第25話 ブラインド・アレイ

 傾きかけの太陽が、少し波立つ琵琶湖をキラキラと輝かせている。


 プラットフォームの上に立つウイングノーツ達は、その光の粒たちの向こうに見える水平線に目を凝らした。大会本番のときはいつも青一色の景色がオレンジに色付いて、少し神秘的に見える。


「――えー、次に、湖上の飛行禁止区域についてです」

 プラットフォームの端に立った大会スタッフが、手元の書類から顔をあげないままページをめくった。


 トリ娘コンテスト・ディスタンス部門の大会前日。先程から大会審判の説明が続いている。大会前日恒例のプラットフォーム下見兼説明会だ。


 慣れた常連陣は、説明を聞きながらもプラットフォーム上の風や足場の感覚を確かめていた。本番前にプラットフォームに登れる機会はこれしかないからだ。

 一方、あちらの方では初出場らしきトリ娘2人がおそるおそる10メートルの高さがあるプラットフォームの下を覗き込んでいる。見た感じ、最近入ってきた新入生のようだ。


「えええええ!?ここから飛び降りるんですかぁ!?」


 初々しい反応に思わず顔が綻ぶ。自分も初めてのときはそうだったなぁ、とウイングノーツは思った。もっとも、自分の場合は練習の飛び込み台での反応だったが。当時はいきなり無茶な練習だと思ったが、おかげで大会に向けた度胸がついたので青葉トレーナーには感謝しないといけない。


「ホラ、もうちょっと端に寄って覗き込んでみなよ」

「無理無理無理無理無理無理」

 やがて興奮してきたのかその娘たちがキャッキャッと話し始めたところで、


「――お静かに」


 ピシャっと、抑えつつも圧のこもった声が響いた。その声に、説明を続けていたスタッフも一旦口を閉じる。

 声の主は、『女王クイーン』ナスカだ。


「……それに。ディスタンス部門はのではなく、ものですわ」

「「は、はい……」」

 哀れ新人2人は萎縮して押し黙ってしまった。


 ナスカが注意したのももっともで、この場で新しいルールや注意点が説明される可能性もあるからスタッフの話には気を払う必要がある。初出場なら尚更だ。何より、スタッフの心象が悪くなると次回以降の出場選考に支障を来たす可能性も無いわけではない。


「……、気合入ってるね」

 隣にいたバートライアが大きな体を小さく屈めてウイングノーツに耳打ちした。


 そう。トーワやソラノセプシーが学園から卒業するので、新たに生徒会長の座を引き継いだのがナスカだった。新人を注意した後は、元のように腕を組んで琵琶湖の彼方をじっと睨んでいる。


 大会スタッフは顔をあげてナスカをチラッと見た後、再び書類に戻して説明を続けた。

「……えー、ここから1キロ先のところの湖面に棒が何本も突き立っているのが見えますでしょうか。あれはといってたくさんの棒が立ち並んでいる場所です。あそこだけではなく琵琶湖の至るところにありますが、そこに着水してしまいますとボートで救出に行けず危険です。従って、エリの上を飛行する行為は禁止とします」


 これまでの大会ではまだ自分には関係ないと思って聞き流していたが、聞いた後に改めて湖面を眺めると、あちらこちらにそれらしきものが見える。


 人工建造物、湖岸の上。広い琵琶湖ではあるが、飛行禁止区域は意外に多いのだ。ウイングノーツたちトリ娘の目標である対岸ですら、対岸に文字通り着地してしまったら失格になってしまう。4大会前のソラノセプシーが対岸の手前で着水したのはまさにそのためだ。


「……ルールおよび禁止事項の説明は以上となります」

 スタッフが書類を閉じて前を向くと、なんとなく参加者全体に安堵の空気が漂った。聞いた限りでは新たな変更はないようだ。


「スタッフが残っているもう数分の間はここにいることができますが、基本的にはここで解散とし、プラットフォームから降りて頂きます。残る方は他のスタッフの指示に従って、くれぐれもここから落ちないように」


 トリ娘たちにはドッと笑いが起きるが、スタッフには笑いはない。実は以前、闇夜に乗じてプラットフォームに侵入し琵琶湖に飛び込んだ不届き者がいたらしい。結局SSSスカイスポーツ学園の学生なのかそうでないのかも含め犯人は分からずじまいで、運営側としてはもしまた起きたら即失格も辞さない姿勢なのだ。


「それでは、解散します」


 なんとなく皆無言で淡々とプラットフォームから桟橋に下りていくところで、ウイングノーツは後ろからツンツンと腕を突かれた。バートライアだ。


っていつもこの説明で聞いてるけど、結局何なのか知ってる?」

 すぐ前をナスカが歩いているからか、小声で聞いてくる。


「え?……そういえば知らないね。この説明会でしか聞いたことないし、何のために棒が立ってんだろ。――マエストロは何か知ってるー?」

 もう説明は終わってるので別に普通の声で話してもいいだろう。ウイングノーツはそう思ってバートライア越しに後方にいたマエストロに声をかけた。


が何かって?」

 怪訝そうに顔をしかめたマエストロだったが、すぐに視線を虚空に漂わせて記憶から答えを探そうとする。


「ううん……。例えば大阪の澪標みおつくしは知ってるけど、そういう航路案内というわけでもなさそうだし。……浅瀬の警告か何かじゃないの?」


 マエストロも首を傾げたところで、前の方から声がかかった。


えりの仕掛けですわ」

「「?」」


 思わず同時に聞き返す。答えてくれたのがナスカ本人ということと、驚いて思ったより大きい声を出してしまったことに気づいて、皆少し視線が泳いだ。


「……別に説明が終わった後も小声で話しなさいとまでは言っておりませんわ」

 ウイングノーツたちがあたふたした理由を察したナスカが口を尖らせた。


「あ、すみません。それで、エリ漁って漁なんですか?魚を捕る?」

 歩いていた順番的にナスカの真後ろにいたウイングノーツが必然的に矢面に立つことになる。ナスカに、プラットフォームの上にいたときのような表情の険しさがないのを見てウイングノーツは少しホッとした。後ろにいるバートライアなどはその大きな体を極限まで縮めてノーツの後ろに隠れようとしたのだが。


「そう。魚が入ると書いてえり。障害物にぶつかるとそれに沿って泳ぐという魚の性質を利用して、柵で作っておいた迷路の行き止まりに魚を閉じ込めて捕る琵琶湖特有の漁法なのですわ」

 簡潔かつ分かりやすい説明に、聞いたウイングノーツ達以外のトリ娘たちもほぅ、と感心の息をつく。

「人為的な調整を行わず、必要な量だけを収穫する。まさにSDG持続可能な漁法なんですのよ」


「さすがナスカさん。何でも知ってますね」

 気を取り直したバートライアが顔を上げて話しかける。


「何でも、ではありませんわ」

 にこやかに微笑み返すナスカ。

「皆様よりここに来たことが多いから……たまたまその中で聞きかじっていたことがあるだけ……」

 言いながらナスカの顔が少し曇っていくのをウイングノーツは見逃さなかった。


「……あの、ナスカさん?」

「お嬢ー様ぁー!」

 ウイングノーツの問いかけは、ナスカを呼ぶ大きな声でほとんどかき消された。

「……日比じい


 顔を上げたナスカの視線の先、棧橋の出口の脇にスーツに身を包んだ壮年男性が立っている。

 担当トリ娘と同じくおそらくこの学園で知らない者はいない日比ひび新太あらたトレーナー。幼少時から付き添い、ナスカの家の執事もしていることも周知の事実だ。


「お時間でございます」

「分かってますわ」


 背中越しに軽く手を振りながら去っていくナスカを見送って、ウイングノーツ一同は軽く息を吐いた。


「なんか最後ピリピリしてた?」

「してないほうがおかしいわよ。本番前日なんだし」

「いや、プラホの上もそうだったけど、いつもに増してというか」


 なんとなく、みんなナスカが去った湖岸道路の方角から目が離せない。


「……プレッシャー、なのかな」

 『琵琶湖に多く来ている』と言った時の表情の変化をウイングノーツが伝えると、バートライアが合点が得たように頷いた。

「出場してからまたたく間に5回も優勝したのに、女王クイーンって呼ばれてからここ6大会記録が伸ばせてないからかもね」

 確かに、少なくともウイングノーツが初出場してからはナスカが優勝したことはない。トレーニングでは頻繁に姿を見かけてるし、グラウンドで飛んでる姿も見てるので、調子が悪いのか何かが噛み合ってないのか……


「あれだけ強い人でも、毎回長く飛ぶってのは難しいんだね……」


 トリ娘コンテストは飛び出したら最後、一発勝負。琵琶湖の悪魔とは誰が呼んだか、時間ごとに変わる風にも大きく影響されるので運の要素も絡む。もちろん、そこで風の影響を捻じ伏せられるのが真に強いトリ娘ということなのだろうが。


「――ま、私達も他人ひとのこと気にしてる場合じゃないけどね」

 傍らのディフェンディングチャンピオンが気を取り直して言った。

「ナスカさんがどうしようが、私は明日連覇を狙うわよ」

 何かを吹き飛ばすように、わざと髪をかき払って宣言するマエストロ。


「私だって!今度こそ500メートルを超える!」

「アタシも!絶対に前回以上に飛んでみせる!」


 不安要素は考えだしたらキリがない。明日はこれまで積んできたことを信じて飛ぶだけだと、ウイングノーツはまだキラメく琵琶湖を振り返って思った。

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トリ娘プリティコンテスト ゲイルライダー 采目慶 @sainomekei

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