第19話深愛2 蒼馬【目が離せない人】

◇◇◇◇◇


俺はずっと女子になんて興味がなかった。

女子と一緒にいるよりも男友達と一緒にいた方が普通に楽しい。

友達の中には彼女が欲しいと切望するヤツや彼女と過ごす時間が楽しくて堪らないというヤツもいる。

だけど俺にはその気持ちがさっぱり分からなかった。


『そのうち蒼馬にも大切にしたいと思える女の子が現れるよ』

母さんはなにかある度にそう言うけど、俺はとてもじゃないけどそう思える女子が現れるなんて到底思えなかった。


ウチの両親はとても仲が良い。

結婚してそれなりに時間が経つというのに、今でもとても仲が良くて見ているこっちが胸焼けしそうになるくらいだ。

父さんや母さんの友達曰く、『蓮と美桜ちゃんは結婚してからも付き合ってる時と変わらないくらい仲が良い。いや、時が経つにつれてもっと仲の良さが増している気がする』らしい。

そんな両親を毎日目の当たりにして俺が思うことはただひとつ。

……俺はいつか結婚とかしたりするだろうか?


未来のことはよく分からない。

でも自分が誰かと付き合ってる姿とか結婚した姿なんて全く想像できなかった。


◇◇◇◇◇


夕方。

17時過ぎ。

この時間は紗月と過ごすことがもはや日課になりつつある。

塾を終えた紗月と1時間弱の時間をカフェで一緒に過ごす。

最初は塾を終えた紗月と繁華街をブラついている俺がたまに顔を合わせて少し話すくらいだった。

しかし、話す時間は徐々に長くなり、外で立ち話をするには季節的に寒いということになりカフェに入ったのが最初だった。

それが1日、3日、10日と続き、今ではこれが日課になっている。

話も大抵は世間話のようなものばかりで重要な話という訳ではない。

それに俺はあまり話すことがなく、もっぱら紗月の話の聞き役に徹している。

それでも紗月はこの時間が楽しくてたまらないという。

そう言ってもらえるのなら別に断る理由がないので、俺はこの時間に付き合っている。


ふと気が付くと紗月は俺に視線を留めたまま、ぼんやりとしている。

彼女は今日注文したチーズケーキを食べようとしていたらしいがフォークは中途半端な位置で止められたままになっており、フォークに載っていたであろう一口分のチーズケーキはテーブルに転がってしまっている。

それに気が付いた俺は

……またか。

そう思いながら

「……紗月」

ぼんやりと俺の顔を見つめている彼女に声を掛ける。

「……」

一度目の呼びかけには反応がない。

でもこんな状況にもすっかり慣れてしまっている俺は

「紗月」

もう一度彼女の名を呼ぶ。


「……へっ?」

そこでやっと現実に引き戻されたようにハッとした表情を浮かべ、動き出した紗月に

「こぼれてる」

指摘をした。


「はい?」

紗月は俺が言っていることの意味が分からないようで不思議そうに首を傾げる。

「それ、こぼれてる」

だから今度はテーブルに転がっているチーズケーキを指差す。

俺の指先を辿るようにしてテーブルに転がっているチーズケーキに視線を向けた紗月は

「うあっ!!」

焦ったような声を発する。

「ほら」

俺はテーブルの端に備え付けてある紙ナプキンをとって紗月に差し出す。

「あ……ありがとう」

「てか、見すぎじゃない?」

紗月が見ていたのは俺の顔。

俺の顔をみて何が楽しいのかさっぱり分からないけど、紗月はよく俺の顔を眺めながら現実からどこかの世界にトリップしてしまう癖がある。

紗月曰く『油断してると蒼馬君の顔って見惚れちゃうんだよね』らしいが、俺にはよく意味が分からない。

それはもちろん現在進行形である。

別に減るものじゃないので紗月に見つめられることに対してあまり気にしていないけど、さすがに食べようとしていたチーズケーキをテーブルに転がしても気が付かないというのはどうなんだろうと思いそうし歴史てみた。

「えっ?」

「ボーっと見てるから、こぼすんだよ」

「そうだね。ごめん」

紗月はチーズケーキを紙ナプキンでつまみながら気まずそうに謝る。

「てか、楽しいの?」

「なんの話?」

「ずっと俺のことを見てて楽しいのかなって思って」

「うん、楽しいよ」

「あっ、そう。飽きたりしないの?」

「飽きたりするわけないじゃん」

「ふ~ん」

「蒼馬君だったら24時間、365日見てても飽きないよ」

そう断言する紗月に

「それは勘弁してほしい」

俺は思わず苦笑した。

ただ見るだけならまだいいけど、紗月が俺を見つめている時には何かしらの弊害が発生してしまう。

経験上身をもってそれを知っている俺はさすがにそれは止めてほしいと思った。

「あくまでも例えだよ」

慌てたように弁解する紗月はちょっとかわいらしい。

周囲にあざとく計算高い女が多い俺にとって、焦っている紗月は偽りなどではなく本当の紗月で、彼女のその表情は新鮮に感じてしまうものなのだ。

「そうじゃないとちょっと困る」

「だよね」

困ったように笑う彼女に自然と俺は口元が緩んだ。


時間を確認すると間もなく18時になろうとしていた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

そう切り出すと

「……」

紗月は黙り込む。

これもいつものこと。


そんな彼女に

「紗月」

俺は諭すように声をかける。

「……なんか時間が経つのって早いね」

「それ毎日言ってる」

「だって毎日そう思うんだもん」

「そっか。でも門限を破ったら明日から会えなくなっちゃうよ」

「……それは絶対にやだ」

「それなら今日はもう帰った方がいい」

「……うん」

「そんな顔しなくてもまた明日会えるんだし」

「……うん」

明日も会える。

いつもならそう言えば渋々ながらも紗月は帰る支度を始めるのに今日は動こうとさえしなかった。

どうやら今日はどうしても帰りたくないらしい。

そう察した俺はある提案をしてみることを考え付いた。

「紗月」

「なに?」

「今度の土曜日、塾は何時から?」

「土曜日は14時からだけど……どうして?」

「じゃあ、一緒にお昼ご飯を食べよっか?」

俺の提案に

「えっ⁉ いいの?」

紗月はパッと表情を輝かせる。


「うん、11時ぐらいに待ち合わせでいい?」

「うん!! 全然大丈夫」

「よし、じゃあ今日は帰ろう」

「は~い」

さっきまでのどんより暗い顔が嘘のように、紗月はさっと立ち上がった。


カフェを出て、紗月の家の方に並んで歩く。

「土曜日ってなにを食べに行くの?」

そう尋ねられた。

まだそこまで決まていなかった俺は

「紗月は何が食べたい?」

紗月に質問を返す。

すると――

「う~ん」

紗月は低い声で唸りながら真剣な表情で考えていた。

1分、2分、3分経っても紗月の意見はまとまらないらしい。


「悩みすぎじゃない?」

「ハンバーガーもいいし、ピザも捨てがたい」

「……」

「あっ、でも洋食屋さんとかでランチを食べるのもいいよね? 蒼馬君はなにが食べたい?」

「俺は何でもいいよ」

「う~ん」

またしても悩み始めた紗月に

……これはヤバい。

そう察した俺は

「じゃあ、玲央におすすめの店を聞いてみようか」

そう提案した。


「うん、お願い」

「分かった」

「すごく楽しみ」

声を弾ませる紗月は、すれ違う人とぶつかりそうになっていることに全く気付いておらず

「ほら、危ないよ」

俺は急いで彼女の腕を引き、自分の方に引き寄せた。

「……わっ」

なんとか人とぶつかることを回避できて安堵の息を吐く紗月に

「気を付けて」

注意する。


「ごめん。全然前を見てなかった」

「紗月ってさ」

「うん?」

「一人の時も人とぶつかりそうになるの?」

「ううん」

「えっ?そうなの?」

「うん、だってひとりの時はちゃんと前を見て歩いてるもん」

……それなら俺と一緒にいる時も前を見なよ。

そう言おうとしたけど、それが無駄なことだと考えた俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

その代わりに

「そっか」

俺はそう言ってその話題を終わらせた。

そうしないと門限に間に合わせる自信がなかったからだ。


◇◇◇◇◇


その日の夜。

俺は珍しく家にいた。

玲央がお気に入りの女と約束があると言って掴まらなかったし、なんとなくひとりでブラブラする気にもなれず、かといって玲央程親しくない奴らと一緒に行動するのも面倒で早々に家に帰ってきていた。


ドアをノックする音と同時に

「蒼馬」

聞きなれた低い声が聞こえた。


「父さん、おかえり。今日は早かったね」

いつも日付が変わったころに帰宅する父が珍しく早く帰ってきた。

「あぁ、ただいま。お前こそ珍しいな」

「えっ?」

「この時間に家にいるなんて」

父さんに言われて

「たまには家にいないと母さんがいじけるから」

俺は苦笑いを浮かべる。

すると父さんも

「確かに、お前が家にいないと美桜はいじけるな」

納得したように頷き同意した。

母さんはほんわかとしていてのんびりした性格なので俺がどんな生活を送っていてもあまりうるさくは言わない。

父さんが『男なんてそんなものだ』とよくフォローしてくれているのもあって、我が家には紗月みたいに門限もない。

だから俺は比較的自由気儘な生活を送れている。

帰宅時間が遅いからと言って叱られたことは一度もない。

だけど帰宅時間が遅い日が続くと、母さんはいじけるのだ。

叱ったり怒ったりではなく、いじける。

これが俺には結構こたえるのだ。

ここ最近、帰宅時間の遅い日が続いていたので、そろそろ用心しておいた方がいい。

俺が今日早く帰宅したのにはそういう理由も含まれていた。

俺のその選択は正しかったらしく、今日の母さんの機嫌はすこぶる良かった。

「うん。でしょ?」

「でもまぁ、お前は男だし。友達と遊ぶのが楽しい時期だからその気持ちはよく分かるけどな」

父さんは俺の気持ちをよく理解してくれる。

『俺も蒼馬ぐらいの歳の時は好き勝手しまくってたからな』

そう言って大抵のことには寛大だ。

父さんも母さんも俺のことを信用してくれているのが分かるからこそ、あまり迷惑を掛けないようにしなければとも思う。



「てか、母さんは?」

父さんに尋ねると

「今、風呂に入ってる」

そんな答えが返ってきた。

そこで一つの疑問が浮上する。

「今日は一緒に入らないの?」

「今日はひとりで入りたい気分らしい」

「そうなの?」

「あぁ」

サラリと頷く父さんを俺はじっと観察する。

父さんを見る限り、いつもと何ら変わりはない。

でも父さんが仕事で遅い時は別として、帰ってきているのに一緒にお風呂に入らないということは我が家ではとても珍しいことだった。

他の家の親がどうなのかは分からないし、知りたいとも思わないけどウチの両親は一緒にお風呂に入る確率が極めて高い。

それは俺がガキの頃から今までずっと変わらないことでもある。

それなのに今日は一緒に入らないらしい。

そのことから考えられることはただひとつ。

「ケンカでもした?」

俺は率直に尋ねた。

すると

「ケンカなんてしねぇよ」

父さんは即座に答えた。

「ケンカじゃないんだ」

俺が素直に父さんの言葉を信じることができたのは、俺が両親のケンカをしている姿を見たことがないのからだった。

母さんがいじけることがあってもケンカはしない。

『美桜のすべてが愛おしい』

恥ずかしげもなく公言する父さんは、笑顔の母さんもいじけている母さんもどんな母さんでも愛おしくてたまらないらしい。

「じゃあ、なんで今日に限って一緒に入らないの?」

「女には女の事情があるんだよ」

「ふ~ん」

……女の事情ね。

それが一体何なのか気にはなったけど、聞いたところで男の俺に女の事情というものが理解できるとは思わなくて俺はそれ以上突っ込んで聞くことはしなかった。


「そういえばあの子は元気か?」

不意に父さんが聞いてくる。

「あの子?」

「えっと……紗月ちゃんだっけ?」

「あぁ、うん。元気だよ。てか、よく名前を憶えてたね。珍しい」

そう、父さんが女の名前を覚えることはとても珍しい。

基本的に父さんは母さん以外の女に全く興味がない。

興味がないから名前を覚えることができない。

そんな父さんが紗月の名前を憶えていることは本当に珍しいことで俺は驚いた。

「まぁな。美桜に言われたからな」

「母さんに?」

「あぁ」

「なんて?」

「『紗月ちゃんの名前だけはちゃんと覚えてね』って」

「そうなの?」

「あぁ、お前が初めて家に連れてきた女の子だから美桜は可愛くて仕方がないんだよ」

「ふ~ん」

「毎日会ってるのか?」

「うん。紗月の塾が終わって1時間ぐらいだけど」

「たった1時間?」

「うん、紗月は門限があるから」

「そっか。大切にされている娘さんなんだな」

「まぁ、そうだね」

門限がある時点で大事にされているというのはよく分かる。

俺の周りにいる他の女も親に門限を決められている奴は何人かいる。

でもたとえ親に門限を決められていてもそれを守る奴はいない。

『ヤバっ。門限すぎちゃった』

口では言いながらも帰ろうとはしない。

門限を守っている紗月は、おそらく親に大切にされていることをちゃんと分かっているんだと俺は思う。

「てか、あの子と付き合ってるのか?」

「付き合ってる?」

「あぁ」

「……どうだろう?」

父さんの質問に俺は首を傾げる。

すると父さんは

「はっ?」

困惑したように俺と同じ漆黒の瞳を見開いた。

そういう反応をされても

「よく分からない」

俺はこう答えることしかできない。

「あの子はお前のことが好きなんだろ?」

「……多分」

紗月は俺のことが好きだと恥ずかしげもなくいつも伝えてくる。

最初の頃は堂々と公言する紗月に戸惑いもしたけど、最近ではすっかりそれに慣れてしまいそんなに驚かなくなってしまった。

そのくらい紗月は好きだと伝えてくるので、紗月が俺に好意を抱いていることは確かだと思う。

「お前は?」

「……よく分からない」

「分からないのか?」

「うん。今まで誰かを好きになったことなんてないし」

「そうか」

「うん」

「じゃあ、なんで毎日会ってるんだ?」

「……なんで……だろう?」

首を傾げる俺に

「なんだ? それ」

父さんは苦笑いする。

「ほんとだね」

自分の気持ちなのに本当によく分からないのだ。


「好きだから毎日会ってるんじゃないのか?」

「好きだからっていうか……」

「うん?」

「なんか目が離せないんだよね」

「そうなのか?」

「うん」

「どんなところが?」

「全部かな」

「全部?」

「うん。なんか表情はコロコロ変わるし」

「あぁ」

「ボーっとしてて、飯はこぼすし」

「うん」

「歩いてる時も人とぶつかりそうになるし」

「そうか」

「なんかハラハラして目が離せないんだ」

「みたいだな」

「えっ?」

「だって目が離せないからお前は彼女のことをよく見てるんだろ?」

「俺が?」

「違うのか?」

そう問われて俺は考えた。

……確かにそう言われてみればそうかもしれない。

紗月と2人でいるんだから、それが当然だと今まで思っていたけど……。

俺も紗月のことをいつも見ているのかもしれない。

だから彼女の表情の変化や彼女の行動ひとつひとつを把握できているのだ。

俺は父さんに指摘されて初めて気が付くことができた。

「まぁ、焦る必要はない」

「えっ?」

「自分の気持ちなんだからどんなに時間は掛かってもちゃんと気付くことはできるんだから」

「……うん、そうだね」

「おっ、美桜が風呂から出たな」

父さんはそう言って立ち上がる。

「マサトから菓子を貰ってるから腹が減ったら食えよ」

「うん、ありがとう」

父さんはいそいそと部屋を出て行った。


俺が気になる女子は目が離せない人。

いつでもどんな時でも好きだと伝えてくる彼女に俺はもう捕らわれてしまっているのかもしれない。


深愛2 蒼馬【目が離せない人】完結

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る