第20話R.B 響【安らげる唯一の場所】

◇◇◇◇◇


深夜。

俺は繁華街にいた。

この辺りは飲み屋や風俗店が密集している地区で、夜が更けるにつれて活気づく。

ここには俺の組が管理している店舗も多い。

管理しているのだから定期的に足を運ぶ必要がある。

基本的に下の者に分担してもらい、担当店舗を持ってもらってはいるが“神宮組”の名を使って管理を請け負っているのだからたまには俺が顔を出して、店の様子を確認しなければいけない。

今日、最後の仕事は経営と管理を請け負っているクラブの視察だった。


綾と籍を入れてまだ半年も経っていない。

世間では新婚と言われる時期でもある。

新妻と一緒に過ごす時間がなによりも幸せで楽しい。

もちろんそれは俺も例外なんかじゃない。

もしできることならば家で綾とずっと一緒にいた。

だけどそんな願望が通用するはずもない。


……早く帰りたい。

そう思う気持ちを抑え込み俺は視察店舗のドアを潜った。


「神宮さん、いらっしゃいませ」

すぐにママが気付き色気のある笑みを浮かべて近付いてくる。

「ママ、ご無沙汰しています」

俺よりいくつか上のママは、俺が組長の座に就く前から顔見知りでもあった。

「本当ですよ、ご結婚されてからすっかり足が遠くなってしまって」

満面の笑顔でチクリと刺されてしまった。

でも別にご無沙汰だったのは結婚したからという訳ではない。

この店舗にも担当の組員はいるのだから俺が顔を出すのはたまにだった。

結婚してからよく周囲からはそれをネタにされてしまう。

いい加減うんざりしてきたが、それを口や表情に出すことはできない。

「いや、そういうわけではないんですよ。ちょっと別件で忙しくしていたものですから」

やんわりとそう伝えると

「そうでしたか。お疲れ様です」

ママは意外にもあっさりと納得してくれた。

でもそれが逆にからかわれていたという判断材料になり俺は溜息を零した。

「今日はお時間はあられるんですか?」

そう聞かれることはここに来る前から推測済みだったので

「30分ぐらいなら」

俺は答える。

たまに来たんだから少しでも金を落とさなければいけない。

その金が回りまわって組の資金になるのだから。

「それならどうぞ飲んでいってくださいな。アイちゃんも神宮さんのことを首を長くして待っていましたから大喜びしますよ」

「そうですか? それではお言葉に甘えて」

「どうぞ、こちらのお席に」

席に案内してくれるママの背後でさりげなく時間を確認すると23時45分だった。

……今日も帰りは日付を跨いでしまうな。

俺は小さく溜息を零した。



◇◇◇◇◇


あんなされたのは店のいちばん奥にある特別席だった。

席についてすぐに

「神宮様、いらっしゃいませ」

この店のNO.1がやってきた。

彼女は俺がこの店に来たら必ず接客をしてくれる。

指名をしないことを知っているママの心遣いだろう。

「アイ、久しぶりだね」

「本当ですよ。神宮様ったらなかなか遊びに来てくれないから」

「ちょっと仕事が立て込んでいたから」

ママに告げたのと同じ理由を口にする。


「本当ですか?」

「うん?」

「実は奥様とのお時間を優先させていたんじゃないですか?」

「そんなことはないよ。新婚だというのに毎日帰るのは午前様だ」

「あら、それはお気の毒に」

「だろ?」

「違いますよ」

「うん?」

「お気の毒なのは神宮さんじゃなくて奥様ですよ」

「……確かにそうだな」

「でしょ?」

「あぁ」

アイの言うことはもっともだった。

新婚なのに旦那は毎日午前様。

いくら仕事とは十分三下り半を突きつけられる状況だ。

でも、帰りが遅いことで綾に文句を言われたことは一度もない。

本当によくできた嫁さんだと思う。


「そうだ。今日はカナちゃんもいるんですよ。呼んでもいいですか?」

アイに尋ねられ

「もちろん」

俺は答える。

「ありがとうございます」

アイはすぐに黒服を呼び、カナを席に呼ぶように伝える。


「神宮様、いらっしゃいませ」

「カナ、どうだ? 仕事には慣れたか?」

「ボチボチです」

カナは困ったような笑顔で答える。

「ボチボチでも慣れることができてるんなら十分だ」

「はい。ありがとうございます」

「2人とも今日は好きなものを飲んでくれ」

お決まりの言葉を口にすると

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

2人は嬉しそうに礼を言う。


アイは3年ほどこの店のNO・1を務めており、自他ともに認める根っからの夜の蝶だ。

華やかな美人の彼女は明るくて、気が利き、度胸もあり、器もでかい。

年上のキャストからは可愛がられ、同じ年代のキャストや年下のキャストから頼られる存在。

ママの右腕として店の売り上げにも貢献してくれている。


一方、カナはこの世界に入ってまだ半年だ。

どちらかと言えば大人しく慎ましやかな性格はこの世界には合わないと思われることが多い。

顔立ちは整っているが、まだこの世界には不慣れなのと大人しい性格のせいでそれに気付くのに時間がかかるのが難点だ。

……どうして彼女が夜の仕事をしているのか?

俺は不思議に思った。

でもその謎はすぐに解けた。

父親が経営していた工場が倒産し、多額の負債を抱えた。

その借金返済の手伝いをするためにカナは昼間務めていた会社を辞め、夜の世界に飛び込んだ。

同情する話ではある。

でもよくある話でもある。

そんな境遇の女性なんてこの世界にいくらでもいるのだ。

むしろ、クラブで働けるだけまだいい。

もっと切羽詰まった状況であれば風俗しか選択肢がない子もいるのだから。

大人しく控えめな性格のカナは入店してそれなりに時間は経っているのにまだ太客を掴んでいない。

恐らく、世話焼きのアイがそんな彼女を心配しテーブルに呼んだのだろう。

誰が席に着こうが興味がない俺にはどうでもいいことだった。


◇◇◇◇◇


「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」

当たり障りのない世間話をし、そろそろ帰ろうかと思った頃、アイが切り出してきた。

「なにかな?」

「神宮様の奥様ってどんな女性なんですか?」

「どんな……というと?」

もちろんアイがなにを聞きたいのか分かっていた。

だけどこういう時は鈍感なフリをするのがいちばんの良策だということを俺はこの数ヶ月の間に身を持って学んでいる。

「お噂では絶世の美女だって聞いたんですけど」

「絶世の美女?」

「はい。神宮様の奥様になられるくらいですからやっぱりお綺麗な方なんでしょうね」

最愛の女性をよく言われるのは正直気分がいい。

だけどここでそれに乗っかってしまうとたちまち惚気だと判断されてしまう。

こういう時は

「……いや、普通だよ」

こういうのが正解だ。


もちろん綾は普通なんかじゃない。

美人で性格もよく頭の回転も速い。

女にしとくのがもったいないくらい度胸もある。

恐らく世界中を探しても綾みたいにイイ女はいない。

だからこそ俺は彼女をどうしても手に入れたかった。

その結果が結婚というひとつの形だった。


でも綾の魅力を他人が知る必要がない。

綾の魅力は俺だけが知っていればいいのだ。


「またまた、神宮様は謙遜されるんだからカナちゃん信じちゃだめよ」

「いやいや、本当に普通の女性だよ」

頑なにそう言う俺に

「普通なんですか?」

カナが聞いてくる。

「あぁ」

「そうですか」

相変わらず彼女は会話が苦手らしくそこで会話は終わった。

でも、こういう店は話を聞いて欲しい客もいるので会話が苦手でも聞き上手であれば売り上げをあげることができる。

本当はアイみたいに話し役も聞き役も両方こなせた方が良い。

でもそれをカナに求めるのはまだ早すぎる。

完璧なキャストの存在は奇跡に近い。

完璧なキャストを育てるには時間と手間と良い見本が必要不可欠なのだ。

「そうだ。今度一緒に来てくださいよ」

アイがさりげなくフォローする。

「ここにか?」

「はい。ぜひお会いしたいのでお願いします」

「じゃあ、機会があったら連れてくるよ」

もちろんこれは社交辞令。

その“機会”が訪れる可能性は極めて低い。

「お願いします」

だけど結局のところアイだって本気で綾をここに連れて来てほしいとは思っていないはずだ。

確かに多少は綾に興味を抱いているのかもしれないけどあくまでもこれは話題繋ぎに過ぎない。


「そろそろチェックをしてもらおうかな」

「え~、もう帰るんですか?」

「あぁ、このあともう一件顔を出さないといけないところがあるんだ」

「それ本当ですか?」

「ん?」

「奥様の話をしたから会いたくなったんじゃないですか?」

「……アイには適わないな」

「そうですよ。こう見えてもこのお店でNo.1を張らせてもらってますから」

「その調子でこれからも頑張ってくれよ」

「はい」

「カナも自分のペースで頑張ってくれ」

「はい、ありがとうございます」

これで俺の今日の任務は終わり。

……あとは綾が待つ家に帰るだけだ。


会計を済ませ店のドアのところでアイとカナに告げる。

「見送りはここまででいいよ」

「分かりました。ありがとうございました。またお待ちしています」

2人に見送られて俺は店を出た。


待機していた車に近付いていると

「神宮様」

背後からついさっきまで聞いていた声に引き留められた。

「カナ、どうかしたのか?」

……忘れ物でもしたか?

そう考えていると

「……あの……ちょっとお話したいことがあるんです」

「話?」

「はい」

「それは急ぎかな?」

「できれば……」

自己主張の少ないカナがこういうという事はかなりの急用に違いない。

考えられるのは金の話か……もしかしたら移店の相談かもしれないな。


「分かった。もうすぐ閉店だな。今日、この後予定は?」

「なにもありません」

「そっか。じゃあ、この近くで待ってるから店が終わってから聞こうか」

「いいんですか?」

「終わったら電話してくれ」

俺は仕事用の番号が記載されている名刺をカナに手渡した。

「ありがとうございます」

足早に店に戻るカナと一旦別れて、車に乗りプライベート用のスマホを確認する。

すると綾からメッセージが届いていた。

“お疲れ様です。今日も遅くなりそうですか?”

顔が緩むのを自覚しながら返信を打つ。

“悪い、もう少しかかりそうだ。先に休んでいてくれ”

“分かりました。お仕事頑張ってくださいね”

間を置かず返信が来た。

そのメッセージのあとにはかわいらしいスタンプが付いてある。


「この後はどうしますか?」

「今の店のこと少し話をしないといけないからマサト、お前は先に帰っていいぞ」

「俺も一緒に行きましょうか?」

「うん?」

「俺に対処できる内容なら同席した方がいいかと思って」

「いや、今日のところは俺が話を聞いてくる」

「分かりました」


この俺の判断があとで後悔することになるとは全く予想していなかった。


◇◇◇◇◇


マサトを先に帰し、俺は店の近くの喫茶店をカナとの待ち合わせ場所にした。

「すみません、お待たせしてしまって」

「いや、気にしないでいい。お腹は空いてないかい?」

「はい、大丈夫です」

「じゃあ、飲み物はなにがいい?」

「紅茶がいいです」

「分かった」

注文を終えて

「それで話っていうのは……」

俺はさっそく話題を切り出す。


「……えっと……」

「どうした?」

「……」

「なにか言いにくいことかな?」

「……神宮様はどうして結婚されたんですか?」

「えっ? どうして?」

……この質問は、もしかして恋愛相談なのか?

それなら俺じゃなくて店の女の子にした方が良くないか?

俺は予想と違う話の内容に困惑していた。


「……あの、言おうかどうしようかかなり迷ったんですけど……」

「ん?」

俺はなぜか嫌な予感がした。


「……私……好き……なんです……」

「えっ?」

「私、神宮様のことが好きなんです」

「……はっ?」

……感じた嫌な予感はこれだったのか。

俺は軽くめまいを感じた。

自慢じゃないがこういうことは初めてではない。

むしろ夜の仕事をしている女性からのお誘いは多々ある。

だからそれなりにあしらい方も習得していた。


「その気持ちはありがたいが、私は既婚者だから」

「……いいんです」

「なにが?」

「私、2番目でもいいですから」

「2番目?」

「はい」

「カナ」

「なんでしょうか?」

「俺は女をたくさん囲いたい訳じゃないんだ」

「それは分かっています」

「分かっているならこういうことは言うな」

ここはきっぱりと伝えなければいけない。

「……すみません」

「この話は聞かなかったことにする」

「……えっ?」

「今日はもう遅い。もう帰りなさい」

万札をテーブルの上に置く。

それはタクシー代のつもりだった。

端に置いてあった伝票を取り、席を立つ。

本当ならば一刻も早く店を出たかったがカナは仕事上関わっている人間だからさすがにそれはできなかった。


会計を済ませ店を出て、カナを乗せるためタクシーを止める。

「カナ、これからも頑張って売り上げをあげてくれよ」

「神宮様、ひとつだけ聞かせてください」

「なにかな?」

「どうして普通の女性とご結婚されたんですか?」

「カナ」

「はい」

「俺の嫁さんは確かに普通だよ」

「……」

「普通に魅力的な女性だ」

「……あっ……」

「俺にはもったいないくらいのな。彼女以上の女性なんて俺は知らない。だから俺は彼女と結婚したんだ」

「……そうですか」

「もういいかな」

「……えっ?」

「早く家に帰りたいんだ」

「……はい。お引き留めしてすみませんでした」

「あぁ、お疲れ様」

カナをタクシーに乗せて俺も別のタクシーに乗り込む。

……なんか無駄な時間を過ごしてしまったな。

俺はどっと疲れを感じ、背もたれに身体を預けた。


◇◇◇◇◇


「おかえりなさい。響さん」

「起きていたのか?」

「うん」

「休んでいて良かったのに」

「だって響さんの顔を見たかったから」

「嬉しいことを言ってくれるね」


「今日も一日お疲れ様でした」


俺にとって綾は唯一安らげる場所だ。

帰宅して彼女の顔を見た瞬間、こんなに安堵できるのだから。



R.B 響【安らげる唯一の場所】完結

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