から身投げした筈の私が何故この様な場所に居るのか等、整理したい事が山ほどありますのにせっかちな方ですね。




 そのまま正体不明の声に導かれるままに、薄汚れて寂れた漆黒の玉座へと腰掛ける。




 その瞬間、私の中にとてつもない情報の洪水が送り込まれました。

 あまりの情報量に脳が焼き切れそうな感覚を覚え、急ぎ玉座から離れようとしても縫い付けられかのように肘掛けや背もたれから身体を離す事が出来ません。

 その大きすぎる負担から鼻からボタボタと血が流れ落ちても、それを拭う事すら許しては貰えない様で……


 そんな強引な情報の受け渡しが終わると、私の頭の中には綺麗に整頓された情報が有りました。

 まるで雑にインストールしたデータを種類毎にファイル分けしたかの様な印象を受けるそれが終わり――


【――あ、あー、見えるかー?】


 ――『ダンジョンと繋がった』という奇妙な感覚と共に、不思議な存在が視界に入る。




「……アナタは、どちら様ですか?」


 鼻血を指で拭い去りながら、目の前の存在へと語りかけてみます。

 私が不思議は声に導かれ、ダンジョンにと繋がったと同時に目の前に現れた不可思議な生物……とも言えないようなそれ。

 ラピスラズリの様な青い炎が人型の鎧を部分部分で纏っている様な……そんな精霊や悪魔と言われれば納得してしまいそうな存在が目の前に居ます。


【俺様か? 俺様はな――】


 今思えば私がビルの屋上から飛び降りる直前に聞こえた声と同じだったような気がします。

 であるならば、ここに私を呼んでダンジョンの玉座へと誘導したのはこの方の仕業でしょう。

 その正体がなんであるのか、本人の口から出てくるのをじっと待ちます。


【たった一人でこの世の神に叛逆せし大悪魔! 神すら滅ぼす事はできず、その身と権能を分割して封印するしかなかった最強最悪の魔王! その神核しんぞうだ!】


「……」


 バーン! と効果音が付きそうな決めポーズを複数取りながらの説明に、玉座に座ったまま首を傾げてしまいます。

 なにやら大悪魔さんはドヤ顔を決め込んでいるらしいのですが、私からしたら何一つとして理解できるものがありません。


「……つまり、アナタは私に何をしてほしいのでしょうか?」


【……話が早いのは利点だが、反応が薄すぎてつまらんな】


「それは申し訳なく?」


 心做しかしょんぼりしている様子の大悪魔さんを面倒に思いながらも、一応謝罪しておきます。


【おっほん! ここにお前を呼んだのは他でもない!】


「あぁ、そのテンションは続けるんですね」


【……我がダンジョンのマスターとなれ! 襲い来る女神の使徒や同族を撃退し! そして他のダンジョンを攻略して神核しんぞう主導での俺様の復活の手助け! それが俺様がお前に望むものだ!】


 ダンジョンのマスター、ですか……この玉座に座った時に無理やり詰め込まれた情報の中にないかと探って――あぁ、ありましたね。

 なるほど、封印されていて力の殆どを自身で振るえない大悪魔さんの苦肉の策として、自身の権能を自分よりも下位存在である人間に譲り渡し、ダンジョンの運営を代行して貰うと。


 ダンジョンとは大悪魔さんが生前(?)に分割封印される直前の、最期の足掻きとして自身がいずれ復活する余地を残したものであると。

 そして私と契約する事で肉体を持たない大悪魔さんは、私に憑依する形で外にも出られるようですね。

 まぁ、とりあえずは彼? の事情は把握しましたが、とても大事な事を聞かなければなりません――


「――〝私の利〟は?」


【――〝果てしなき自由〟】


 打てば響くとはこの事を言うのでしょうか……家主である大悪魔さんを差し置いて、不遜にも見下すように尋ねた私に対する回答。

 胸を張り、不敵に笑いながら私が望んでいるものがこれでない筈がないと自信満々に答えるその姿。


【俺様に協力する際になにをするのか、なにを成すのかは自由だ……その為の力も与えてやろう】


「……」


【なによりも、俺様が完全復活した暁には神にも並ぶ超存在の後ろ盾付きだぜ?】


「……ふふっ」


 自由、自由ですか……何者にも支配されず、奪われない……そんな物を目の前にぶら下げられてしまっては手を取らない訳には参りません。

 私がなによりも得たかった、けれどもこれまでの人生では得られず、欲しい事に気づきもしなかったそれをくれると言う。


「いいでしょう、アナタのマスターに成ってあげます――悪魔のアークさん」


【ククク、変な名前を付けやがって……契約成立だな】


 アークの手を取り、正式にダンジョンマスターと成った瞬間――玉座を中心として真紅の魔方陣が拡がり、ダンジョンと繋がった時の比ではない量の情報が流し込まれる。

 私という存在の、深い場所が何処かと繋がって『自分が広がっていく』という奇妙で未知の感覚……自らの手足が伸び、知覚領域が拡張されていくかの様なそれを覚え――


【よろしく頼むぜ? マイマスター】


 ――こうして私は『ダンジョンに成った』のです。

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