第22話 戸惑い

 遠くから人の声が聞こえてくる。


 誰かが会話をしているようで、意識の覚醒に向かって鮮明になった。


 リオンが目を開けるとそこには見慣れない天井が広がっていて、自室ではないことは理解した。


 リオンが寝ているベッドをぐるりとカーテンが囲んでいて、少し薬品の匂いがするので医務室だと思われた。


 私、何で寝てるんだっけ……?


 疑問と共に胸にズキっと痛みを覚えた。

 痛みを和らげようと胸を擦り、深呼吸を繰り返す。


 そう言えば、ケリードと資料室で話をしていた最中で……。

 

 胸に強烈な痛みを感じてからの記憶がない。

 ここまで運んでくれたのはもしかして彼なのだろうか。


「ふふっ、可愛い子ね」


 若い女性の声が聞こえて来た。

 カーテンの向こう側から聞こえてくる女性の声は弾んでいて、何やら楽しそうだ。


 リオンはゆっくり身体を起こして椅子の背もたれに掛けてあった上着とネクタイを手にしてカーテンの隙間から向こう側の様子を伺う。


 そしてその光景を見て顔を顰めた。


「ちょっと……仕事中でしょ」


 何してんのよ、あの男。


 聞き覚えのある声だと思えば、そこにいたのはケリードだ。


 白衣を来た若い女性がケリードと向かい合い、腰に腕を回して抱き着いていた。


 それを目にした瞬間、リオンは胸の中で苛立ちが膨らみ、怒鳴りつけたい衝動に駆られた。


 頬が引き攣り、額に青筋が浮かぶが、憤りは自分の胸に抑え込む。


 この男がどこで誰と何をしていても自分には関係ない。

 だが、ここでいちゃつくな。


 私の前では止めろと声を大にして言いたい。


「いいじゃない。王宮警吏になったらもっと沢山会えると思ってたのに、全然会いに来てくれないんだもの」


 不満そうに唇を尖らせる白衣の女性にケリードは溜息をつく。


「忙しいんだよ。仕方ないでしょ」


「知ってるわよ。ねぇ、今度の私の誕生日、リム・ルージュラのネックレスが欲しいわ」


 大通りにある貴族御用達の宝石店の名前が飛び出す。


 リオンも名前だけは聞いたことのある店だ。

 王宮警吏は世間的には高収入だが、リム・ルージュラのネックレスは荷が重すぎる。


「分かったよ。リスト送って」

「良いの?」

「どうせ、欲しいのはネックレスだけじゃないんでしょ」


 甘すぎじゃない?


 リム・ルージュラのネックレス一つでも相当高価なはずだ。

 それ以外にも彼女にプレゼントを贈るつもりらしい。


 リオンには意地悪ばかり言うケリードも好きな女性には甘いらしい。


「ありがとー!」


 喜ぶ女性はケリードにぎゅっと抱き着いて頬にキスをする。


 それを目にした瞬間にリオンは限界が来た。

 リオンはわざと大袈裟にカーテンを開く。


 それに驚いた女性がケリードから飛び退いた。


 ケリードも目を丸くして固まっている。


「そういうのは人がいない所でして下さい」


 刺々しいリオンの言葉に白衣の女性は気まずそうに宙に視線を泳がせる。

 リオンは上着に袖を通し、歩いて扉に向かう。


「待ちなよ」


 突然、腕を掴まれた。


 リオンを引き止めたのはケリードである。


「離して」


 ケリードの腕を振り払い、リオンはケリードを睨みつける。

 不愉快そうに顔を顰めるケリードがそれはリオンも同じだ。


 二人が無言で睨み合っていると『えーと、ちょっと用事思い出したから出て来るわね~』と言って白衣の女性は医務室を出て行く。


 女性の足音が遠ざかった頃、先に口を開いたのはケリードだった。


「急に倒れるから驚いたんだけど。気分はどう?」

「すこぶる悪いわ」


 あんたと女性のやり取りを見たら悪化した、と言ってやりたい。


「具合が悪いのは分かるけど、何でそんなにイライラしてるの?」

「イライラなんてしてないわよ」


 ケリードに指摘されることで苛立ちが増す。


 本当はイライラしているのだが、それを言い当てられたことが悔しくてリオンは嘘をつく。


「どう見たってイライラしてるじゃない。倒れた君を親切にも運んであげた僕に対してその態度はどうなの? 人として」


 そう言われるとリオンは押し黙る。

 確かに、人として礼を欠くようなことはしたくない。


「………………アリガトウゴザイマシタ」


「感謝の気持ちが伝わらないけど。まぁ、良いよ。それより、まだ横になっていた方が良い」


 たっぷり間を開けて片言で礼を述べるリオンにケリードは嘆息する。


「もう平気よ」

「平気に見えないから言ってるんだよ」



 ケリードはそう言うがリオンはその気遣いに居心地の悪さを感じた。


 お礼は言ったし、もうここを出よう。

 そう思って扉に足を向けるが急に視界が歪んだ。


「っ……」


 身体が大きく傾き、転倒を防ぐために壁に向かった腕を伸ばすが虚しく空を切る。


 マズイ。


 ケリードの前で醜態を晒すのは絶対嫌だ。馬鹿にされるに決まってる。

 何とか転ばないように体勢を立て直したいが身体が言うことを聞かない。


 そのまま床がリオンに迫り、目を瞑った。


 しかしドサッと重たい物が落ちる音が聞こえ、恐る恐る目を開ければすぐ側に整った顔貌があり、リオンは固まった。


 本当に王子と呼ばれるだけあって端正な顔立ちに黒縁の眼鏡が知的な印象を与えて惚れ惚れする容貌なのだ。


「ほら、全然平気じゃないじゃない」


 唇を尖らせて不満そうにケリードは言う。

 まるで子供が拗ねるような仕草が少しだけおかしいと思えた。


 ひょいっとリオンを抱きかかえてしまう。


「降ろしてよ」

「降ろした所でひっくり返るだけでしょ」


 ケリードはリオンをカーテンで囲まれたベッドに連れ戻す。

 皮肉っぽい口調なのにリオンを運び、ベッドに座らせる手つきは優しくて驚いてしまった。


「鏡見る? この世の終わりみたいな顔色してるよ」

「どんな顔よ」


 リオンをベッドに座らせたケリードはそのままリオンの足元に跪き、リオンのショートブーツを脱がせ始めた。


「ちょっ……ちょっと!」


 恭しく膝を着いて優しく足に触れられて、リオンはドキッとした。

 リオンの声を無視してケリードは口を開く。


「君、持病があるの?」


 ブーツを脱がしながらケリードは言う。


「……ないわ」

「何で倒れたのか原因は分かってるの?」


 左足のブーツを脱がし終え、右足が少しだけ持ち上がる。


 ケリードの手が足に触れ、ビクッと身体が震えた。


 リオンに触れる手は優しくて、何だか少しだけくすぐったい。


 ケリードに問われて原因を考えるがリオンには心当たりがない。


 強いて言えば朝食の量がいつもよりも少なかったことぐらいだろうか。


「…………貧血……かも?」

「胸を押さえて失神する貧血なんて聞いたことないんだけど」


 ブーツを脱がせ終えたケリードは呆れた声を出す。


 リオンも自分で言っておいてなんだが貧血ではないと思っている。

 かといって他にそれらしい原因も分からない。


 昔から身体は丈夫だし、大きな怪我もしたことはない。


 父母も心臓や脳に疾患はなく、丈夫だったとジェイスから聞いているので遺伝的な疾患はないと思う。


 しかし意識を失うほどの強い胸の痛みを感じたのだ。

 今もまだその余韻が残っている。


「ほら、上着も貸して」


 ジャケットを寄越せと、手を出すケリードにリオンは疑問を持たずにはいられない。


 何でこんなにも私に構うのか。


 そして倒れる前の資料室での会話を思い出し、リオンの中で警戒心が膨らむ。


「僕に脱がせて欲しいのかな?」


 目がすっと細められ、形の良い唇が弧を描いた。

 薄く微笑む彼は顔が良いだけに酷く蠱惑的に見える。


「わ、分かったわよ……」


 リオンは上着を脱いでケリードに渡すと、ベッド脇にあった椅子の背もたれに掛けてくれた。


 リオンはベッドの上で身体を起こしたままの状態で毛布を脚に掛けた。

 ケリードは椅子に腰を降ろし、長い手足を組んでリオンに視線を向ける。


「で? 急にどうしたわけ?」

「……何でそんなに私に構うのよ」


 改まって症状を聞き出そうとするケリードにリオンは言う。


「知っておきたいんだよ。今後のためにも。だから隠さずに話して」

「今後って何?」

「それは資料室での会話の続きになるから今は置いておこう」


 その言葉にリオンは心臓を掴まれたような感覚を覚える。


 今まで誰にも言わず、気付かれなかったリオンの秘密を何故この男が知っているのだろうか。


 そう思うと身体が震え、手が汗ばむ。


 リオンは手汗を誤魔化すように無意識に毛布を握りしめた。


「リオン」


 自分の名前を呼ぶケリードの声がしたと思ったらリオンのきつく握られた手にケリードの手が触れた。


 ビクッと細い肩が揺れ、反射的に振り払おうとするが、ケリードは振り払われないようにリオンの手を強く握りしめる。


「落ち着きなよ。君のことを誰かに話す気はないし、むしろバレたら僕も困るんだ」

「…………」


 どういうこと?


 リオンは無言で疑問の視線を送る。


「だからとりあえずは君の体調。具体的にどんな症状があったのか教えて」


 そう言うケリードの声は優しい。


「……胸が急に痛くなって……その、表現しにくいんだけど、刃物で刺されたような痛みがあって……」


 リオンは資料室での会話に関しては触れず、症状に関しては正直に答えた。


「強烈過ぎて、目が眩んで……」


 それから意識を失ったのである。


 それを聞いたケリードは何かを考え込むような仕草を見せる。


 長い脚を組み、口元に手を添え、女性の視線を引く完璧なポージングとなった。


 口と性格が悪すぎて完璧を逃しているが、あまりにも完璧すぎると世の中の男が気の毒なのでこれぐらいで世の中は釣り合いが取れているのかもしれない。


「……もしかして……」


 ケリードが何かを察したかのように呟く。


「……とりあえず、君はもう少し横になってるんだ。良いね?」


「でも……えっ⁉」


 ケリードがリオンの身体をベッドに押し倒し、身体が深くベッドに沈んで大きく軋んだ。


 思いもよらない行動と、ケリードに上から見下ろされ、リオンは硬直する。


「本当に酷い顔色なんだよ。どうせその辺でひっくり返って誰かに運ばれるんだからしばらく寝ていた方が良い。他人に醜態を晒したくないんでしょ」


 リオンの心を見透かしたようにケリードは言う。


 女であるリオンは縦社会の女性差別が消えない職種に就いている。


 体調を崩したり、怪我をしたりすれば『だから女は弱い』と印象を持たれてしまいそうで嫌だった。


 体調が悪くても、怪我をしてもそれを隠して仕事に臨まねばならない。

 今回のことも出来るだけ知られたくない。


 何でそんなことまで知っているのか。


 大人しくなったリオンを見てケリードは苦笑する。


「大人しく寝てるんだね」


 そう言ってケリードはカーテンの向こう側へ消えていく。


 いつものように人を小馬鹿にしたような口調ではなく、リオンへの気遣いが窺える口調にリオンは戸惑いを覚えた。

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