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 間引きも不定期に偏りを見せ。妖魔の数の抑制がままならぬ地方領では、頻繁に街道を往来する旅人であれば、妖魔の蠢く影を街道沿いの森で。草原で。湿地で。荒野で。少なからず見かけた経験があった事だろう。


 もし妖魔が物語で語られる人間を憎悪する。或いは必滅を掲げる知性ある種であったなら。今も尚、人類は種の存続を賭けて妖魔との泥沼の生存闘争を繰り広げていただろう。


 しかし現実の妖魔の存在とは世界に弾かれた忌み子の名ではない。獰猛で好戦的ではあれど、必ずしも人間に敵対的であるかに付いては未だ定義出来ぬ論争の内にある。


 経験と記録を重ねた歴史を鑑みて。種として妖魔の危険度は例えて山道で野生の熊に遭遇するに似るとされている。にも関わらず妖魔が類を見ぬ驚異的な化け物と恐れられ忌み嫌われるのは一つの大きな理由から。『人喰らい』の通称で知られる特有の異常行動を示す為。


 妖魔は外なる魔力を取り込む事で本来は他の摂食を必要としないとされている。が、補食の対象が魔力を有する生物ならば時として、その血肉を喰らう事もある。


 それが表すべき妖魔と言う種の因果の全て。


 嘗て使徒となり、知恵を有した妖魔が語る。


 それは抑制が効かぬ餓えであるのだと。


 人間を喰らう事で満たされる渇きは食に類するモノでなく、たがの外れた狂おしい情欲が如く。人間の味を知り執着を知った個体は獲物えものを求めて街道を徘徊し村や街すら襲いだす。


 討伐者が請け負う事になる依頼の大半は放置すれば確実な被害を被るソレら『人喰らい』であり。村むらが身銭を切ってまで討伐者を雇うのはそうした理由からでもあった。


 人喰らいの妖魔を見分けるのは簡単だ。


 何故ならば......。





 森から近づく喧騒に街道を歩む少女の足が止まる。


 外套のフードを外して露に晒したかんばせを森へと向ける少女の長い金髪が宙に舞い。日差しを受けて湛える黄金は輝きを増す。


「────逃げなさいっ!!!!」


 混乱ゆえだろうか、呆然とその場を動く様子を見せない少女に対して。駆けながら叫ぶアリシアの警告は悲痛な響きを帯びていた。


 刹那に。


 大地を震わせ木々の間から妖魔の異形が姿を現し。迫る影。少女との距離は未だアリシアよりも遥かに近い。状況に於いては不運ながらも鋼の猟犬の連携は見事なモノで。赤斑を街道に誘導しながらもアルダルとリュースは巧みに注意を引いては逸らし。街道に至るまでに完全に妖魔の視認範囲から外れていた。


 経験に裏打ちされた熟練の妙技ではあるが......結果的に開けた視野に新たなる獲物の姿を捉えた赤斑は。獰猛な眼差しを少女に向けて地鳴りの如く咆哮を上げていた。


「くそがっ!!」


「間に合わねえ......」


 瞬刻遅れて赤斑の後方の茂みから姿を見せたアルダルとリュース。二人が目にした光景は絶望的で。少女に迫る妖魔の意識を逸らせ。更なる誘導を試みるには既に......いや、全てがもう遅過ぎた。


 ────しかし。


「ぶちかませっ アリシア!!!!」


 この場で諦めぬ者が二人。離れた茂みから姿を見せたネイトが叫ぶ。視界に映すアリシアと赤斑の位置関係は離れているが横並び。


「疾く駆けて弾けよ炎っ」


 鋭い美声は歌の音を響かせて。魔紋は砕けて花弁を散らし。刹那に生じた炎弾は風より速く赤斑を襲う。回避など不可能な速度。正確無比な炎弾は無防備な赤斑の側腹部に直撃し────即座の爆音と遅れて生じた爆風が周囲の大気を震わせて全方位へと放たれる。拡散された放射熱は風下なれど離れた場所に位置するアルダルの髪をもチリチリと焦がす程に。


 魔術師たちは魔術を位階で区別をするが、『火炎フレイム』が発生させる中心部の燃焼温度は生物が耐えれる限界を遥かに超えて。照射熱が生み出す爆風は生体構造を無慈悲に破壊する。


 魔術師の定義する魔術の難度が必ずしも実践の上での殺傷能力と同義であるとは限らない......。赤斑を中心に燃え上がる火柱が天を焦がす光景に。誰しもがそれを肌身に感じていた事だろう。


 燃え盛る炎の柱を眼前に。何かを思い出しているのだろうか、とてもとても嫌そうに整った調和を崩して眉根を寄せる少女だけは別として。


 断末魔の咆哮もなく。絶えぬ炎を前にしてアリシアの身体は力が抜けて膝を付く。安堵は疲労を呼び起こし瞬間的な虚脱感に襲われていたのだ。見渡せば他の面々も大差なく。表情はほっと一息。肩の力が抜けている。


 が、安堵など束の間で。即座に状況は暗転し。


 炎の柱を突き破り赤斑の巨躯が姿を現す。


 獰猛な眼差しは少女を捉えて離さず。赤錆の如く外骨格は熱に対して蒸気は上げれど傷一つ。焦げ跡一つ付いてはいない。それは恐るべき硬度。恐るべき耐熱性。この瞬間......鋼の猟犬の全ての者が変異種に対する認識の甘さを実感し。皮肉にも今後の教訓を得た事であろう。


 対価は理不尽に巻き込んだ少女の命。


 ゆえに誰もがこれから始まる惨劇から目を背けない。後悔と共に己の未熟さを胸に刻み込む為に。二度とは繰り返さぬ為に。


 勢いのままに突進する赤斑。少女は左の手を伸ばして翳す。


 それは余りに儚く憐れな抵抗。この重量の突進力であれば強固な城壁すら穿ち足る破壊力を秘めたモノ。さながら暴風に曝された木葉の如く、少女の末路は誰の目にも明らかであった。


 街道に大気が震える震動と轟音が響き渡る。


 ギシッ......ギシッ。


 ミシッ......ミシッ。


 間断なく何かが軋み。


 アリシアもネイトも......全ての者がソノ光景を前にして呼吸も忘れて呆然と。ただただ見つめて立ち尽くす。


 少女の細腕の先。翳した手の平は。其処がまるで世界の境界かの如く赤斑の胸部を支えて押し止めていた。尚も六脚は激しく石畳を蹴り上げて抗い続けているが反してその巨体は微動だにしない。


 瞬間に少女の肢体が宙を舞う。


 赤斑を支える左手を支点として、トンッと軽く地を蹴って。一度の跳躍は赤斑の頭上に────流れる動作で撃ち下ろされる右拳。鋼鉄がひしゃげる如く金属音が鳴り響き。瞬間に大地に叩き付けられた赤斑の頭部は衝撃の凄まじさを現す様に石畳は砕け散り。陥没して大穴を作りだす。


 それは瞬き程の一瞬で。


 宙に舞う黄金が遅れて大地に足を着く。


 流れる沈黙に。


 「あんた一体────」


 ネイトの驚愕の声は続かない。


 頭部を完全に粉砕された赤斑の胴体部が不自然に蠢き膨張すると、内部から爆散して大量の黒血と残骸を周囲に撒き散らした為に。


 少女が振るったのは物理的な拳の一度の打撃。どうすればソレがこんな現象を引き起こすのかネイトには理解が及ばない。魔法の類いか体術か。分かるのは......。改めて見据える少女の姿。身に纏う外套が黒色なのは返り血を目立たせぬ為なのだろうと。


 ふうっ、と澄んだ鈴の音は息を付き。未だ状況を飲み込めず呆然として動きを止めている鋼の猟犬の面々を見渡して。


「皆さん。こんにちはっ」


 全身は黒血に塗れながらも。


 少女の第一声は恐ろしく友好的な響きを宿し。湛える表情は不自然に。だが華の在る可憐で絵になる笑顔であった。


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