第15話 彼女は子供の頃はとてもヤンチャだったⅠ

 「彼女は子供の頃はとてもヤンチャだった」


 著:ジャスティン・W・ウィンチスコット

 訳:九条薫子






 俺――ジャスティン・ウィリアム・ウィンチスコット――は大貴族の両親のもとに生まれた。


 父はこの国有数の大貴族であり、大地主、臣民公爵であるレトナーク公爵だ。

 そして母は侯爵であると同時に大銀行を経営している人物の長女だ。


 二人の結婚は政略結婚だった。

 どのような政治的・経済的な理由なのかは知らないし、それが断れるようなものだったのか、断れないようなものだったのかも知らない。


 確かなことは二人にはそれぞれ別々に恋人がいて、互いのことを愛してはいなかったこと。

 そして義務的に――嫌々――子供を作ったというだけだった。

 


 レトナーク公爵位と領地、そして莫大な資産を継ぐための道具として、自分は生まれた。


 別段、政略結婚というものは上流階級の間では珍しくはなく、むしろごく当たり前に行われている。

 自分の家のように、夫婦関係が完全に冷え切っているようなケースも……多いわけではないが、決して少なくない。


 だから自分が特別に不幸だとは思わない。

 ただ……政略結婚といえども夫婦の間に一定の愛情と信用があり、そしてちゃんと愛されている子供を見ると、とても嫌な気分になった。


 使用人たちは親切にしてくれてはいたが、しかし彼らの主人はあくまで俺の両親だ。

 俺は主人の息子という立場であり、彼らの忠義や親愛は間接的なものだ。

 少なくとも自分はそう感じた。

 ……勿論、彼ら彼女らにも使用人としての立場があるということは、大きくなった今なら分かる。


 でも、幼い時の自分はそれを理解していなかった。

 だから……一人だけ、特別に親切にしてくれた若い女性のメイドに対して、俺はよく懐いた。


 彼女は俺に対して、本当に親切にしてくれた。

 母親代わりと言っても過言ではない。

 それくらい熱心に俺の世話をしてくれた。


 絵本を読み聞かせてくれたり。

 ボードゲームを一緒にしてくれたり。

 庭を一緒に散歩したり。

 かくれんぼや鬼ごっこをしたり。


 そんなんだから彼女は時折、年長の召使に叱られていた。

 あまりにもご子息様への距離が近すぎる、と。

 

 また、そもそも彼女は少し不器用な面があり、よく仕事で失敗をしていた。

 子供の自分から見ても、危なっかしいところが多々あった。


 だから……たまに彼女を庇ってあげたりした。

 あまり叱らないであげてくれと、彼女の上司に遠まわしに言ってあげたりもした。


 俺は本当に彼女を母親のように慕っていた。

 血は繋がっていなくても、母親だと思っていた。

 彼女も自分を息子のように思ってくれていると……思っていた。






 そう思っていたのは俺だけだった。









 それに気付いたのは七歳の時。

 風呂場で。














 全裸の彼女に押し倒された。











 突然、入ってきた彼女に圧し掛かられた。

 顔を舌で舐められ、全身を両手で弄られた。






 

 混乱と困惑が収まると。

 恐怖と嫌悪感が膨れ上がってきた。







 思わず叫んだ。

 すぐに他の使用人たちが風呂場に飛び込んできた。


 彼女は使用人たちによって、強引に引き剥がされた。

 引き摺られるように連れていかれる彼女の言葉は……今でも覚えている。


 どうして。

 信じていたのに。

 愛してあげたのに。

 裏切り者。


 わけがわからなかった。


 それからしばらくして。

 珍しく、父と母が本邸に帰ってきた。


 一瞬、心配してくれたのかと思ったのだが……

 それはすぐに違うと分かった。

 二人とも酷く面倒くさそうな表情を浮かべていたからだ。


 父と母から事情聴取を受けた。

 入れたか、出したかだのと。

 よくわからないことを聞かれた。


 使用人を交えた説明を聞いた父と母は、どこかホッとした表情を浮かべていた。

 ……少なくとも俺の身を案じているわけではないことは分かった。。


 それから父は言った。

 このことは絶対に外では口外しないように。ウィンチスコット家の家名は勿論、お前の経歴にも傷がつく。


 母は言った。

 その気がないのであれば、使用人に対して勘違いをさせるような言動はやめなさい。


 よくわからないまま、はい、と頷いた。

 

 それからしばらくして、本邸と別邸から若い女性の使用人がいなくなった。

 理由はわからなかったが、自分のせいであることだけは分かった。


 その頃からか、父や母に連れられてパーティーやイベント等に参加することが増え……

 自分の容姿が人よりも優れていることを自覚した。


 女の子に囲まれることも少なくなかった。

 ……正直なところ、あまり嬉しくはなかった。

 

 先の一件から、女の子に対しては強い苦手意識を抱いていたからというのもある。

 また女の子からの好意というものを……どうしても薄っぺらく感じてしまった。


 やんわりと、女の子は苦手だからと、伝えたこともあった。


 しかし大抵は相手にされなかった。

 ただ恥ずかしがっているだけでしょう? と。

 女の子が嫌いな男の子なんて、いるはずがない。


 そんな感じだ。

 勿論、すべての女の子がそういうわけではなかった。


 中には俺に配慮して、適度な距離を保ってくれる女の子もいた。

 そんな女の子の一人と……話が少し合い、親しくなったことがあった。


 友人と言える関係になったと、言っていいだろう。

 頻繁に挨拶を交わしたし、出会ったら立ち話をするような……そんな関係だ。


 まあ……しかしそんな関係も長続きしなかった。

 ある時から彼女は唐突に俺を避けるようになった。


 何か、気に障るようなことをしたのか。

 傷つけてしまったのか。

 そう思って、彼女に尋ねた。


 すると彼女は申し訳なさそうにしながら答えた。

 あなたと関わると、仲間外れにされるの。


 ……薄々、察していた。

 

 ウィンチスコット家は臣民公爵の中ではもっとも歴史が古い名門であり、そしてまた国一番の富豪だった。

 そして(自分で言うのもなんだが)俺の容姿は優れていたし、勉強はスポーツもよくできた。


 だからだろう。

 女の子からの人気は高かった。


 特に今代の女王陛下の曾孫に当たる少女、お姫様からはとても気に入られていた。

 俺と特別に仲良くすることはお姫様の機嫌を損ねることに繋がった。

 俺と関わって良いのはそのお姫様と、お姫様に認められた少女だけだった。


 単純な話だ。

 彼女は俺との関係よりも、お姫様のご機嫌を優先したのだ。


 その時から、女の子がとても苦手になった。

 そして恋愛というものも嫌いになった。


 父と母が俺に構ってくれないのは、二人がそれぞれ別で恋人がいるから。

 使用人が勘違いしたのも――彼女の行為の意味は分からなかったが――きっと痴情のせいだろう。

 女友達が離れたのも、くだらない恋情に振り回された結果だ。


 あぁー、くだらない。

 本当にくだらない。


 何が良いのか、さっぱりわからない。

 女の子も、恋愛も。


 どうだっていいだろう。


 学院には出会いが多い?

 学生時代はモラトリアムだから、自由に恋愛をしても良い?

 恋愛は青春の、学生生活の醍醐味の一つ?


 馬鹿らしい。


 どうせ、貴族なんて結局、恋愛感情なんて関係なく政略結婚をするじゃないか。

 そして跡を継がせるための子供道具を作る。

 俺の父と母と、同じように。


 学生時代は自由に恋愛をしても良いとか、モラトリアムとか。

 そんなものは卒業後には大人しく、政略結婚をすることが前提の話だろう?


 恋愛なんて……意味のない、無駄なことだ。

 だから俺はそんなくだらないことは絶対にしない。


 ………………

 …………

 ……


 そう思っていたのに。

 俺はオリヴィア・スミスという少女に恋をしてしまったのだ。

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