グレイス編 7

 長官はデリック・ヘイズ社長から電話で説明を受けていた。固定電話さえ使えないほどの大規模通信障害はかなり復旧してきて、短時間の通話は問題がなかった。

 ヘイズは、こちらが送り込んだグレイスによって命を救われたと言っていた。睨んだ通りひと悶着あったようだ。

「あいつろくに報告もよこしませんで……ちゃんと仕事はしたようですな」

 長官は話す。連絡ができず、現場で何があったかまだ正確に把握できてはいない。現地にはすぐ追加で捜査員を行かせており、社長の動向にも目を配るように言ってある。

 本当は続けてグレイスを投入したかった。彼女は父親には似ず、洞察力に優れている。ちょいと抜けてはいるが、現場に欲しい逸材だ。だが、そろそろ本来の任務に返さなければならないだろう。

『いえ、こうしていられるのも彼女のおかげです』

 ヘイズは、そのグレイスに関して礼を言っている。その点は本当に感謝してもらいたい。

 命を狙われていると捜査局に連絡してきたのはヘイズ代表自身で、電話で話すのは二度目だ。地元の警察だけでなく捜査局にも直接話をしてきた。オフィス襲撃の件を調べていて名前があがっていた企業であり、グレイスを送り込む口実になった。

 ヘイズ代表が繰り返し説明するのはシステムの不具合と、同時に起きた一部の警備員の契約違反についてのみだった。それ以外は明かす気がないようだ。システムの不具合と会社の運営については第三者委員会が設置され調査される手はずになっている。

 社長がこの様子では、叩いた所で埃は出てこないのだろうと長官は思う。

 LDとかいう新技術に関する国の情報は極秘のものが多い。今捜査している事件にもそれが関係しているはずだが、関係者の名前や素性などを捜査局では知ることができない。これでは捜査のしようもない。だが社長の反応を見るに、この技術はよほど重要なもののようだ。

 この情報源は逃せない。食らいついて調べてやる。

『そういえば、私のせいでグレイスさんの端末が壊れてしまいまして。わが社から最新の端末をお贈りしたい。お伝えいただけますか』

 盗聴器でも潜り込ませるつもりか、と長官は疑う。グレイスにそんな得体のしれないものを持たせる気になれず、長官ははいともいいえとも答えずに会話を続けた。

「しばらくは外出は控えていただきたいですな。滞在はどちらに?」

 長官はその会話を最後にヘイズとの電話を切った。そして、来客の知らせを受けて応接室に向かった。

 待っていたのは見知らぬエージェントで、国防総省と名乗った。

「空爆の件では誤解がありまして……」

 国防総省なら国家安全保障局あたりかと聞いたが、違うという。慇懃に話す男だった。国防総省といえば軍を束ねる立場で、あの空爆騒ぎから捜査局、司法省との関係がよくない。

 長官はそんなことには興味がなかった。捜査官たちの命が危うかった事には腹を立てていたが、もし謝罪か何かで来たのなら忙しいので帰ってほしいと伝えた。

「いえ、本日は別に要件がございまして。隕石メテオライトについての対応、連携を強化するべきだと考えています」

 要件は捜査局遭遇調査部に関連する事だった。今後の運用についてぜひ話がしたいという。

「当方が散々要請している機密情報開示でもしてくれるのかね」

「いえ……人事に関わる相談でして」

 エージェントは仏頂面で答えた。それを聞き、あまりいい話ではなさそうだと長官は予感した。



 古びたコンクリート造の建物はもはや見慣れ、そこが家なのだという感覚も芽生えている。調査部のオフィスは出てきた時と変化がない。先日の空爆未遂によってできた外壁の穴がブルーシートで覆われた姿だ。

 スクラップ場から空港まで自力で移動し、航空路で急いでここに戻ってきた。すっかり夜になりかけている。

 今この場所には重要なものはない。施設が半壊していてはフラグメントを保管しておけないため、グレイスたちが砂漠に行っている間にフラグメントはより安全な研究所の保管庫に送られているはずだ。

 窓に灯りが見え、誰かが施設の中にいるのはわかった。扉の前に立っても声はしない。みんな無事でいるだろうか。グレイスは意を決して扉を開いた。

「やあおかえり、グレイス」

 出迎えたのはパロットでもアルバートでもなく、エントランスにあるソファに腰掛けた柩であった。

 グレイスは言葉を失った。柩の腰には楔形のオブジェクトがぶらさがっており、これが本体であることを示していた。

「ど、どうしてここに」

「他に帰る所はないよ」

 当然とでも言うように柩は言った。

 どうやってここに帰って来たかと聞くと、分身を送ると同時にラジコンカーに本体楔を乗せてオフィスまで帰ってきたらしい。あれを買わせたのはそんな事に使うためだったのか。かなり距離があったはずだが、どんな改造をしたらここまで来れるのだろう。

「あなたは……! なぜあんな事をしたんですか! パロット捜査官はどこです!?」

 そんな事より大事なことがある。グレイスは怒りを抑えきれず、柩に言葉をぶつけた。

「あの子なら奥にいる。潜入調査はうまくいったじゃないか。きみが知りたがっていたMLDの本質も実践してみせた。最後はミスしたけれどね」

 柩はグレイスの怒りをスルーして言った。パロットは無事でいるということで、とりあえずは安心する。

 グレイスは柩が行った行動の一部を体感していた。LD技術が極北まで達した場合にどんな事が可能になるか、なんとなく理解できた気がする。しかしそんな問題ではない。

 柩はグレイスになりすまし、まるで道具のように扱ったのだ。許していい事ではない。

「相棒などと言っておいて、必要なのは捜査官の身分だけですか。だいたい身分を偽るなんて……!」

「バレなければ最後まできみで行くつもりだったんだよ。運がなかった。すまなかったね」

 柩は言いながら、エントランスに置かれたテレビに視線を戻す。画面にはデリック・ヘイズ社長が写っており、今回の通信障害の原因が自社の内部にあるかもしれないという発表を行っていた。

「早い公表だ。後からバレるよりは印象がいいと判断したんだろうね」

 柩はつまらなそうにテレビを見ている。もっと調査したかったとでも言いたげだ。

 彼女との取引は食事や情報程度にしておくべきだと痛感した。油断してはいけなかった。

 グレイスは深く後悔し反省していた。しかし、そんなグレイスをよそに柩は話を続けた。

「報告書は明日でいいと本部から連絡があったそうだよ。ルーシーからの伝言だ」

 すっと私が番をしていた、と言いながら、柩は両手で頭に耳の形を作ってみせた。番犬役とでも言いたいのか。

 そう、パロット捜査官だ。彼女の無事を自分の目でも確かめなくてはいけない。グレイスは奥へと早足で歩き出す。

「結構面白い子だねぇ、彼女は」

 去っていこうとするグレイスの背に、柩はくすくすと笑いながら言う。話したというのは意外だった。ここではグレイス以外とは決して話そうとしなかった彼女が、パロットとは一体どんな会話をしたのだろうか。

 だが、今はそれを質問する気分ではない。

「きみはこれからどうする。まだ捜査を続ける?」

 柩はグレイスに問いかけた。捜査がこれで終わりなわけではない。むしろ、ようやく入り口に立ったような段階だ。

「当然です。犯人を確保するまでは終わりませんから」

 グレイスはきっぱり答えた。

「うん。私もまだあの会社を調べなきゃいけないようだ」

 柩は同調するように言う。だがグレイスは、次があるとしても柩と手を組むことは拒否したい。それをはっきりと伝えるには、まだうまく気持ちと言葉がまとまらない。

 勝手に人の分身を作り出して人格を盗まれたのだ。グレイスだけならまだしも、他の人間にもそんな事をされては困る。一方で、柩には何度も命を救われてもいる。彼女をどう考えればいいのかまるでわからなかった。

 ヘイズ代表と柩の会話はグレイスも聞いていた。その際、ほんのわずかだが柩の思考が直接垣間見えた。でも、理解などできない。余計に混乱するばかりだ。

 柩の中はめちゃくちゃだ。グレイスにはカオスに見える。能力も計り知れなかった。こんな相手と対等にはなれない。

 ただでさえ事態は混乱している。これ以上の不確定要素は処理しきれない。調査部への襲撃を行った実行犯はまだ特定できていないのだ。アルバートなのか、他の誰かなのかもわかっていないのだから。

「ねえグレイス。そろそろ、その件は覚悟を決めるべきだ。わかっているんだろう?」

 柩は考え込むグレイスに言った。視線はテレビのヘイズ代表を見ていたが、声は真剣だ。

「……何の話です。仕事がありますので、私はこれで」

 グレイスは答えない。報告書がたまっているのだ。これ以上、ぼんやりした柩との読み合いにかまっている時間はない。

 奥の部屋に行き、パロットの寝顔を確認した。彼女さえ安全ならいい。捜査は本部がする。捜査はしたいが、優先度は下げる。必要になったらグレイスも独自に動けばいい。

 グレイスに必要なのは与えられた役目をこなすことだ。柩に関わって痛い目にあったばかりではないか。

 グレイスは柩には構わず、書類仕事をすることにした。

 


 朝になると通信障害はほとんど解消されていた。たまっていた報告書を全て書き上げ、本局へと送った。作業が終わる頃にパロット捜査官が目を覚ましてきて、オフィスにいるグレイスを見て驚いていた。

「無事に帰ってたか。よかった」

 壁に寄りかかりながら、パロットはいつになく真剣な表情で言った。

 無事でよかったというのはグレイスのセリフだ。アルバートと二人きりにするのはリスクがあった。そのアルバートの姿は見えない。

「センパイは昨日から本局に呼ばれてるよ。例の報告のせいだろうな」

 その疑問にはパロットが答えた。アルバートのフラグメント適正の件はパロットが報告しており、本局に呼ばれたのはおそらくそのせいだろう。

「あとは奴のマークだな」

 パロットは二階にいる柩の方を見ながら言った。グレイスとパロットは柩の見張りだ。もし何かあれば、ここにいる一五人のスタッフが動く。

 柩は施設から出ず、相変わらず蔵書に興味を示していた。ネットに接続して情報を得ている可能性もあるが、外見的にはわからない。

「そういえば柩と話したらしいですね。どんな話をしたんですか?」

 グレイスは質問した。グレイスがいない間、柩とパロットは言葉をかわしたらしい。これまでは決して話したがらなかったのに。

 グレイスの皮を介してとはいえ柩はヘイズとも話していたし、グレイス以外とはどんな理由があっても喋らない、というわけでもないらしい。ただ、彼女は人間同士の関係にはできるだけ影響を与えない。わかっていることがあっても、ヒントを出すくらいしか許されていない。あのビルで流れ込んできた柩の思考の中にそのような認識があった。

 そんなルールに縛られている柩がする会話とはどんな内容だったのか。気になる。

「……………………言いたくないね」

 だが、パロットは長い沈黙のあとに拒絶の意思を示すだけだった。余計に気になってくる。

 その時、パロットの端末が鳴った。何の電話かと思えば、長官からグレイスへの電話だという。

 そういえばグレイスの端末は柩に無くされたのだった。いい迷惑だ。もう使い方にも慣れたパロットの端末を受け取り、グレイスは電話に出た。

『グレイスか。新しい報告書は全て読んだ。そっちも大変だったな』

 長官は労うような声色で言った。少し疲れも感じ取れる声だ。電話の時も忙しそうにしていたので、まだ事件を追っているのだろう。

「私は結局何もできていませんが……」

 エーテル・デバイセズに行ったのは柩の分身であり、グレイスは報告書を提出しただけだ。労われるような働きはしていないと思う。

『良い方に転んだよ。あの会社の手入れはこっちでするさ』

 長官は少し気分を上げた声で言う。今日朝一番にも本社に行き、もっと本格的な捜査と事情聴取を行うつもりらしい。証拠があるうちに本社を抑えるのは当然だ。だからこそ、グレイスも報告書の作成を急いだのだ。

 本社に行くなら私も、という言葉が出そうになったが、グレイスはそれを飲み込んだ。柩をとどめておくというここでの仕事もきちんとできていなかったのに、それを放り出して捜査に参加したがる資格などない。

 もう役目は果たしたのだ。グレイスは知り得る限りの情報を報告書にして提出した。自分の立場でできることは全てやった。今は自分の仕事に集中すべきだ。

 アルバートが今どう扱われているかを個人的に聞きたかったが長官は忙しそうで、要件が終わるとすぐに電話は切れた。

「端末、無くしたなら早めに買っとけよ。次はあたしのと同じのにしとけ」

 使いやすかっただろう、とパロットは自慢げに言った。実際に使ってみてタッチパネル式の端末は便利に感じた。

「いつも貸していただいてばかりですみません、パロット捜査官」

「ルーシーって呼ぶなら許してやるよ」

 悪戯っぽく笑いながらパロットは言った。その笑顔を見て、彼女が無事で本当によかったとグレイスは思った。

 作業用のデスクから立ち上がろうとすると足元が少しふらついた。いつのまにか夜明かしになってしまっていた。夜勤のせいで体内時計がずれてしまっているようだ。

「寝とけよ。あたしが交代しとくからさ」

 パロットの提案はありがたかったが、気づけば砂漠から着替えてもいない。

「いえ……シャワーを浴びてからにします」

 このまま眠りにつくにはあまりにも埃にまみれている。

「そんな嫌な匂いしないぞ」

 パロットに言われ、グレイスはとっさに距離をとった。夜勤用に着替えを用意しているので、まずはスーツの上着を脱ぐ。

「あ……しまった……」

 上着からぽとりと落ちた石を見て、グレイスはまた一つ自分のミスに気づいた。

「あの時のヤツか?」

 何の変哲もない石に見えるが、これは重要なものだ。あの時、パロットが飲み物に仕掛けてグレイスが回収した隕石のフラグメント。トラップに使ったものだ。それがまだスーツのポケットに入ったままになっていたのだ。

 ここのフラグメントは研究所によって全て回収してある。輸送は護衛つき、秘密裏に行われていて、グレイスたちも詳細は知らない。知っているのはダリアとアルバート、それにディズだけだ。

 この一つもこのまま置いてはおけない。グレイスはまたしてもパロットの端末を借りてディズに電話をすることになった。

「ああ、ディズ。実は……」

 グレイスは事情を説明した。ディズは今研究所に行っているはずだ。

『なるほど……よいしょ……ふう。今、ちょうど倉庫に収めているところなんです。持ってきていただけると嬉しいんですけど……』

 ディズはかなり忙しそうだ。フラグメントを持てる希少人材なので最終的な運搬は彼女しかできないからだろう。

「わかりました。今から行くので待っていてください」

 グレイスはそう言い、ディズとの会話を終えた。もともとはグレイスとパロットの行いから出てきたミスだ。一つだけだし、こちらから届けるのが筋だろう。

「ディズの研究所は近いですよね?」

 グレイスは横にいるパロットに確認した。

「前に聞いた住所だとそうだな。出してやる」

 パロットは端末を持ち、メモ機能から研究所の住所を表示させた。この場所ならすぐに行ける。

 捜査局は忙しくてほとんど指示を仰げない。だいたい調査部の任務にはほとんど関与してこない。この石を持っていることは誰も知らないだろうし、内部犯の可能性がある以上はむやみにあちこちに連絡するのはまずいかもしれない。二人ですぐに届けてしまうのが最も安全に思えた。

 連絡はオフィスのスタッフに任せればいいだろう。ここには電話だけは大量にある。

「外出するのでついてきてくれませんか」

 グレイスは柩に近づいて言った。行くにあたっては柩も連れて行く。彼女を見張るというのがグレイスの役目だからで、相棒だと思っているわけではない。

「まだ怒ってる?」

 柩は、グレイスに向き直りながら言った。

「いえ……いや、そうですね。少し……」

 グレイスは曖昧に返す。柩はそれを聞いて一瞬だけ顔を伏せる。

「ごめんよ。せめて、きみの近くには置いてほしい」

 柩は言いながらグレイスの手を握った。何かと思っていると、柩は肉体を消滅させて楔形に戻った。面倒を起こす気はなく、今はその姿で外に連れて行け、ということなのだろうか。

 あんな事があった直後で、身につける気にはなれなかった。グレイスは、楔を車のトランクルームに置いて遠ざけてしまった。



 調査部の車は先日も空輸して利用したライトバンだ。調査部の用事では積載面で頼りになる。

 左側の運転席にグレイスが座り、右のナビシートに座るパロットにフラグメントを持ってもらう。輸送だと知れないよう、ケースは用意しなかった。

 カーナビゲーションなどという上等なものはない。端末を手にパロットが案内をしてくれる。GPS機能を搭載したパロットの端末ならカーナビの代わりになる。

 車は市街地をどんどん離れ、草原が広がるまっすぐな道へと走っていった。

「こっちで合ってるんですか?」

「そのはずだけど……ずいぶん田舎だな」

 最先端技術を扱う研究所がある場所にしては人里を離れすぎている気もするが、隕石のフラグメントを保管しておくにはいいのかもしれない。

 車は平原の上に広がる道を走っていく。舗装さえない道になったあたりで流石に様子がおかしいことに気づいた。

 二人がたどり着いたのは、白い花がところどころに咲く草原の真ん中だった。そまつな柵でいくつかの区画に区切られていて、その奥に朽ち果てた小屋があるだけの場所であった。

 ナビの故障を疑ったが、伝えられた住所と地図を照らし合わせるとその場所で間違いないらしい。念の為に二人は車を降り、日差しに照らされた小屋の残骸に近づいた。

 小屋の周囲には錆びついた金網の残骸や朽ちた囲いがある。棒杭が風化して地面に転がっている。それらを乗り越えて近づくと、そこには「――農場」、と読み取れないかすれた文字で書かれていた。

「あいつ、伝える住所間違えたんじゃないか」

「ええ……」

 パロットは端末を取り出し、ディズに電話をかけた。ディズはすぐ電話に出た。こちらが事情を説明するより、相手の方が早く喋った。

『二人とも……どこですか?』

 一言目が二人の所在を確認する言葉だった。何かあったのだろうか。

「ええと……パロット捜査官も私も一緒にいます。どこかわかりませんけど……農場みたいなところですね」

『そうですか……よかった……』

 ディズは何やら息切れしていた。研究所で何かあったのだろうか。

『襲われたんです……研究所が……』

「え……どういう事ですか……!?」

 グレイスは声を荒げて聞いた。

 ディズは状況を説明してくれた。研究所にフラグメントを輸送したのち、何者かが襲撃を仕掛けてきた。搬入のタイミングを狙われた。そして、輸送していたフラグメント全てが持ち去られたのだという。

『軍の護衛は……全滅しました……輸送のことは秘密だったはずなのに』

 非武装だったディズを除き、護衛部隊は全員やられたという。そして、敵はフラグメントを奪い去った。

 奪い去ったということは、フラグメントを持つことができる人物ということだ。このオフィスからフラグメントを持ち去ることを知っていた者。そして、襲撃があった時点でここにいない者だ。

 グレイスは、隣りにいるパロットと目を合わせた。

「……とにかく合流しましょう。研究所の場所はどこです?」

『パロット捜査官に伝えてありますよ』

「それが……ぜんぜん違う場所についてしまって」

『おかしいですね。わかりました。もう一度調べるので、折り返し電話しますね』

 そう言って、ディズは一度電話を切ってしまった。

 襲撃という事実に呆然とするグレイスだったが、こんな草原の真ん中ではどうすることもできない。現場の場所さえわからないのだ。近いのか遠いのかさえ。

 風が優しく通り抜け、白い花を揺らしている。ここだけ見ていると、この世のどこかで人々の安寧が脅かされているのが嘘のような風景だ。

「あのさ、グレイス……」

 考え込んでいる様子だったパロットが話しかけてきた。

「何ですか?」

 何か思いついたような表情だ。その考えを聞いてみる。

「これ、本当にフラグメントなのか?」

 パロットは、運搬中の小石を手のひらに置いて見せた。グレイスたちが普段回収している、見た目にはさほど特徴がない石だ。これはサウスラーク砂漠から回収したもので、隕石フラグメントに特有の光沢感がある。

「私達が回収したものじゃないですか。確かあの時……って……」

 そこまで考えて、グレイスはサウスラーク砂漠での回収がいつものルーチンとは異なっていたことを思い出した。

 そうだ。あの時はイレギュラーで、研究所から供与された便利な探知機を利用して短時間で回収を終えたのだ。

 普段なら現場には先にアルバートが入り、フラグメントとそうでないものを調べ、回収物がわかりやすいようにマーカーをつけてくれていた。あの時ばかりはそれを省略していたではないか。

 探知機はディズが手配したものだった。しかし、それが信頼に足るものかどうかは知らない。言われるままに使っていただけだ。

 一般的な金属探知機のような形をしたもの。特別なもののはずだが、ホームセンターにも同じような形状のものがあるのを見た。

 これが本物のフラグメントなのかどうか。そういえば、グレイスにもパロットにも確認する手段はないのだ。

 探知機はまだバンにまだ積んである。そちらを調べればわかるかもしれない。

「考えたんだけどさ……もしかして、」

 パロットの言葉が、乾いた何かの音で遮られた。

 遠雷のような音に聞こえた。のどかな草原の中に突然響いた空気を裂く音とともに、目の前のパロットがゆっくりと傾いていた。

 パロットは足を折り曲げ、白い花が点在する草原に倒れ込んだ。グレイスが駆け寄ると、彼女の白いシャツに赤いシミが広がっていくのが見えた。

「パロット捜査官……!」

 グレイスは声にならない声を上げてパロットを抱え上げた。同時に、彼女を狙撃してきたであろう方向を見る。

 人影がすっと稜線の奥に隠れた。その後、遠くから聞き覚えのあるバイクのエンジン音が遠ざかっていくのが聞こえた。

「う……」

 パロットは覗き込んだグレイスの頬に手を添えようとして、そのままぐったりと動かなくなった。

 何を言おうとしていたんだ。いや、それよりも、どうすれば彼女を救える?

 胸を撃たれていた。心臓に命中しており、どんどん血液が流れ出ている。どう見ても致命傷であった。

「柩……柩……! いるなら答えて。出てきてください!」

 グレイスは、車に置き去りにして遠ざけていた楔を引っ張り出して言った。少しの時間を置いて、白い花の間に柩の体が実体化された。

「パロット捜査官が撃たれました。治療をお願いします……」

 ここは人里から遠く離れている。今、頼りにできるのは柩だけだ。彼女には頼らないと決めたばかりだが、そんな事にこだわっている場合ではなかった。

 だが、座り込んだグレイスが見上げた柩の表情はこれまでにないものだった。

「いいかい、グレイス」

 低い声で、柩は言い聞かせるようにグレイスに話す。

 嫌だ。そんな事は言わないでほしい。そんなグレイスの願いも通じず、柩は言葉を続ける。

「そんな簡単には戻せない。私の力も万能というわけじゃない」

 できない。柩はそう言っているのだと瞬時に理解しながらも、グレイスはその言葉を受け入れられなかった。

「なぜです……! 必要なものがあれば何でもあげます。何が不足ですか? 消耗しているんですか? だったら、私の体でもなんでも……」

 詰め寄るグレイスの肩を抑えて静止しながら、柩は続けた。

「彼女のクオリアは既にここから離れ始めている。きみの時とは数秒程度の差だが、大きな違いだ。かなり無理することになる。それに、彼女がここで受けた傷は超常の力によるものじゃないし、私が巻き込んでしまったのでもない。この世界の人間同士の問題だ」

 柩は目線を逸らさず、淡々と語った。

「バカな……」

 グレイスはパロットを抱えながら、その場に座り込んだ。

 暖かな日差しが草原を照らし、草木が擦れる音が心地よくグレイスを包み込んでいる。目の前にいるパロットからどんどん温度が失われていく。

「私のことは助けてくれたじゃないですか……命は特別なものだからって。ルールが何だっていうんです。彼女を助けてください……お願いします」

 グレイスはすがるように柩に言った。しかし、柩は首を縦にふることはなかった。

「あなたとは……」

 柩には人間らしい温かみを感じる時があった。何度か命を守ってくれたり、言葉をかわした。それでも、パロットを助けるだけの力がありながら、自分に課したルールの方が重要だという。だったら……。

「あなたとは、相棒にはなれません……」

 グレイスはもう、柩のことを信じられなくなってしまった。

 だが、それ以上に自分の情けなさも思い知っていた。グレイスには死んだ人間を蘇らせるような力はない。だが、こんな現実を回避することはできたはずだ。それができなかった原因を思い、グレイスは絶望していた。

 この狙撃は予測ができなかった事だ。だが、もっと事件を早く進展させる方法はあったのではないだろうか。グレイスの行動次第で。

 思えば、柩は何度か警告していた気がする。彼女は、グレイスが状況を疑っていることをずっと知っていたのだろう。その上で、それに向き合うようにそれとなく促していた気がする。

 あのオフィスの襲撃があった時点で、グレイスにはわかっていたのだ。そういう可能性もあることは。柩もそれに気づいていたから、グレイスの意思に任せていた。

 目を背けていたのはグレイスだ。その結果として、パロット捜査官は命を落としたと言うことができる。

 捜査官である以上、同僚が殉職する可能性は覚悟していたつもりだった。だが、結局グレイスは最後まで彼女を名前で呼ぶことさえできず、親しくなることも直視することも避けていた。

 怖かったからだ。親しい誰かが犯人である可能性も、同僚を失うかもしれないという可能性も。現実から目を背けた挙げ句、このような結果になった。

 でも、このままでいいわけがない。いくら後悔しても、犠牲になったパロットは戻って来ない。

「私が彼女を助けます……! それならいいですよね」

 言いながら、グレイスは柩の腰にある楔を強引に奪い取った。

 この楔は特別なものだ。それはずっと感じ取っていた。グレイスの額にあるMLDは不完全なもの。まだ性能が足りない。だが、この楔を介すればグレイスにも可能なはずだ。

 この場にあるもので最も力が強いもの、それはこの石に違いない。これを使えば、あるいは可能なのではないか。

 あの時、一度命を落としたグレイスを蘇生してみせたように。数秒の差だと柩は言った。無理をする必要があるとも。だが、不可能とまでは言い切らなかった。

 失った命を繋ぎ止めて、再びこの体に宿すような知恵を。それは禁断の果実のような誘惑だった。柩にできないというなら、それはこの世界の人間であるグレイスの役目だ。たとえルールに反していたとしても、その罰はグレイスが受ければいいのだ。

「よせ、それは――」

 柩が静止する声が聞こえる。だがかまわない。自分の体がどうなろうとも、彼女を救うことができるのなら。

 短剣で胸を突き刺すように、グレイスは楔を体内に入れようとした。楔はグレイスのMLDと反応し、対話が可能な通信経路を確保する。

 この中から、人間の蘇生に必要な情報を見つけ出す。そして、グレイスがそれを実行すればいい。どんな犠牲を払ったとしても……!

 それを願った瞬間、グレイスに大量の情報が一気に流れ込んできた。



 銀河には無数の恒星が存在する。太陽系はその銀河の円盤の中、中心からやや外れた辺境にある小さな点にすぎない。

 一つの銀河の大きさは途方もなく、太陽系がある天の川銀河の直径は十万光年、近くにあるアンドロメダ銀河は二〇万光年以上の大きさである。そのスケール感を見るだけでも、見上げた夜空に広大な世界が広がっていることがわかるだろう。

 宇宙にはこのような銀河が無数にある。銀河が数百、数千と集まった銀河群や銀河団が存在し、銀河の総数はわかっているだけで数千億個、それ以上とも考えられている。

 人間が住む世界は小さい。生命の尺度で見れば無限といっていい空間と時間が、この宇宙には広がっている。その想像できない広大さを、楔の記憶を通じてグレイスは感じ取っていた。

 隕石楔は、地球がある天の川銀河からはるか遠く、決してたどり着けそう思えない遠い場所から飛来した。

 例えば、比較的近いアンドロメダ銀河までの距離は二三〇万光年。光の早さと同等の宇宙船だとしても二三〇万年の時間が必要な距離だ。隕石楔はそれよりもはるか遠く、数十億光年の距離にある銀河団で生まれた。

 それは、世界の原理を極限まで探求した民が人々の願いを積み上げて作り上げた道標だった。自分たちが住んでいた世界が滅びを迎えようとしていた時、この小さな楔の中に世界の全ての物質を凝縮して封じ込め、何度も歴史を繰り返し、再生できるようにした。それが、この楔の最初の形であった。

 小さい楔となったその民の世界。それはやがて外の世界に目を向けて旅に出た。銀河を渡り歩いて文明を記録していく旅。楔の中には、今もいくつもの世界の記録が眠っている。

 文明のある銀河はいくつもある。この隕石楔は、光速を超える跳躍移動によって銀河と銀河の間を旅する。想像もつかないような宇宙的距離、宇宙的時間をまたいだ探索活動を行っていた。

 そんな楔が見てきたもの、星の海で起きた過去の出来事をグレイスは目の当たりにしていた。流れ込んできた情報のほんの一部だが、体感することができた。

 楔の中には四つの管理人格があり、楔の運用方針を決めていた。目的の惑星に漂着し隕石として地上に降りると、そこで活動用の肉体を作り、そこにある文明や自然が滅びるまで記録を続ける。時にはそこで知恵を与えることもある。記録が終われば、いくつかの手土産とともに次の銀河へと旅立っていく。最初の頃の隕石楔はそんな無害な存在であった。

 では、この隕石楔は今も無害なものなのだろうか? 封じ込められた記録はそうは語っていなかった。

 ある時から、隕石楔の情報収集が過激に変化した。そこにある物質の全てを一旦MLDに置き換え、それを再吸収することで情報化する手法を取り始めた。何が狂ったのかわからないが、隕石楔はただ観測し続ける方針をやめ、触れるもの全てを物理的に吸収してしまう怪物へと変貌していた。

 誰も止められる者はいなかった。四人いた隕石楔の眷属ですら、その方針に抗うことはできない。そうして、たどり着いた世界を終わらせていく邪悪な存在となったのだ。

 実行する役目を自ら引き受けた者が、四人いたメテオライトの眷属のうちの一人だった。もともと、外部との接触と情報収集の役割を持っていた一人だ。

 その名には偶然にも、埋葬を象徴する箱の名前がつけられていた。その名前で生まれてきたことは彼女の運命だったのかもしれない。

 その時から彼女は、出会う世界を見守り、やがて無慈悲に飲み込むことを運命づけられた。新生した楔の求めに応じてそれができるのは彼女だけであった。

 楔が漂着した銀河は、ことごとく分解され吸収されていく。広大な銀河がこの楔に飲み込まれていく光景をいくつも見た。

 遠い宇宙から飛来し全てを飲み込む邪神のごとき存在。それがこの隕石楔だったのだ。

 そして、次はこの銀河だ。

 グレイスたちが住む天の川銀河にある、一つの惑星にねらいを定めた。

 その記憶にたどり着いた時、グレイスは残酷な墓守である柩の記憶の一部を感じることができた。

 楔の内部世界の風景なのだろうか。風が吹き青空が広がる、何万年も変わらないと思える草原だった。柩はそこに一人きりで、いくつもの新しい星を見続けている。

 空を見上げ、昼間の青空でも見える星の輝きを探す。その輝きのどれに向かうか、ゆっくりと見定めているかのようだ。おぞましい記憶とは対象的に穏やかな場所。そこで、次に埋葬するべき星を見つけようとしている。

 そんな時、地球上のある一点、ブロッサムからの呼び声があった。柩は導かれるようにこの地球に訪れたのだ。

 きっと、他の二つの邪神も同じだったのだろう。運命のようにたどり着いたこの場所で肉体を作り、そして……。



 目眩と吐き気で倒れそうになりながら、グレイスは胸に押し当てていた楔を反射的に投げ捨てた。

 同時に拳銃を抜き、震える手で楔に向ける。だが無意味なことはわかっている。この楔は、地球上のどんなテクノロジーをもってしても損壊させることができないだろう。

 この楔には内部世界がある。広大な銀河を取り込んでおり、それが今も存在している。なので、いくつもの銀河を凝縮しただけの重さと密度があるはずなのだ。

 これはただの情報記録媒体などではない。情報そのものだ。

 これにとっての情報とは物質だ。記録などというまどろっこしい方法はもう捨てている。強大な力を持つ楔なら、そこにある世界をそのまま食らい吸収したほうが早いからだ。

 最も純度の高い情報は、物質そのものなのだ。究極の情報記録をつきつめていった結果、その世界そのものを収集するようになっていった。

 触れるものはすべて支配され、眠りにつかされる。そうやって超圧縮されたいくつもの銀河がこの中に埋められている。最初の世界をそのはじまりにして。

 宇宙に存在する全ての物質は高密度な極小の点から始まったと言われている。重い中性子星はスプーン一杯で地球上の山と同じくらいの質量になる。この小さな手のひら程度の大きさのものの中に、これまで食らってきた銀河、星、そして生き物をすべてを押し込める方法があっても不思議ではない。

 だがそんな物体なら、地表に存在するだけでこの地球、それどころか太陽系や銀河でさえも崩壊しかねないほどの超重量物質ブラックホールのはずだ。それがなぜ無害に存在しているかはわからない。

 原理はわからなくとも、今は事実を理解している。そんなものを気軽に手にとっていたことを思うと頭がどうにかなりそうだ。

 楔形の石の姿や柩の肉体などはほんの外殻に過ぎない。その中に渦巻くのは死んだ世界そのもの。その中にはもちろん、そこに生きていた生物、人間も含まれている。生命すら価値の一つとして取り込み、おびただしい数の屍をつめこんだ箱だ。グレイスはそれを手にしていたのだ。

 吐き気がこみ上げる。これまでは宇宙から来た何かという程度の認識しかなく、これほど邪悪な存在とは知らずに平然と近くにいた。あまりにも無知で愚かだ。

 呼吸が乱れ、視界が狭まる。柩の足が見えた。地面に落ちた楔を拾っている。

 おびえきったグレイスを前に、柩はいかなる表情も見せずに見下ろしているだけだった。

 跪くグレイスを包む草原。きっと何万年も変わらずにある、穏やかに吹く風と温かい太陽の日差しだけが流れていた。

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