最終話 びっくりどっきり発言

「なに落ち込んでるの?」


 土曜日の午後、蒼空は友達と映画を観に行ってしまい家には僕と弥生さんと犬と猫が一匹ずつだけでシーンと静まりかえっていた。

 リビングの椅子に腰掛けて僕はボーッとしている。

 流石だな、弥生さん。

 僕がなんとなく落ち込んでいるのを察してるんだ。

 日頃学校の先生として目を光らせているだけあるよ。鋭い観察力だな。

 弥生さんは子どもたちのわずかな曇りの表情を見逃さないようにしたいって言ってた。


「何かあった?」

「いいや何も。それに落ち込んでないよ」

「蘭二郎さんは相変わらず嘘が下手ね。珈琲でも飲む?」

 珈琲か、どうしようかな。

「ありがとう、今はお茶が良いかな」

「分かった〜。お茶ね。ちょっとお待ち下さぁい」


 弥生さんは僕の沈んだ気持ちを明るくさせようとしてか少しおどけた調子。

 家の中にはしばらく沈黙が訪れる。

 お湯が沸いてやかんがピーッと鳴った。


「はいどうぞ。緑茶、濃いめに淹れたわよ」

「ありがとう」


 弥生さんはお茶と一緒に僕の大好きな鳩サブレーというお菓子も出してくれた。一口鳩サブレーをかじると素朴な甘さが口の中に広がる。

 弥生さんの瞳はじっと僕を見ている。僕は弥生さんの前では隠し事なんてできない。


「ねぇ? 落ち込んでないなんて嘘でしょ? 不安になっちゃったの? せっかく夢のカフェをやるために動き出して頑張って色々と準備をしているのにあなたったら自信がないの?」

 ――ず、図星だ!

「ふーっ、参ったなあ。弥生さんは何でもお見通しなんだもんな。カフェのことは順調だよ、順調。ただ本当に僕なんかが経営していけるのかってふと不安になっただけ」

「そっか。まあ分からなくもないわね。たださ、しっかりしてよパパ。落ち込んでなんていられないんだからね。あなたったらどうしてこういっつも自信がないのかしら? 順調だし問題が起きたわけじゃないのよ、大丈夫。何とかなるさって夫婦ふたりでここまでやってきたじゃない。あなたは自分で思っているよりもカッコいいし出来る男なんだからね。弱気なんて困ったパパでちゅね〜」

「んっ? ええっ?」


 弥生さんは自分のお腹に向かって話しかけている。

 愛おしそうにさすりながら。


「えっ? えっ? どうゆうこと?」

「私だって不安、私だって戸惑ってるの。人生予想外の素晴らしい出来事だってあるでしょ。あなた覚悟を決めましょ」

「それ、大地を授かった時も言ってなかった?」

「ふふっ。あなた鈍感じゃなかったわね。察しがいいわあ。赤ちゃんができたの!」


 ――あ、赤ちゃん?

 赤ちゃんって、赤ちゃん?


「ぼ、僕と弥生さんの? まさか」

「そうよ。あなたぼんやりしてる暇はないわよ。なにせ高齢出産ですからね、大地と蒼空の時以上に労ってもらわないといけないわね。まさか、まさかよ。私だってこの年になって三人目を産むことになるとねぇ」


 弥生さんの嬉しそうに笑う顔はほんのり上気して桃色に染まる。

 僕は衝撃がデカすぎて頭の中がぐるぐるして考える力が追いついてこない。


「だって、弥生さん。もうすぐ大地も蒼空も僕たちから親離れして子育ても終了だね寂しいねって言ってたじゃない?」

「そうよ、私だってそのつもりだったわよ。良いじゃない! 赤ちゃんが来てくれたんだから。それともイヤなの? 私ひとりだって産みますからね」

「イ、イヤなわけないじゃないよ、びっくりしただけだよ。僕をお父さんにしてくれたのは弥生さんと子どもたちだもの。また僕は幸せな時間をプレゼントしてもらえるんだね。ありがとう弥生さん」

「お礼はまだ早いわよ~。そうね、あなたからは、何十年か先に孫とか玄孫に囲まれた時にうーんと感謝してもらうから」

「はっ、はい。って、いやいや、弥生さんにはいつでも感謝してますよ」

「そーお? あっ、そうだ。お父さんとお母さんがぜひ蘭二郎さんのお店を手伝わせてくださいって。あの二人もカフェをやりたかったらしいわよ〜。憧れてたんだってお洒落なカフェで料理を振る舞うの。うちの実家二人暮らしには無駄に広いじゃない? 一階をリノベーションしてカフェに改造しても良いっていうのよ。あそこなら広い庭もあるしテラス席も造れるわよ」


 な、なんか僕そっちのけで話が進んでいるじゃないか。だけどもうやるしかない。

 想像もしてなかった三人目の子供を授かった僕と弥生さん。

 落ち込んでる場合じゃないや。なんとかしよう。

 人生は山あり谷ありって本当だね。

 僕の第二の人生は忙しくて楽しくなる予感がしてる。

 弥生さんと出会えた僕はとんでもなくラッキーに違いない。

 思い出が次々浮かんできてぼんやり浸っていると弥生さんのげきが飛んできた。


「しっかり頑張ってよパパ! 頼りにしてるからね。あ・な・た」


 弥生さんが僕の背中に気合いの一発を入れる。

 夫婦ふたりだけの穏やかな時間。

 ジンジンとしてる背中の余韻が心地よくさえあった。



         おしまい

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鎌倉夫婦協奏曲「何とかなるさ」 桃もちみいか(天音葵葉) @MOMOMOCHIHARE

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