第32話 弟との再会

 リオンは休み明け、いつもよりも早めに出勤した。


 何故か自分の秘密を知っているケリードと話をしたかったからだ。

 ケリードは以前から意味深な発言をしてリオンを困惑させている。


 私の秘密は守るというようなことも言っていた。


 どうして自分の正体を知っているのか、一体、何が目的なのか、それをはっきりさせる機会が欲しい。


 しかし、人前でできる話ではないのでどこかで時間を作らなければならないと考えている。


 リオンは職場に向かう途中にある庭の側を歩いていた。

 朝露に濡れた早咲きの薔薇が美しく、視線を奪われる。


 温かい日が増えてきたわね。


 春の花のような空気から夏の新緑を感じる空気に変わりつつあった。

 あと一か月もすれば向日葵が咲く季節になる。


 リオンの元に届く三人の支援者からの手紙の中に、必ず向日葵が添えられたものがあった。それは『J』からの手紙である。


 リオンの気持ちに寄り添おうとするような内容と共に、いつも小さな向日葵の花を添えてくれた。


 その美しく、小さくて愛らしい向日葵がリオンの心を温かくしてくれた。

 暗く寂しいリオンの心に小さな太陽のような向日葵は希望の灯でもあった。

 暑いのは好きじゃないが、向日葵が咲く季節は気持ちが明るくなる。


「この庭に向日葵は咲くのかしら」


 そんな風に思いながら歩いていると、誰かの話し声が聞こえてくる。

 角を曲がった向こうに二人の人影がある。


 どこかで聞き覚えのある声だと思えば、医務官の女性とケリードだった。

 医務室にいたあの時の白衣の女性だ。


 死角にからちらりと様子を窺うと親し気に会話をする二人に何故かムカムカした。

 胸の中が重くなるような感覚にリオンは戸惑いを覚えた。


 おかしいわね……別に体調が悪いわけじゃないのに……。


 女性がケリードの頬にすっと手を伸ばし、愛おしそうに微笑む。


 その姿を見て何とも言えない不快感に身体が飲み込まれ、リオンはその場を離れた。


「女なんて鬱陶しいって言っていたくせに」


 そうは言っても、恋人は特別なのだろう。

 恋人一筋というのであればむしろ好ましいと思う。


 けれど、リオンは仲睦まじい二人の姿を見ることが耐えられなかった。

 自分でも何故か分からず、混乱してしまう。


 少し落ち着こう。


 始業時間までまだ時間はある。

 庭の花でも眺めて落ち着いてから職場に向かうことにした。


 始業前にケリードと話をするのはまた別の日にしよう。


 リオンは庭に出て薔薇を眺めた。

 美しい花々や緑はリオンの荒ぶった感情を溶かしてくれる。


 するとガサっと木葉が擦れる音がした。


「待って、ラウ!」


 ラウ? 


 声がした方向を振り返ると視界に飛び込んできたものにリオンは目を丸くした。

 ぴょーんとリオンの胸に飛び込んできたのは白い兎だった。


 リオンの胸に頬釣りをして口元をぴくぴくと動かす様子が大変可愛らしい。


「あら、あなた……」


 あの時の兎ではないだろうか。

 少し前に室内に迷い込んだ白兎だ。


 また会えたことにリオンは感激する。


「すみません、少し目を離した隙に逃げてしまって」


 この子は飼われている兎らしい。

 人懐っこくて毛並みが良いはずだ。


「いえ、この子凄く可愛くてお利巧で……え……?」


 リオンは顔を上げ、飼い主を思われる人物に視線を向ける。


 目の間に立つのは一人の少年だ。


 さらさらとしたキャラメル色の髪、緑色の瞳、垂れた目元は優し気でリオンの記憶の中の母と重なって見えた。


「シオン…………」


 リオンは感嘆の声をぽつりと零した。


 自分の知る弟は二歳か三歳の幼児だ。

 頭の中で何度も成長した彼の姿を想像してきた。

 自分の思い描いた成長した彼が目の前に合わられたのだ。


 再会できた嬉しさと成長の感動、その成長を側で見られなかった悔しさと、母によく似ている容貌が懐かしく、様々な感情が込み上げてくる。


 気付けば頬に涙が伝う。


 涙を拭うことも忘れて、リオンは成長した弟の姿を目に焼き付けていた。


 いきなり泣き出したからだろうか、シオンが酷く狼狽した様子でこちらを凝視している。


「ね…………姉さん?」


 その言葉がシオンから発せられ、リオンは嬉しさで身体が震えた。

 つかつかとシオンが歩み寄り、リオンの腕を掴む。


「そうなんでしょ⁉ ねぇ⁉」


 リオンの腕から白い兎が逃げ出し、シオンがリオンの肩を掴んで顔を覗き込み、問い詰める。


「どうして何も言ってくれないの? 俺のこと忘れちゃったの?」

「そんなわけっ……!」


 苦しそうな表情でリオンを問い詰めるシオンの言葉を反射的に否定する。

 しかし、それが正解なのか否なのか判断出来ず、中途半端なかたちになる。


 そして身体に何かが触れたと思ったらシオンに抱きしめられていた。


「……姉さんっ……!」


 ぎゅっと力強く抱きすくめられ、シオンの体温を感じながらリオンは堪らない気持ちになる。


 あんなに小さかった弟がこんなにも立派に成長している。

 自分よりも背も伸びて、体つきも声も男性らしい。


 まだ会えない、そう思っていた。


 もしかしたら恨まれているかもしれないし、自分のことなど覚えていないかもしれない。


 全てが片付いてから姉として弟を迎えに行きたい、それがリオンの願いだった。


 まだ何も片付いていないし、何もなしえていないけど、再会を果たしてそれを喜ばずにはいられない。


 自分はシオンの言葉を否定できない。


「おいっ! 何してるんだ⁉」


 すぐ側で荒げた声が聞こえ、リオンはシオンと強引に引き離される。


「リオン、大丈夫か⁉」


 声の主はオズマーだった。

 無理矢理シオンをリオンから引き剥がし、シオンがよろける。


「お前、どういうつもりだ?」


 低い声でオズマーはシオンを睨みつける。


 マズイ!


 オズマーにはリオンがシオンに無理矢理抱き着かれたように見えたのかもしれない。


「待って、オズマー! 違うの!」


 リオンは慌てて否定する。

 そうしている間にシオンが深く頭を下げた。


「申し訳ありません、人違いをしてしまいました」

「……え?」


 シオンの言葉にリオンは目を瞬かせる。


「人違いで抱き着いたってか?」

「お恥ずかしながら……しばらく会っていない姉によく似てらっしゃるもので……申し訳ありません」


 シオンは俯きながら謝罪を重ねる。


 あんまりにも素直に謝るのでオズマーはどうしたものか、判断に迷っている。


 眦に涙を溜めて流れ落ちないように必死に堪えるシオンを見てリオンも弟を抱き締めたい衝動に駆られた。


「あのっ」


 リオンはシオンの手に触れ、ぎゅっと握り締める。


 もう昔のように小さい手ではなく、大人の手をしていた。


「私にも、弟がいるの。ずっと、ずっと会いたくて……でも、訳があって今はまだ会いに行けないんだけど……」


 どうしてもこれだけは伝えなくちゃ!

 

 そう思い、リオンはたどたどしくなりながら言葉を紡ぐ。


 リオンの言葉にシオンはゆっくりと顔を上げた。


「きっと今頃、成長して貴方のようだと思ったの。こちらこそ、驚かせてごめんなさい」


 リオンはそこで言葉を切る。

 


「なら、いつ会いに行くんですか?」


 シオンは真っすぐにリオンの目を見て問い掛けた。



「大きな仕事が片付いたら……迎えに行きたいの。できれば……一緒に暮らしたい……」


 リオンは一方的な望みを口する。


 何年も音信不通で連絡もしなかった自分を簡単に許してはくれないかもしれない。


「なら、早く会いに行って下さい。きっと待ってる」


 そう言ってシオンは微笑んだ。

 細められた目尻から涙が零れ、それを見たリオンも涙を流した。








「何で言ってくれなかったんですか?」


 シオンは白い兎を抱いたまま、目元を袖で拭い、不満を口にする。

 しかしその声音に憤りはなく、喜びに満ちている。


「期待させて突き落とすことになったら傷付くでしょ」


 ケリードはシオンにハンカチを差し出す。

 人通りのない庭の片隅でシオンは喜びの涙を拭っていた。


 今まで何人もリオン・スチュアートを名乗る人物を見てきたがその度に失望してきた。


 その多くはスチュアート家の財産が目当てで、リオンを名乗る人物が現れる度に期待と失望を繰り返してきた。


 今回もそうなるかもしれないと、ケリードは敢えて彼女のことを口にしなかったのだ。


「姉であることは一目瞭然じゃないですか。貴方だって分かってたくせに」


 唇を尖らせるシオンだがその表情は綻んで喜びを抑えきれないようだ。


「嬉しいのは分かるけど、なるべく感情は抑えてよ。君が原因であいつらに悟られたら困るからね」

「勿論です」


 本当に?


 にやついたシオンを見るとケリードは心配になる。


「俺よりも小さかったです。背も低いし、細いし、華奢だし……それなのに王宮警吏なんて危険な仕事してるんですね」


 リオンに握られた手と思わず抱き締めた時の感想をしみじみと伝えられ、ケリードは少しだけ不愉快な気持ちになる。


 しかし、長年切望してきた姉との再会がようやく叶ったのだから色々思うことは多いだろうと自分の気持ちを抑える。


「君のためだよ。弟と家門のために、彼女は危険なこの仕事を選んだんだ。君と穏やかに暮らせる日を君と同じように夢見てるんじゃない?」


 これはあくまでもケリードの推測に過ぎない。

 だが、おそらく当たっている。


「そうなったら、余所の男の入る隙はないと思って下さいね」

「君、いつからそんなに可愛くなくなったの?」


 いつかリド兄様と姉様とシオンの三人で暮らしたい、そう言っていた頃をケリードは懐かしんだ。








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