第2話 日和見デスクワーク
桂木夢子が配属になってから2週間が過ぎた……が。
何事もなく、とはいかなかった。
夢子は女性社員からのヘイトを稼ぐことになろうともお構いなしに、着々と男性社員に向けてアピールを続けていた。
例えば、七三分けが特徴的なインテリ眼鏡男子である佐藤さん。
国立大学を出てわが社に就職した高学歴なのだが、如何せん周りの人を見下す傾向がある。特に女性を見下した発言することが多いので、女性社員からの人気は圧倒的にワースト1位。
しかも本人は嫌われていることに気付いていないため、かなり煙たがられている。
課内の人間との会話も仕事の話題のみ。プライベートの話をしているところを一切見たことのないコミュニケーション能力逆張り人間なのだ。
そんな佐藤さんに夢子は気さくに愛嬌を振りまいて話に行っている。
「えー、佐藤さんすごぉい! Excelってこうやって使うんですねぇ。勉強になりますぅっ!」
「いやいや、これくらい普通だよ! 夢子ちゃん、分からなくなったらいつでも聞きに来てね」
「ありがとうございますぅ♪……あのう、佐藤さんって金曜日の夜って予定あったりしますかあ?」
「ううん。入っていないけど」
「じゃあじゃあ、ご飯行きませんっ?佐藤さんとプライベートでも仲良くなりたいなあって思っててぇ」
「うっうん!勿論! この辺でフレンチのいい店知っているから、連れてってあげるよ!」
「やったぁ!楽しみにしてますねっ♪」
夢子の必殺、前かがみ上目遣いがさく裂し、佐藤さんが骨抜きになっているところを自席から横目で見た。
どうやら毎日のように男性社員を誘い、ご飯にいっているらしい。
先輩社員の水島さん曰く、「絶対食事だけで済んでないわよね! ホント嫌だわぁ!」だそうな。
最初は毎日男をとっかえひっかえしている話は噂の域を超えないのだと思っていたがどうやら本当らしい。
というもの、佐藤さんを攻略していた日とは別日に、本田さんにアタックしに行っているところを目撃してしまったのだ。
本田さんはボディービルダーのような体つきをしたムキムキ人間。
本人の自慢話によるとボディービルダーの選手権にも出たことがあるらしい。
毎日誰かを捕まえては筋肉の素晴らしさについて語っている。私も捕まったことがあるのだが、捕まる回数が4回を超えたあたりからまともに話を聞いていない。
筋肉に対して愛が重いことを除けば正義漢なため、佐藤さんとは違い女子からある程度信頼もされているのだが……如何せん筋肉マニアなので、飲み会のときも「本田さんは、ねえ~。彼氏にはしたくないよね」とか勝手に言われている。
「本田さんっ! 資料の数量なんですけどぉ、この管理表から持ってくるで、大丈夫でしょうかぁ?」
「そうそう、あってるよ。夢子さんは物覚えがいいなぁ」
「そう言っていただけて嬉しいです! もっとがんばりますね♪……あのう、この間はご飯一緒に行ってくださってありがとうございましたっ! すっごく美味しかったですう♪」
「いやいや、こちらこそ! 楽しい時間だったよ! 夢子さんさえ良ければまた行かないか? この間の店の系列で美味しいステーキ店見つけたからさ」
「ぜびぜひ! ステーキ大好きなんで楽しみですっ!」
筋肉しか愛せないとか言っていた本田さんでさえ虜になっているようだ。
しかもこっちに関してはすでにご飯に行っているので夢子の行動力には目を見張った。
しかも佐藤さんと本田さんは犬猿の仲なのだ。
頭脳でロジカルに考え他人を常に見下す佐藤さんと筋肉と根性で突破する本田さんはあまりにも水と油。
前にこの2人が一緒になったプロジェクトチームは壊滅状態になっていたし、他のメンバーも胃に穴が開くレベルでストレスマッハになっていたという。
そんな2人を同時に攻略しに行っているあたり夢子の神経は図太く出来ているみたいだ。
◇
とまあ、色んな人に声をかけご飯に行きということをやっている夢子ではあるが、本命の成宮さんにはなかなかアプローチが届かないようで悪戦苦闘している。
「あっ成宮さぁん! お帰りなさあい」
フロアのドアが開き、成宮さんの姿が見えるや否やアピールを始めた。
本命の人間には5割増しで甘ったるい声をだして頑張っている。もちろんお得意の上目遣いも欠かさない。
だが当の成宮さんはというと気まずそうに「ああ。ただいま」というと、愛想笑いをしているだけだった。
それもそうか。
夢子の後ろにいる社員たち(しかも男女両方)から羨望だったり懇願だったりの視線を送られたら誰だって苦笑いになる。
成宮さんが足早に自席に着くもあきらめずに夢子はその後を追う。
彼の席は私の席から離れているため会話の内容までは聞こえなかったが、大方、「今日ご飯行きませんか?」と聞いて、「ごめんね」と言われているのだろう。
ちょうど課長が成宮さんを呼びに来たところで夢子の猛攻は終わった。
少しもしょんぼりしている様子を見せないので、やはり彼女の神経は図太くできているようだ。
その様子を自席で日和見しているところで声をかけられた。
「あの。都さん?ちょっといいかしら」
「はい、なんでしょうか」
「ここだとあれだからちょっといい?」
呼び出し方が完全に中高生の喧嘩の時のそれなのだが。
私は短く「わかりました」といい、彼女の後に続いた。
どこに連れていかれるのやら、と思っていたがフロアを出てエレベーターホールに来たところで屋上に行くのだろうと察しがついてしまった。
彼女、
他人にも自分にも厳しくがモットーで、どんなに仲の良い人間であったとしても仕事中であったら容赦しない。
しかしいつでも厳しいというわけではなく9時~17時がこのモードなのだ。
仲のいい人曰く、心根が優しい人なので時間制限付きで厳しくしているそうな。初めて飲みに行ったときに二重人格なのかと驚いたものだ。
そしてこの人は成宮一樹のことが好き、ということでも有名だ。
本人は誰にもバレていないと思っているのだが……態度が仕事中モードであったとしてもあからさまに違うのだ。口調はどこか優しいし、言葉もきつくない。
しかも今までは上下スーツでカッチリ着こんでいたのにある時からクールなオフィスカジュアルになっていた。
そのこともあり、課内では井口さんの恋心は筒抜けのものとなったのだ。
◇
チンッと鳴り、エレベーターが開く。
井口さんに先に降りてもらうべく『開』ボタンを長押しする。
彼女は小さく「ありがとう」と言ってくれたが、その口調はいつもよりも固く重たかった。
屋上はそこまで広くないが緑豊かな憩いの場となっている。夏や冬は流石に
今は冬なので利用者も無く、井口さんと私だけがこの場にいた。
般若のような顔つきのまま、井口さんが「とりあえず、これ」とあったかい缶コーヒーをくれた。
「ありがとうございます」ときちんとお礼を言う。
彼女に座るよう催促されたのでベンチに腰をかけた。それを見計らって彼女も私の隣に腰をかけた。
「あのね、都さん。桂木さんのことで話があるんだけど」
「はい」
「あの子の品行、どうにかならないかしら。皆、仕事中に声をかけられて迷惑しているのよ。仕事に関する質問だって教育係である貴女にすればいいでしょう? もっと教育係としてしっかりして欲しいのよ」
井口さんと決して短くない時間をともに仕事をしているが、ここまで厳しい口調の彼女をみるのは初めてだ。それほどまでに夢子のことをよく思っていないことが態度からにじみ出ている。
しかも『皆』と彼女は言っていたが具体的には成宮さんの話をしている。
夢子が女性陣に声をかけることは全くなく、なおかつ夢子のことを迷惑そうにしているのは成宮さんだけだ。
井口さんは品行方正そのものだし、夢子のように積極的にアプローチ出来ないから嫉妬している節もあるのかもしれない。
そのことを突っ込んだところで仕方のないことだと思うし、黙ってはおくが。
少し俯きながら考えていた私を見て傷ついたと思ったのか、井口さんは言葉を探しているようだった。
厳しいけれどなんだかんだ優しい人なのだ。
「桂木さんの行動が貴女の評価に関わると思うし。……それに貴女。桂木さんの終わらなかった分の仕事、やっているでしょう? 確かに入ったばかりで慣れないから大変かもしれないけれど、男性とご飯に行くためだけに自分の仕事を途中でほっぽり出して他人に任せるなんて言語道断だわ」
釣り目気味の目をもっと鋭くして彼女は言った。
確かに井口さんが言っていることは合っている。
ここ2週間、彼女は男性とご飯に行くために何回か私に仕事を押し付けてきたことがあったのだ。
「都先輩、お願いしますねえ~」
と私の仕事用チャットの個別アカウントにファイルを送りつけてきたときは何だコイツと思ったし注意しようかとも思ったのだ。
しかし最初だし甘めに見たほうがいいのかな?と思いその時は注意しなかった。
釈然としないまま夢子のやりかけの仕事をやり始めたときに違和感に気が付いた。
後は細かい数字をチェックするだけでその資料がほとんど完成していたのだ。
色んな人に質問したり話をしたりしている内容を聞いて判断したところ、夢子のレベルはそこまで高くないと思っていた。
佐藤さんあたりに手伝ってもらったのかと思い、次の日さりげなく佐藤さんに聞いてみたものの答えはNO。違う人間が手伝っただけかと思っていたが、夢子が資料作成しているところを盗み見てとそうでないことが分かった。
彼女はスペックが高いのにも関わらず隠しているのだ。
そのことを聞こうと思ったタイミングで別の人(といっても男だが)に話しかけに行ってたり、コーヒー買いに行ったり。
結局、聞けずじまいで終わっていたのだが。
「確かに夢子さんの仕事を代わりにやったことはありますが……彼女の資料はほとんど完成していましたし、後はチェックするだけだったので」
「……いいのよ、桂木さんを庇わなくて」
「いえ。庇っているとかではなく」
ありのまま話してみたものの信じてはもらえなかった。
私から井口さんや課長に資料を展開しているからか、夢子のやりかけを私が直したと思われてしまったようだ。
「まあ、いいわ。とにかくあの子のこと何とかして頂戴ね」
井口さんはグイッと缶コーヒーを一気飲みし、ごみを捨てて颯爽と去っていった。
ベンチに一人取り残された私は寒空の下、ちびちびとコーヒーを飲み、足取り重くフロアに戻るのだった。
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