第34話 あらら




 浅葱の師匠。あさぎのししょう。アサギノシショウ。

 響きを持ちながら何度も何度も名称が頭の中で繰り返される中、師匠に無理くり椅子に座らされた史月は、その衝撃で我に返って勢いよく席を立ち、お辞儀をした。


「お初にお目にかかります。結界師の史月と言います。浅葱君にはお世話になっております」

「私は浅葱の師匠で、名前も師匠って言うんだ。よろしく。まあ、堅苦しい挨拶は終わりにして座りな」

「はい。失礼します」


 顔を上げた史月は小さく一礼して椅子に腰をかけた。

 師匠は台所でさっとお茶の準備をして、史月に出した。

 いただきますと言って、史月は両手で湯呑を持って一口含んで喉を潤したが、二口目がどうにも含めずに、湯呑を両手で持ったまま動かすことはしなかった。

 師匠は無理やり勧めることはなく、にやにやしながら口を開いた。


「都雅から手紙が来てたんだよ。浅葱が長い間、一緒に暮らしている人が居るってね。いくら仕事上、冷めた関係だって言ったって、一つ屋根の下。浅葱は薬草以外にほとんど関心がないだろう。よく嫌になって出て行かなかったね」

「いえ。僕も結界以外はほぼ無関心で。干渉されなかったので、居心地がよかったです」

「ハッハ。似た者同士ってわけかい」

「いえ。全然。僕は浅葱君ほどの情熱は持っていませんから」


 仕事に、結界に誇りは持っているが、今の自分の力に満足していて、発展は望んでおらず、努力をしようとも思わない。

 現状維持で十分なのだ。


「浅葱君は鬱陶しくなるくらい、薬草のことばかり考えている。僕には無理です」

「そうかい?私にはそうは思えないよ。例えば」


 そんなに上げたら目とくっついてしまうのではと危惧するくらい、高く吊り上げられた口の端だけに意識が行って、師匠の言葉を理解するのに時間がかかった史月。

 まずは音が脳に届き、次に言葉だと理解し、一文字一文字組み立てて文章を作り、ようやく言葉が脳に届いたかと思えば。

 じわりじわり。

 じんわりじんわりと。

 熱が上昇していき、顔と言わず身体ぜんぶが真っ赤に染まってしまった。


「あらら」


 熱を冷ますように一気にお茶を飲み干した史月を見て、師匠は冷茶にしていてよかったと屈託なく笑ったのであった。












(2022.1.14)


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