私の頬を引っ叩いてください

裏第1話 国境から続く深い森林を抜けると、平原の古城だった。

　無限にも思えた夜は、月君と共に山脈に去っていった。

　代わりに現れた霧のベールが、林を包んでいる。

　朝霧に包まれた薄暗い林の中を、外套を纏った4人組が行進する。

「申し訳ありませんお嬢様。我々が不甲斐ないばっかりに……」

「もうお嬢様ではありませんよ、アイラ。

　それに謝罪しなければならないのは私です。

　余計な苦労を掛けて、申し訳ないわ。」

「いえ、決してそんなことはっ！」

　外套の内に甲冑をこしらえた三人が、一人の少女を囲むようにして進行している。

　甲冑を纏った三人からは、武の気配が感じ取れる。

　おそらく騎士だ。

　目つきも鋭く、常に周囲へ注意を飛ばしている。

　足捌きも訓練の跡が見られる。並の盗賊なら多少数に劣れども撃退できるだろう。

　一方の少女は村娘のようだ。

　元々赤く染められていたであろうコットは、土や垢ですっかり色褪せ、指先はあかぎれを起こしている。

　けれど日焼けを知らない若く白い肌は、瑞々しく輝くようだ。

　そんな少女の動きは明らかに周りの三人と比べて劣っており、訓練経験のない素人そのものの動きだ。

　そんな素人がこの三人と一緒に行動していれば相応に疲れるだろう。

　けれど少女の歩みには一切の疲れが見られない。

「もうすぐ目的地です。」

　先導していた一人が声を上げる。

「この林を抜けた先の街で、協力者に合流します。

　その後、我々が囮として内陸部に散りますので、その間に国境へとお逃げください。」

「ありがとうケイ。あなたたちの献身はいつも有り難く思っています。

　けれど命を賭すのはやめてください。これは私のわがままに過ぎないんですから。」

「お心遣いありがとうございます。

　けれど我が剣はお嬢様に捧げた物。どうか勝手をお許しください。」

「だからもうお嬢様ではないと何度も……」

　少女は呆れの入った笑みでそう言った。

　その笑みは決して、後ろめたいものがある顔ではなかった。

「！？　何か来ます！」

　もう一人が上げた報告で、一団に緊張が走る。

　すぐさま全員は身を低くし、息を殺して影に隠れた

　しばらくすると爪蹄音を響かせながら、二騎の騎馬が姿を現す。

　帯刀した騎士が周囲を見回して、何かを探しているようだ。

　幸にして、こちらには気づかなかったようで、そのまま林を抜けていった。

「……もう大丈夫です。この距離なら彼奴らも此方には気付きますまい。」

　一団は二騎が通り過ぎてしばらく息を潜め続けていたが、ようやく一息ついた。

「なんとか巻けしたね、お嬢様」

「だからもうお嬢様ではないわ、アイラ。

　しかしもうこんなところまで追手が。」

　一同の顔に悲壮感が浮かぶ。

　ここまで追っ手が来ている以上、目的地すら安全ではないからだ。

「お嬢様、一晩山道を歩き通しでお疲れのところ申し訳ありません。

　歩みを早めます。」

「分かりました、急ぎましょう。」

　少女は力強く応える。

　この一晩の逃避行で一団はボロボロだ。

　革製の靴はボロボロで、全身には切傷や擦り傷が刻まれている。

　整備などなされていない国境の山道は、4人の体力を容赦なく奪っていった。

　とりわけ、運動面で劣る少女の疲労は、4人の中でも相当なものだろう。

　それでも少女の金の虹彩は、強い意志を湛えていた。

　決して負けないという気概が伝わってくる強い眼差しだ。

　一団は進行速度を上げ、駆け足に近い速度で山道を下っていく。

　しばらく山を下ると、霧が晴れてきた。

　朝の陽射しが彼らの焦燥感をジリジリと炙っているようだ。

「ハァ、ハァ」

　上がった息遣いが聞こえる。

　騎兵が近くに来ているという緊張感か、半日掛かりの逃避行による疲れか。

　けれど歩を緩めるわけにはいかない、

　霧という絶好の隠れ蓑を失った現状では、進行速度を上げることだけが生存への近道なのだから。

「はぁ、はぁ、お嬢様、この林を抜けたら目的地は目と鼻の先です！

　もう一踏ん張りです！」

　アイラが前方を指差す。

　指し示す先では、林の隙間から朝日が漏れている。

　森の出口が近づいて来たのだ。

「ハァ、ハイ！私も確認しました！皆さんあと少しで──」

「お嬢様、後方から騎馬です！」

　後方からの爪蹄音が迫ってくる。

　それはまさに、絶望の足音だった。

「クソッ！　ここまできて！」

「お嬢様、このままでは共倒れです！

　私が殿を務めますので、お嬢様はお先へ！」

　騎士の一人、ジャートンが叫ぶ。

「いけませんジャートン！」

「けれどこのままでは共倒れです！

　どうか、これまでの全てを無駄にさせないでください！」

「ッ！　ごめんなさい、ジャートン！

　でも決して無茶せず、危険になったら逃げてください！」

　騎馬対満身創痍の歩兵。勝敗など決まっているようなもの。

　普段ならそんな暴挙許さないだろう。

　けれどこのままでは皆殺しなのも分かっている。

　これこそが最良の策だと理性は判断している。

　だからこそ、そんな選択しか持たない自分の身が腹立たしい。

　知らず彼女は唇を噛み締め、走り続ける。

「お嬢様、目的地が見えました！」

　林を抜け、景色が開けていく。

　一面に広がる瑞々しい芝生は、朝露を輝かせながら平原の風にゆったりと揺れる。

　そして平原の向こうには、長い歴史を思わせる石造りの古城が朝日に照らされ聳え立っている。

「着きました、西都ハウベット！

　急ぎましょう、マルガレーテ様！」

　国境から続く深い森林を抜けると、平原の古城だった。