若月ドクターとの話

 長野オリンピックが始まり、世間はオリンピックの話題で持ちきりだ。パラリンピック迄一ヶ月を切り、イスバスのナショナルチームも追い込みの合宿を行っていた。

 実践形式の五対五をやっている時、海斗が突然「ストップ」の号令を掛けた。

「大丈夫か? スバル」

 突然動きが悪くなった昴を心配してそばに駆け寄ると、肩で息をしながら苦しそうにしている昴の顔は蒼白だ。


「ごめん。なんか倒れそう」

 その声を聞いた海斗は慌ててスタッフを呼びつけた。

 スタッフが走ってこっちに向かっている時に昴は車椅子の上で意識を失い、海斗が支えた。

 昴は目を閉じていて、息は荒い。スタッフが二人がかりで昴を車椅子から下ろし、床の上に寝かせた。「スバル!」という呼びかけに対して少し目を開き、「オレ、大丈夫だよ」と言ってまた目を閉じた。

 こんな事は初めてだった。海斗はすぐにかかりつけの若月ドクターに連絡を入れた。

 ドクターは、スバルが目を覚ましても動かさないようにという事と、自分の方から救急隊に連絡を入れて事情を話しておくから、駆けつけた救急隊の指示に従うようにと言った。


 救急隊が到着して暫くすると昴は目を覚ました。

「ごめん。オレ、もう大丈夫だよ」

 今度ははっきりとした声を出した。

「何か急にグワーって大きい塊に押しつぶされたような感じがして、全身に血が通わなくなっちゃったみたいになって。酸欠だったのかな? でももう治ったから」

 そう言って、昴が上体を起こそうとしたので、救急隊員が阻止した。

「まだ動いちゃダメです。問題は無いと思いますが、昴さんの担当医の若月ドクターに指示を頂いてます。今、連絡を入れますので少しお待ち下さい」

 そう言って、ドクターと連絡を取り終え、話し始めた。

「急を要する事は無いと思いますので、少し距離はありますが、若月ドクターの病院に、このまま昴さんを運びます。検査を受けて結果が出る迄は動いてはいけません。代表の方は?」


 海斗がその救急隊員と少し話をし、昴はストレッチャーに乗せられて、救急車に運ばれた。救急ではないのでサイレンを鳴らさずに若月ドクターの病院に向かった。


 病院に到着すると、まず若月ドクターが昴の様子を診て、看護師を一人付けていくつかの検査室を回らせた。

「何かオレ、病人みたいだな。もう全然元気なのに」

 ストレッチャーに乗せられたまま移動させられる昴は、数年前検査入院した時と同じような事を看護師に言っていた。

 一通りの検査を終えて、結果が出て先生が来るまでは絶対に動かないように、何かあったら必ずナースコールで知らせるように、と念を押された。


 一時間程が過ぎ、若月ドクターがやってきた。

「具合はどうだい?」

 昴はいたって元気な声を出した。

「腹減った〜。もう何ともないよ」

 ドクターは笑った。

「それは良かった。今回倒れたのは、まあ一般的な酸欠のような物だから心配無いよ。少しずつ動いていいよ」

 昴は待ってましたとばかりに、上体を起こした。

「でも、気をつけないといけないよ。昴は病気を持ってるんだから。それで、話しておかなければならない事があるんだけど、落ち着いて聞いてほしい事なんだ。今じゃなくてもいいから、食事とかとってからにするかい?」


 昴は「え? またかよ?」と思った。

「今でいいよ。オレ、落ち着いてるし。そんな事言われたら落ち着いて食事も出来ないからな」

 ドクターは近くにあった椅子を持ってきて腰を掛けた。


「スバル、お前は強いから、隠さないでちゃんと話した方がいいよね?」

「え? まあ、それは勿論」


「言いにくい事なんだけれど‥‥‥。

端的に言うと、病気が心肺機能を侵し始めたって事なんだよ。まずは足だった。次に手にきた。そしてそれが心肺の方にきた。その意味が分かるね? 

 ごめんな。私は医者なのに君を治してあげる事が出来ない。助けてあげる事が出来ない。情けないよ。

 私がスバルにしてあげられる事は、君の意志や生き方を尊重して応援する事だけしかないんだよ。だから、このまま入院しろとも、イスバスをやめろとも言わない。

 まだ出来るはずだ。私もスバルがパラリンピックで輝く姿を観たい。

 この病気が厄介なだけに、スバル自身ではどうしようもない所はあるけれど、今迄以上に身体の発する声をよく聞いて、自分自身を上手くコントロール出来る所もあるはずだ。パラ迄にエネルギーを使い切ってしまわないように上手くやるんだよ」


「オレ、もうすぐ死ぬのか?」


「そうは言ってない。分からない事が多過ぎる病気なんだよ。ただ残念ながら、病気が進行している事は確かな事だから、スバルにはちゃんと知っておいてもらって、悔いを残さないでほしいと思っているんだよ。酷な話だという事は分かっている」


「覚悟はしているつもりだった。でも、いざそうなると、思ってた以上に怖いな。けど思ってた以上に冷静でいられるもんだな。

 謝るなよ、先生。

 オレ、先生のおかげで一番好きな事、やり切れると思う。オレ、口は悪いけど、本当に感謝してるんだぜ。

 オレ、今日あのまま死んじゃわなくて本当に良かったって思ってるんだ。まだパラに向かっていける。

 実は今日は朝起きたときからだいぶ疲れてて、練習もキツかったんだけど、かなりムリして動いちゃってたんだ。もうこんな事がないように、自分で出来るコントロールはしっかりやっていくよ。

 一ヶ月後に身体はどうなっちゃってるか分からないけど、出来るだけの事はしてみせる。見ててくれよ。先生、ありがとう」


 ちょっと恥ずかしいかったが、昴は若月ドクターに感謝の気持ちを伝えることが出来た事に少し満足していた。



 翌日、スタッフに迎えにきてもらって、昴は合宿に戻った。

 その後、激しい運動を続けられる時間が少しずつ短くなっていった。息が苦しくなるだけでなく、練習中に手が動かなくなるまでの時間もどんどん短くなっていった。

 しかし昴はもう泣かなかった。柊斗が作っている歌にも毎日励まされていた。

 動けなくなる前にパラリンピックを迎えたい。どんな状態になってもオレはパラリンピック迄、イスバスをやり切る、と決めていた。

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