第14話 シーサイド・ワンダリング
今年はラニーニャ現象の影響もあってか、猛暑続きになっている。
ニュースを見れば「夏日なので熱中症・日射病に注意!」という使い古されたフレーズが繰り返されていて、テレビの中のお天気お姉さんはいよいよ言うことがなくなったとでも言いたそうに作り笑いを貼り付けていた。
まあ暑いのは外ばかりで、室内は冷房の効き過ぎによりひんやりを軽く通り越して寒い。
そのせいで女性陣は軒並みカーディガンを羽織っている。
「先輩、16日の定時後って空いてますかぁ?」
資料チェックをもらいにきていた夢子が、ついでにハンコ下さいくらいのノリで聞いてきた。
先日の花火大会後から特に進展らしい進展はなかった。
一緒に帰る等はしていたがこう言った質問は久々だ。
16日はお盆休み明けだったような記憶がある。
連休明け早々忙しくはならないだろう。
「16日ですか? 何もないので大丈夫ですよ」
「りょーかいです。予定、ちゃんと空けといてくださいねえ」
夢子は特に意識してどうのとかはないらしい。
というか、宴会の後から夢子がぐいぐい来ていたことをすっかり忘れていた。今更特に何か変わるわけではないようでちょっと安心した。
そういえば16日は平日なのだが、平日ので良いのだろうか。
どこか遊びに行きたいとかなら全然土日でもよかったのだが。
そんな私の心配をよそに、彼女はいつもよりも上機嫌のまま自分の仕事に戻っていった。
◇
16日当日。
夢子は定時前には仕事を終わらせていた。
私の方も課長からの無茶振りがなかったからか、定時までにはスムーズに仕事が終わった。
「先輩、終わりましたあ?」
「はい、終わりましたよ。それじゃ、行きましょうか」
「はいっ!」
すでに帰り支度も終わらせていた夢子に声をかけてオフィスを後にした。
「そういえば、今日どこ行くとか聞いてなかったですね」
夢子の背を追いいつもとは違う方面の電車に乗ったあと、そういえばどこに行くのか全く聞いていないことを思い出した。
「う〜ん、そうですねえ……まだ内緒でぇ」
そういわれてしまった。
ついてからのお楽しみというやつだろうか。
がたんごとん。
目的地は分からないが海の方に向かっているようだ。
電車に揺られながら話でもするのかと思ったが彼女はスマホに釘付けになっているので私も鞄から先週買ったばかりの小説を取り出す。
私にしては珍しく恋愛小説を購入していた。
いつものように小説を買いに本屋へ行ったときに、今話題の本というポップアップ付きで入り口付近に大量に置いてあったのだ。
今やっているドラマの原作らしく、丸い文字で『話題沸騰!』と書かれていたために目を引いた。
ドラマの方は全く見ていないので知らないのだが、どうやら最終話が近いらしいことが帯紙に書いてあった。
もくじに軽く目を通して本編へ。
痴漢にあって困っている主人公の女の子が同じ電車に乗っていた青年に助けてもらうところから始まる。
助けたお礼を言う前に彼は彼女の前から立ち去ってしまうが高校入学式の当日、主人公は偶然学校で彼を見つける。
どうにかお礼を言ったが彼は全く気が付かずといった感じだ。
気持ちが晴れないまま、彼女の高校生活は幕を開けた。
彼女が助けてもらった日、彼らは私服で出会っていた。
そのため彼は制服姿の彼女と助けた彼女が同一人物だったことに気付かなかったらしい。鈍すぎる彼に主人公は何とも言えなさそうにしていたが、仲良くなるにつれて彼のいいところが見えてきたらしい。
心境の変化を上手にとらえている。
誰かを好きになるときはこうやってじわじわ気持ちが大きくなるものなのだろう。
共感することはできないが、素敵なことだとは思う。
とんとん、と肩を軽く叩く感覚があった。
小説から顔を上げると夢子が電子案内板を指差していた。
どうやら次で降りるみたいだ。読みかけのページに本屋でもらったしおりを挟む。
「先輩、その小説読んでるんですねぇ」
「はい。……あれ、夢子さんこれご存じなんですね」
「だってぇ、ドラマやってるじゃないですかあ」
「あー、そういえばそうでした」
夢子はドラマを見ているらしく、この小説も知っていたようだ。
「途中まで高校が舞台の青春ラブストーリーだったのに、終盤急に許嫁とかでてくるんでびっくりしたんですよねえ」
「えっ、そうなんですか!?」
「あっ。もしかしてドラマ見てなかったりしますかあ……?」
「えーっと……はい」
「……ネタバレしちゃってごめんなさぁい」
「大丈夫ですよ。気にしてないです」
しゅんとしてしまった夢子に声をかける。
しかし、最初の方を読んだ限り主人公を助けた彼がいいところのお坊ちゃんというわけでもなさそうだった。どこから許婚が降ってきたのかが気になる。
もしかしたら主人公の彼女がお嬢様だった、なんて説もあるかもしれない。
電車に普段乗らないから痴漢にあっても対処できなかった、というならなんとか合点がいく。
『まもなく~臨海公園、臨海公園。お出口は~』
電車が速度をゆっくり落としていき、完全に停車する。
ドアが開くのを合図に私と夢子は電車から降りた。
◇
海沿いに作られた巨大なショッピングモール、その中でぶらぶらと時間をつぶしていた。
お店の予約は夢子がしてくれていたのだが予定よりも早く着いてしまったらしい。
夕食の前にどこかでお茶をするのもなあ、という話になったのでウィンドウショッピングをすることになった。
「あー! この服かわいい~」
このショッピングモールは思ったより洋服屋が多い。
夢子は通り過ぎる全ての店にふら~と近寄って行くのでいい時間つぶしになっていた。
「うーん、この服もダメですねえ」
彼女の身長だと着れるサイズが限られているらしい。
先ほども良さそうな服があったと試着しに店に入っていったもののすぐに戻ってきた。
「あれ、服のサイズ、ダメだったんですか?」と聞いいたが、「丈は良かったんですけどぉ……胸が入らないのでぇ」と返ってきた。
服1つ選ぶのにも色々あるらしい。
「あ! これ、先輩に似合うんじゃないですかぁ?」
彼女が物色して見つけたのはブルーのロングワンピースだった。
ノースリーブタイプなのでオフィスに着ていくのは寒そうだが出歩くのには今の暑い時期、丁度いいかもしれない。
「いいですね。これ」
「いいなあ、先輩は背が高いからロングワンピもばっちり着こなせますよねぇー」
「ワンピース、というかスカートをあまり着ないのでこの服着ている自分を想像できないですけれどね」
「えー、もったいなあい」
そんなに似合いそう、と言われると買わなくてはいけない気になってくる。
流石夢子。アパレル店員のように褒め上手だ。
せっかくなのでワンピースを片手にレジに並ぶも、すでに2,3人レジ待ちをしていた。
最後尾に回る途中でバッグチャームのコーナーを通り過ぎ、可愛いバッグチャームを見つけた。
黒猫のバッグチャームらしい。ところどころラインストーンがちりばめられていて、おしゃれだ。
この黒猫、なんとなく夢子っぽさを感じる。
そう思ったら最後、買わないわけにもいかず、ワンピースを持っている手とは逆の手にバッグチャームを持ち会計へと向かった。
◇
夕食を取った店はおしゃれなスパニッシュバルだった。
平日なのにも関わらず、店内は所狭しと人で溢れており活気がある。
店頭に情報番組で紹介されました!との看板が出ていたので、かなりの人気店らしい。
夢子はハイボールばかり飲んでいるイメージがあったが、ここではひたすらに赤ワインを飲んでいた。
「せっかくなんでぇボトルで行きましょおー」とのことで、ボトル注文したワインをダイソンのごとく吸い込んでいた。
私もワインは飲める口なので、2人でボトルを1本開け、気になったワインをグラス注文し、チーズや生ハムを肴に酒を楽しんだ。
「先輩、まだ時間ありますかぁ?」
「はい。大丈夫ですよ」
「ちょっと、歩きません?」
彼女の提案で浜を歩く。
日中の太陽の光をため込んだ砂はまだ少し熱いくらいだ。
潮風に攫われた髪を耳にかけ、水しぶきを上げながら歩く彼女の後ろ姿をぼんやり眺めた。
「夢子さん」
彼女が振り返る。
髪が顔にかからないように右手で抑えていて、さながら漫画の一コマのよう。
そんなに距離は離れていないはずなのに、あたりが暗いせいか顔もよく見えない。
「なんですかぁ?」
「さっきの服屋で買ったんです。夢子さんっぽかったので」
黒猫のバッグチャームを彼女に渡した。
彼女の方から困惑したような「えっ」という声が聞こえた。あまりお気に召さなかったのだろうか。
「すみません、急に。あんまり好きじゃないですか? 猫」
「いえ、猫は好きですけどぉ……どうしてプレゼント、くださったんですかぁ?」
「あっ、いえ。別に特別何かあったとかではなく。そのバッグチャーム見たときに夢子さんに似合いそうだなぁ~と思ったので買ってしまったんですよね」
彼女が猫嫌いだったらどうしようかと思ったがそんなことはなかったらしく、安心した。
きっとプレゼントになにか裏があるのかと思われたのだろう。賄賂的な。特に他意はないということをアピールできたので疑いも晴れただろう。
「そうなんですねえ。てっきり先輩は私が今日誕生日だから買ってくれたのかと思っちゃいましたぁ~」
大事そうにバッグチャームを両手で持つ彼女から爆弾発言が落ちた。
え、今日、誕生日……?
「す、すみません。知らなくて……えっと、お誕生日おめでとうございます」
「いえ、言ってなかったのでぇ。知ってたら逆にびっくりしちゃいますよぉ。ふふっ、ありがとうございます」
にこにこ、と嬉しそうな彼女に申し訳なくなる。
「プレゼント、また今度別のものお渡ししますね」
「今もらったので大丈夫ですよお」
「でも、申し訳ないので……」
「……じゃあ」
そういうと彼女は私に近づき背中に腕を回した。
ほんの数秒。
たった数秒なのに時が止まったような感覚だった。
「誕生日プレゼントってことで。今日のところはこれで」
彼女の嬉しそうな声はさざなみに攫われて、あとは静寂だけが残った。
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