私の頬を引っ叩いてください

ひつじまぶし

第一章 はじまりの古城

第1話 国境から続く深い朝霧を抜けると、異国の古城だった。


 早朝の平原に朝霧が広がり、霧に阻まれた陽射しがあたりをぼんやりと照らしている。その霧の中を一台の荷馬車がガタゴトと音を鳴らして進んでいく。


「ありがとうなパウルさん。こんな得体の知れない男を乗せてってくれてよ。」


「いえいえ、同行人の一人や二人よくある事です。それより旅のお話もっと聞かせて下さい!」


 くたびれた荷馬車で御者らしき青年パウルと、東洋的な風貌をした大男の2人が雑談を交わしていた。


 パウロはまだ少年らしさを残す青年だ。

 平均より若干高い背は御者台の上でピンと張られ、顔には明るい笑顔が浮かんでおり、優しげな雰囲気も相まって好青年さが滲み出ている。

 そして、着古した麻と羊毛の衣服に雑に切り揃えられたカーキの髪がいかにも村の若者然とした空気を醸し出している。


 一方の大男は若さと老成した雰囲気両方を纏い、年齢がよくわからない。

 がっしりとした顎と厳しい顔は武人を思わせるが、顎のラインと瞳の据わり方がどことなく繊細さと知性を滲ませている。

 東洋風の着流しに打刀と脇差をそれぞれ左と右に差し、脇には子供の背丈ほどの太刀が渋柿色の布に包まれ荷台に転がされている。

 

「そうさなぁ……つってもほとんど話しちまったもんなぁ。山嶺の道士相手の大立ち回り、切るか齧るかで味が変わる幽霊桃の話、あと東洋の街で俺の目を薬にしようとする奴から三日三晩逃げ続けた話もしたよな?

 そうなると……酒が湧き出る竹の話なんてどうだ?」


 それを聞いたパウロは目を輝かせる。


「そんなのもあるんですね! 是非お願いします!」


「了解。コレは東洋の街から逃げ延びたちょいと後のこと。」


 そう切り出して、男は語り始めた。


 山岳の酒場で竹葉という不思議な酒の話を聞いたこと。

 竹葉という酒は竹の内側に傷をつけるだけで湧き出てくること。

 生成にはその地域にしかいない特別な蜂と酒精が重要であること。

 そしてその酒が、空気のように透明で格別な甘さと香りを誇る美酒であること。


 男が話を続ける間にも忠実な馬は黙々と平原を進む。早春の朝の空気は未だ凍てつくようで、馬はフゥンと白い鼻息をあげた。


 パウロは目を輝かせて耳を傾け、ときに問いを投げかけ、時に遠い彼方の美味に想いを馳せゴクリと喉を鳴らした。男にとっては何のことはない話なのだがパウロにとってはそれもまた遠い異世界の英雄譚や冒険譚のように聞こえるのだろう。

 その間にも荷馬車は二人を乗せて、朝霧の海を掻き分けていく。




「いいなぁ、一口ぐらい残っていません?」


「残念ながら買った分はこの大陸に渡る前に呑みきっちまった。」


「そんなぁ」


 パウロは残念そうな声を上げる。


「ハハハそう残念そうな顔をするな。また機会があれば土産に持ってくるさ。」


「ホントですか! ありがとうございます!」


 パウロは続ける。


「其れにしてもすごいですね。いろいろな体験していて、色んなところで戦いを繰り広げてまさに冒険譚みたいです! 憧れます!」


 そう語るパウロは猛烈な熱意を纏っていた。ウマはその熱気が鬱陶しいのか尻尾で胴を払う。


「いいなぁ、私も外の世界に出てみたいです。」


 そんな彼の一言に、大男は困ったような、呆れたような、そしてどこか哀しみをはらんだ笑みを浮かべる。


「いや旅立って良いことだけじゃないぞ?

 危険と隣り合わせだし、身元の安定しない旅人は盗賊や奴隷狩りの格好の獲物だしな。それに旅人はどこででも煙たがられがちだ。」


「そんなものですか?」


「そんなもんだ。だから今の生活捨てて旅に出ようだなんて考えない方がいいぞ?」


「そうですか……」


 熱に浮かされた青年の目には青年期特有の危うさが混じっていたからそう諫言した。

 当のパウロは渋々と頷いた。


「ま、気持ちは分からんでもない。冒険に憧れるのは男のサガだからな。」


 大男は気障ったらしく微笑みながらそう言った。


「それよりなんだか霧が晴れてきてないか?」


「ホントだ、いつのまに。」




 長話が過ぎたのか、平原に広がった朝霧は、陽の光に溶かされ始める。


「すっかり時間が過ぎちゃいましたね。

 話が面白くってあっという間に時間が過ぎちゃいましたよ!」


「そりゃどうも。語り手としてこれほど嬉しい褒め言葉もないさ。吟遊詩人でもして生計を立てるかな。」


 大男はにこやかにそう言った。

 けれど恥ずかしいのか、少しの皮肉を混ぜる。


「吟遊詩人……いいですね! きっとみんな喜びます!」


 そんな皮肉もパウロにはただの賞賛にしか映らなかったようだ。


「さあ、そろそろ目的地ですよ。」




 朝霧が晴れ景色が開けていく。

 一面に広がる瑞々しい芝生は朝露を輝かせながら平原の風にゆったりと揺れる。

 そして平原の向こうには、長い歴史を思わせる石造りの古城が朝日に照らされ聳え立っている。


「ようこそ、西都ハウベットへ。

 歓迎しますよ朝護さん。」

 


 国境から続く深い朝霧を抜けると、異国の古城だった。

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