第6話 ひと悶着

 公園での出来事から夢子と劇的に仲良くなる……ということは無く、あれからも一定の距離を置かれている。

 少し変わった点があるとするなら、前より私への態度が軟化したことだろうか。


「成宮さぁん、お疲れ様ですぅ。良かったらどうぞぉ」

「うん、ありがとう」


 今日も夢子は成宮さんへのアプローチに精を出している。

 成宮さんがぐいぐい迫ってくる女性が苦手だということが分かったのか、アプローチの仕方もさりげなく気を使える女子を演出する方向にシフトしている。

 成宮さんも前ほど困った様子ではないが、依然周りからの視線が痛いのもあって苦笑いで対応していた。

 

 そんな様子を遠くから眺めていたのだが、ふと私以外にも2人を見ている人がいることに気付いた。


 この間、路地裏で夢子を怒鳴りつけていた田村さんだ。

 営業サポート課は同じフロアだが席の区画が離れているはず。

 どうしてここにいるのだろうか。


 彼女はずっと夢子を睨んでいたが、少しすると営業サポート課の場所に戻っていった。



 ◇



「あら都さん。お疲れ様です」


 トイレから出て手を洗っているところで、誰かに声をかけられる。


 洗面台から視線を上げると田村さんと大山さん、あと知らない女性が2人いることに気付いた。


「お疲れ様です」


 あまり良い印象がないとはいえ、無視する訳にもいかない。

 私は手を拭くついでに挨拶を返した。


 特に仲がいいわけでもないので会話が弾むこともなく、数秒の沈黙が訪れる。

 軽く会釈をして去ろうとしたところで田村さんがゆっくり口を開いた。


「大変ですよね、都さんも」

「えっ……?」

 

 どういう意味だろうか。


 コンマ1秒で頭を回した末たどり着いた結果は、課長からの無茶ぶりをに答えていることだった。

 課長もずいぶん悪名高くなったもんだなあ、と思っていたところで「桂木さんの教育係なんて押し付けられて」という言葉が続いた。

 ……どうやら見当違いのことを考えていたみたいだ。


 なんて言葉を返すか決めあぐねて、わざらしくポケットにハンカチをゆっくりしまい時間を稼ぐ。


「そんなことないですよ」


 当たり障りない言葉になってしまったが本心から出た言葉だ。

 ぶっちゃけ色んな人に同情されてはいるがそんなに大変ではない。


 むしろ大変なのは追いかけまわされている夢子の方である。

 私的には公園での一件で夢子と少し仲良くなれた気がしているのでモウマンタイ、と言った感じだ。


「えー? でも、あんなぶりっこと話さなきゃいけないのってしんどいですよねぇ」


 大山さんが急に割り込んできた。

 示し合わせたかのように取り巻きの(名前も知らない)2人の女性も大山さんに同意の相槌を打っている。


「仕事もできないらしいじゃないですか! ほんっとお荷物、ってカンジ~」

「言えてる~!」

 

 ここまで会話を聞いてようやく合点がいった。

 彼女たちは別に私を労いたい訳ではなく、単に悪口を言いたいだけだ。

 これに比べたらおしゃべりしたいだけの今野さんや水島さんの方がまだ可愛げがある。


 話しかけられた時よりも嫌な空気になってきたのでそろそろお暇しよう。


 この場を後にしようとする私の様子など歯牙にもかけず田村さんは続けた。


「ねえ、都さんもそう思いません? 正直、桂木さんって邪魔じゃないですか?」


 彼女は品のない笑顔でそう言う。


 邪魔じゃないですか、というのはどの立場から言っているのだろう。

 なぜそんなに偉そうにものを言えるのか不思議で仕方ない。


 そう考えているうちにだんだん頬に入れていた力が軽くなる。


「私はそういうふうに思ったことないので分からないですね」

「えー! 都さん、いい人ぶらなくてもいいのに~」


 大山さんの耳障りな声が頭に響いた瞬間に、頭の中で何かが切れた。


「確かに彼女にはよくないところも沢山ありますし、治した方がいいと思うところもたくさんあります。でもいいところもちゃんとあります。あの人は陰でコソコソ人の悪口を言いません。そういうところはあなた達よりもずっと芯が通っていて私は好きです」


 夢子は気にくわなければ本人に向かって啖呵たんかを切る。

 本人の前で悪口をいうのもいかがなものかとも思うが陰でコソコソいうより断然マシだ。


 それに大人数でコソコソ悪口を言ったり、呼び出していじめをしたり、大の大人がやることとは思えない。幼稚な行為にもほどがある。


 語尾強めに言い切った私が気にくわなかったのか、田村さんは目に見えて機嫌が悪くなっていた。

 取り巻き達も私がこんなにきっぱり言うと思ってなかったようで、「予定が狂った、どうしよう」とうろたえている様子だ。


「せっかく私が声かけてやったのに。なに、その言い方」


 どこの俺様系男子だ、と思わずにはいられないジャイアニズム100%の台詞が田村さんの口から飛び出した。

 取り巻きも「そ、そうよ! 偉そうに!」と野次を飛ばしてくる。


 この人たち、少女漫画の読み過ぎではないだろうか。


「ちょっと仕事ができるだけで偉そうに!」

 

 さっきのうろたえた調子はどこへやったのか、大山さんが金切り声を上げる。


 仕事ができるに関しては『ちょっと』ではなく『かなり』に訂正してほしい。

 毎日のように課長からの無茶ぶりに答えているのにその評価はあんまりだ。

 例をあげたらきりがないけれど……今日までに完成させてほしいという資料を午後に渡されても、その日中には資料を完成させることだってできるのだから。

 

 ここまで思考した瞬間に思い出した。

 つい30分前に頼まれた今日締め切りの書類にまだ手を着けていない。


 この人たちに捕まっている間にリミットがどんどん近づいてきている。

 時計を確認すると現在16時、絶対に定時では終わらない。


 絶望感からはあ、とため息が漏れ出る。

 それがかんに触ったようで田村さんが私に掴みかかってきた。


「調子乗ってんじゃねーぞ」

「別に調子には乗っていないのですが」


 訂正は早い方がいいと思い、すぐさま返答した。


 田村さんの機嫌が最高潮に悪いようで般若顔一歩手前だ。

 顔がケバいので般若よりも山姥のほうがあっている気もする。


 なんでこんな面倒ごとにしてしまったのか。

 前の自分だったら絶対こんな立ち回りしなかったのになあ、と後悔しつつポケットを漁り始めた。


 胸倉を掴まれているのにポケットを気にする私に田村さんは苛立ち、取り巻き達はドン引いている。


 早くカオスな空間から脱出して書類を片付けたい。

 それにこのままだと顔面にビンタも飛んできそうだ。


 私はポケットに忍ばせていた最終兵器を彼女に見せることにした。

 

「は? なにそれ」

「ボイスレコーダーです」


 その言葉を聞いた瞬間に胸倉を掴んでいた手がゆるむ。

 田村さんは勢いよくボイスレコーダーをひったくり私から距離を置いた。


 ピリッとした痛みを覚え手の甲を見ると真新しい傷が出来ていて、どうやら彼女の尖った長い爪が私の手をひっかいたみたいだ。


「別に高価なものでもないので、差し上げますよ。データもPCと同期させているのでリアルタイムでPCに保存されていますし。こちらのデータを人事部の方に提出させていただきます」

 

 先ほどまで怒りから赤くなっていた彼女の顔からどんどん色が失われていく。

 つられる様に取り巻き達もだんだん顔が青くなっていく。


 小説でしか読んだことのない『青を通り越して白い顔』というものを現実で見られるとは思わなかった。


「わ、私たちは、田村さんに、言えって言われたから、仕方なく……そう、仕方なく! 悪口を言っていたのよ!」

「そうよ! 私たちは何も悪くないから!」


 取り巻き達は先ほどと打って変わって自分を擁護するような発言をしていた。

 この謀反には田村さんも驚いたようで、池の鯉のように口を大きく開けている。


「い、いきましょ……」


 大山さんの力ない一言が合図となり、取り巻き達が逃げ出す。


 まさか置いて行かれるとは思っていなかったのか、田村さんもうろたえながら取り巻き達を追いかけて行った。



 ◇



 一人取り残された中、深くため息をつく。


 資料をまだ作り終わっていないというのにどっと疲れが襲ってきた。

 やっぱり慣れないことはするものじゃない。


 実はボイスレコーダーは半分ハッタリだ。

 私から人事部に報告するつもりもなかったが、彼女たちは前から問題になっていたことを井口さん経由で聞いていた。

 集めた証言や証拠を上の人間が精査しているころだろうし、内部調査が入るのも時間の問題だ。


「はあー……よし」

 

 景気づけに気合を入れる。

 嵐は去ったのだし、ここから踏ん張らなければならない。


 いや書類という観点においてはここからが嵐になる。

 つまりこれは嵐の前の静けさ、といったほうが正しいのだろうか。


 現実逃避はし出すと長くなってしまう。

 逃げていても資料が完成するわけでもないから頑張るしかない。最終的には根性論だ。


 それに終電までには帰りたい。

 前回のようにビジネスホテルで一晩過ごすというのはできれば避けたいのだ。


 押し付けられた今日期限の資料と戦うべく、勇み足でデスクへ戻った。

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