第10話 天使が舞い降りた日

『只今より、トリ娘コンテスト2日目、ディスタンス部門を開催いたします』


 ウイングノーツが飛んだ、次の日。ウグイス嬢のアナウンスが早朝の会場に響いた。一般的に美声の持ち主が多いことから、トリ娘はこうしたアナウンサーや歌手、声優といった分野でも活躍している。ウグイス嬢という名前もまさにトリ娘が語源にあるのだ。


 その声を聞きながら、ウイングノーツは独り観客席に座っていた。


 正面にプラットフォームが見える。

 昨日、クラウドパルたちが見ていた景色。自分のフライトは彼女達にどう映っていたのだろうか。どう感じたのだろうか。

 そんなことを考えていると、観客席のスクリーンに見覚えのある顔が映った。


『ディスタンス部門の先頭を切るのは、富士川トリ娘スカイスポーツ学園所属、クラウドパルさん』


 目線がカメラに合うと、即座に手を振ってみせる。この愛嬌の良さは流石だ。


 ディスタンス部門では長い距離を飛ぶため、担当トレーナーはボートに乗ってトリ娘に並走し、適宜インカムを使って指示を出してもよいことになっている。だから青葉も今日はプラットフォームの下にいるボートのどれか一艘に乗って離陸テイクオフを待っているはずだ。


『今日は絶好のコンディション。さあ、クラウドパル、この中でどう飛ぶのか?』

 実況の声にノーツも拳を握る。


 やがて、審判員が白旗を振るのが見え、クラウドパルが翼を広げて走り出した。


『飛び出しました……が、おおっとぉ?!』


 クラウドパルは飛び出した直後に勢いを失い、そのまま大きく右旋回して落ちてしまったのだ。まるで昨日の自分を鏡で見ているような展開にノーツは思わず立ち上がって息を呑んだ。


『……只今の、トリ娘スカイスポーツ学園クラウドパルさんの記録は、42メートル06でした』


 ノーツはクラウドパルの様子を心配しながらも、まさに昨日自分は観客席からこう見えていて、彼女たちに心配されていたのだと思い知らされていた。


 昨日のウイングノーツの最終成績は、ギリギリまで粘ったものの滑空部門28選手中17位。全体の3分の2に入ったとはいえ、次回の出場は微妙な順位となってしまった。


 本番の難しさ。風の条件との戦い。自力で飛べない滑空の難しさと限界。そして何よりも大会、練習双方の経験不足。

 練習やイメージとはほど遠い結果を思い返して、ウイングノーツは悶々とした。しかしその間にも、大会は淡々と進んでいく。


 やがて、大きな歓声がしてノーツは我に返った。観客席横の巨大モニター上を見ると、4761メートル08という数字が表示されている。


女王クイーンナスカ!軌道のコントロールに苦戦しましたが、見事なフライトで現在第一位です!』


 実況の声でその記録がナスカのものだということが分かった。モニターには、水上に浮かんで救助ボートを待つナスカと、砂浜がそのすぐ近くに映っている。一瞬対岸到達かと目を凝らしたが、記録が五キロ弱ということを考えるとどうやらこちら側の湖岸らしい。


『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ソラノセプシーさんです』


 その会場アナウンスに、ウイングノーツは視線をモニターからプラットフォームに移した。銀色の髪の前々回優勝者が、風をみながら飛び立つタイミングを計っている。その威風堂々とした雰囲気に、ノーツは思わず居住まいを正してプラットフォームを正視した。

 審判員の白旗が上がる。


『さあ、今ソラノセプシーがテイクオフ!』

「すごい!」

 プラットフォーム上で助走したそのままの高度で真っ直ぐ飛んでいくソラノセプシーの姿に、ノーツは思わず叫んでいた。

 

 まるでプラットフォームから伸びたまっすぐで透明なレールを滑っているかのような安定した飛行に、ノーツはモヤモヤした気持ちも忘れて見入ってしまう。


 ソラノセプシーはそのまま危なげもなく沖に向かって飛び続け、次第に視界から小さく見えなくなっていった。こうなると観客席はもとよりプラットフォーム周辺の会場からも飛んでいる様子が見えないので、すべての関係者は中継モニターの映像と実況に注目するしかない。


 淡々と一定のリズムで翼を羽ばたかせるソラノセプシーを、画面越しにじっと見守るだけの時間が続く。


 今やモニターには、一昨日ナスカたちがノーツに話した多景島たけしまが映っていた。そしてその横を飛ぶソラノセプシーの姿。


『ついに、遂に、フーシェが前回大会で刻んだ大会記録9762メートルを超えて10キロを通過したーーっ!!』


 実況と共に表示されているソラノセプシーの軌跡と進路方向を示したGPS地図は、彼女の進路が北西に向いたことを示していた。


「……いける。このまま、対岸を目指す」


 ボソッとインカムに呟いたソラノセプシーの声に、ワッと会場から歓声が上がる。


 いまや、観客も、会場のスタッフも、出番待ちの選手も、全てが動きを止めてソラノセプシーの映像に釘付けとなっていた。


『……只今、ソラノセプシーは15キロメートルを通過しました!』


 優雅な、それでいて力強い羽撃はばたきで淡々と前に進んでいくソラノセプシー。やがて併走するボートのカメラで撮られた行く手の景色に陸地が朧気ながら映りだすと、会場の興奮は最高潮に達した。


「トリ娘コンテストの安全ルール上、地面の上は飛行禁止となっているから対岸より先には行けないのだけれど、その先も十分飛べそうなくらい余力がありそうね」


 いつの間にか戻ってきた青葉がノーツの隣に腰掛けながら呟いた。振り返ると、その横にクラウドパルもいる。おつかれさま、と笑顔を返してノーツは画面に顔の向きを戻した。


『ソラノセプシー!どこまで行こうというのかーっ!』


 ソラノセプシーは竹生島ちくぶじまの脇を通り、琵琶湖の北西に位置する葛籠尾崎つづらおざきの西を北に進路を変えつつ進んでいく。中継カメラからは岬沿いの道を通る車がよく見えることから、岸の近くを沿って飛んでいることが分かる。そこから先は湾となっているため、行き止まりだ。


「ノーツ、パルちゃん。気づいたかしら?ソラノセプシーの尾羽が動いているのがわかる?」

 青葉の問いにノーツはモニターをじっと見つめた。横や後ろからのアップの映像を見ると、確かに上下左右小刻みに尾羽が動いている。


「遠目で見るとソラノセプシーは淡々と飛んでいるように見えるけど、実はそうじゃないの。湖上の風は刻々と変わってる。ましてや陸地に近くなると地形も影響するわ。それをああやって調整して常に軌道修正しながら飛んでいるのよ。

 今年は例年より風が弱いけど、それでも決して楽な話でないことはあの動きを見れば分かるわ」


 やがて岸との間隔が狭くなっていき、運営のボートがソラノセプシーを追い越した。旗を振りながらホーンを鳴らしている。


『あーっと、着水指示が出ました。これ以上先は陸地のみのため、手前の水上に降りるよう指示が出ました』


 実況の解説にあわせて、ソラノセプシーが羽ばたきのペースを落とし、スピードを緩めながら高度を下げていく。軽く羽ばたきながら、足を下に伸ばして着水する体勢になった。


 ――それは、まるで一枚の絵画だった。


 大きく両翼を広げ、銀色の髪をなびかせながらそっと足を伸ばして浅い湖面に降り立つソラノセプシー。日差しを受けて、髪が、羽根が、キラキラと輝く。

 それは、藻掻もがきながら粘ったり、真っ逆さまに水面に落ちていた、どちらかというと泥臭いこれまでのトリ娘の着水シーンとは一線を画した、優雅さと美しさだった。


「天使だ……」


 観客の誰かが呟いて、会場全体が静寂に包まれる。


『――素晴らしい記録を発表します』


 その静寂を破ってウグイス嬢のアナウンスが響き、会場が少しザワつく。


『――只今の、スカイスポーツ学園、ソラノセプシーさんの記録は……』


 会場が落ち着くのを待つかのように間を空けて告げられたその記録は。


『……2万3688メートル24でした』


 うおおおおおという歓声が湧き上がり、観客が総立ちになる。


『なんという大記録!ついに、トリ娘の念願である対岸に到達!琵琶湖横断達成!ソラノセプシー!我々は、伝説を目撃しましたーーーーっ!』


 興奮する実況も掻き消すような大歓声の中、じっとモニターを見つめるウイングノーツ。その画面には、ボートに乗り、少し疲れた笑顔でインタビューを受けるソラノセプシーの姿がある。


「決して不可能ではありませんわ」


 一昨日の、ナスカの言葉が頭に響く。


 不可能ではない。それをソラノセプシーが今証明してくれた。それなら、自分にだってできるはず。……そして、その先も。


「天使の着水」「天使が舞い降りた」と後に評された彼女の着水シーンを思い返しながら、ノーツの心の中に小さな炎が灯ったのだった。

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