Spell On Me

登々野つまり

Spell On Me

与えられたことを一生けん命頑張る。


 当たり前のことかもしれないけれど、私が一番大切にしていることだ。

 けれど私、音川おとがわ来未くるみ16歳はあまり器用ではない。

 所謂「お嬢様」と他人から羨望の対象となる家庭で育った私は、その家柄か、過保護気味に育てられたこともあって、周りの人は一歩引いた距離感で私に接していた。

 そんな「他人と違う」環境を抜け出したくて、高校は無理を言って全寮制の高校に入学して、休日には社会勉強も兼ねてコンビニのアルバイトをしている。


 アルバイトを始めたのはいいものの、初めての接客に戸惑ったり、うまくレジ打ちができなかったり、失敗の日々が続いている。

 それでも、ここでは誰一人私を特別扱いせず、私を一人のドジな女の子として見てくれるので居心地がいい。

 だから早くドジを卒業できるように今日も一生懸命頑張るのだ。


「おはよう、来未ちゃん。」

 少し鼻にかかった声で私に挨拶をした神崎かんざき修太しゅうた君は、私よりアルバイト歴が一年長く、学年も一つ上の高校二年生の男の子だ。

「おはようございます! 神崎君。私、 頑張りますね!」

 少し声が上ずったかもしれない。

 私が通っている高校は女子高で、同年代の男の子と接する機会はそんなに多くないから、つい緊張してしまう。

「ははっ、来未ちゃんは固いね。」

 少し明るい茶髪の神崎君は髪色みたいに、明るい性格だ。

 クルーからは信頼されてるし、お客様への対応もそつがないし、ドジな私とは大違い。

 いつも迷惑をかけてばかりだから、今日こそは神崎君を楽させようと私は気合を入れて「いらっしゃいませ」と言った。



 私が働く時間は基本、夕方の五時から九時半だ。

 この時間のお客様は多種多様だ、夜ご飯を買いに来る仕事帰りのサラリーマン、部活帰りに寄り道をする高校生、ご飯に足りなかった食材や調味料を買いに来る主婦。

 世間話をしに来るご老人なんかもいたりして、箱入りで育った私にとっては毎日が知らない世界の連続だ。

 

勤務が始まって三時間。

レジ対応が終わった後、少しお客様が途切れたので、私はホットケースの商品管理、神崎君は陳列棚の品出しなどを行っていた。

 きっちりと時間が過ぎているものは、廃棄したり、売れ筋のものを多く作ったりしないといけない。

 より良いものを適切なタイミングでお客様に食べてもらう。

 私はまだ、たくさんのことはできないから目の前のことを全力で頑張る。

 管理シートを机に置いたとき、入店音と同じくらい大きな声がこちらに向いているのがわかった。


「ちょっと! これさっき作ったのアナタ?」

 足元からはドシドシと、床を踏みしめる音が聞こえてきそうなほどの勢いで、それから間違いなく怒気を含んだ声を出して、お客様がこちらを睨んだ。

 一時間ほど前、私が接客したお客様だからはっきり覚えている。

「これ。私が買ったのはチーズ味。 で、入っていたのはカレー味。」

 お客様が差し出したパッケージとレシートには確かに「チーズ」と書かれていたし、匂いを嗅くどカレースパイスの香りがした。

「申し訳ございません!」

 とにかく頭を深く下げ謝った。

 お客様の𠮟責の声がこちらに向かっているのがわかったけれど、何も頭に入ってこなかった。

 違う。

 私は現実を受け止めることからとにかく逃げたくて、聞こえないふり、見ないふりをしているんだ。

 私はお客様の顔を見るのが怖かった。

 頭を下げていると、顔が見えない。

 だから何度も何度も頭を下げた。

「申し訳ございません、お客様!」

 神崎君が急いてレジに駆け込んできて、私にこう言った。

「来未ちゃん。 ちょっと裏に下がってて。」

 私はただ頷き、バックヤードに逃げ込んでしまった。

 

 防犯カメラに映る神崎君は頭を下げていた。

 何もできない私はなんて無力なんだろう。

 一生懸命やるなんて思い上がりだ。

 無関係の神崎君に謝らせて、ここから動くことができない。

 目頭が熱くなるのがわかる。

 少し息苦しい。

 視界がぼやけて、気づけばポツポツと地面に雫が落ちているのがわかった。

 結局私は何もできない。

 涙をぬぐってモニターを確認すると、お客様は踵を返そうとしていた。

 このままじゃだめだ。

 箱入り娘のままはもう嫌だ。

 動け足、私の体。

「お客様!」

 私はバックヤードを飛び出して、鼻水をすすって今度はお客様の目を見て言った。

「ずびまぜんでしだ!」

 きちんと言葉にならなかったのを見て、先ほどまで怒っていたお客様は馬鹿馬鹿しくなったのか、一息ついた後、対照的な笑顔で「まぁ、頑張んなさい」と告げて退店していった。

 

 レジに戻った私を見て、神崎君は心配そうな視線を送った。

「来未ちゃん。 大丈夫? 立てる?」

 安心したのか気が抜けたのか、私はどうやら両ひざを地面につけてしまっていた。

 さすがに神崎君に甘えてばかりはいられない。

 頷いた私を見て、神崎君は白い歯を見せてから私の手を掴み、引き上げた。

「さ、あと一時間! もうちょっとだけ頑張ろう!」 

 思ったよりも神崎君の手はがっしりしていて、私は少し驚いた。


 私のアルバイト生活で最も長かった四時間半が終わった。

 目が赤くなっていることを気にした夜勤のクルーは私の事を心配してくれたし、神崎君が泣かせたのではないかとあらぬ疑いをかけられて慌てていた。

「違いますよ~。 空き時間に泣ける映画の話をしてたら、ね?

 僕の話がよっぽどうまかったのか、ごめんね、来未ちゃん!」

 ちょっと苦しい言い訳だったけど、私とお客様とのトラブルにも言及しないで、神崎君は本当に気遣いができる人だと思う。

 情けなさを感じながら、私は挨拶を済ませて店から出た。


 喜怒哀楽は心身を疲弊させ、正直家まで帰る足取りは重かった

 少し肌寒くなってきたけど、まだマフラーを巻くほどではない。

 きっとこんな日でも両親は「暖かくしていきなさい」なんて言っていたのかな。

 コンビニから学生寮までの道のりは歩いて二十分で門限は二十三時だ。

 とはいえ外は暗いから、寄り道せずにまっすぐ帰る。

 私が店舗前の横断歩道を渡り終わろうとしたときに、男の子の声がした。

「来未ちゃん! 待って!」

 神崎君の声だ。

 急いでこちらまで走ってきたからか、少し息が上がっていて、肩を上下させている。

「暗いからさ、送ってくよ!」

「いやいや、申し訳ないので大丈夫ですよ!」

 慌てて断る私に神崎君は「いいから!」と言って、私を歩道の内側に誘導して歩き始めた。

 

 こうやって二人で歩くのは初めてだから緊張するし、今日の申し訳なさだったり、はっきり言ってかなり気まずい。

 何か言葉を、と私は一先ず今日の謝罪から始めることにした。

「あの、今日はごめんなさい。」

「え? ああ……。 というかそもそも来未ちゃんだけが悪くないじゃん。」

 私は彼の言葉の意味がわからず、口を開けたままにしているから、神崎君が言葉をつづけた。

「だって、販売したのは来未ちゃんだけどさ、パッケージに入れたのは前の時間帯の パートさんでしょ? いちいち渡すときに匂いなんて嗅がないよ。」

「あ。」

 私はあの時狼狽えるがあまり、自分が該当商品を製造してパッケージングしていないことすら把握していなかった。

「で、でも私もやっぱり悪いです!」 

「うん。 だから、俺も悪いよね。

 みんなの責任だから、みんなで気を付けよっ」

 ちょっと納得がいかないし、神崎君はちょっとズルい。

 そんな風にされたら自分がより無力に感じて逆に辛い。

 私が少し口をとがらせてしまったのに気づかずに、神崎君は少し前を歩く。

「俺ね、来未ちゃんの事尊敬してるんだ。誰よりも一生懸命に働いてるし、

製造管理シートとにらっめこしてるあの顔見てすごいなぁって思ってた。」

「え? 何言ってるんですか?」

 理解できない言葉を発する神崎君の瞳がまっすぐだから、多分噓を言っている訳ではないのだと思う。

 それが、不思議で仕方ない。

「それに、バックヤードから飛び出してお客さんに謝った時はびっくりしたよ。

 この子は本当にかっこいいなって。」

「そんなことないですよ! 神崎君のフォローがないと何もできないし……」

 私なんかよりもすごい神崎君の言葉は私には身に余る。

 言葉を正面から受け止められず、私は俯いた。


 そして、すぐ後にがっしりとした二つが私の頭を持ち上げた。

「そんな来未ちゃんが好きなんだ!」

 ふわりと風が吹いた。

 時間が、私たちのいる世界が止まった。

 息遣いが伝わるほど、神崎君の顔が近くにある。

 すぐ近くの瞳に集中すると吸い込まれそうだ。

 胸の高鳴りが収まらず、言葉が喉元で詰まる。

 初めて体験する数々に私は完全にフリーズしてしまった。

「ごめん、急にびっくりさせちゃったよね。」

 この言葉を聞いて私はハッとした。

 けれど未だに「好き」の二文字が飲み込めない。

 そんな私の目の前で神崎君は深呼吸をして、言葉を紡いだ。

「できるかできないかじゃなくて、

 何かを変えようと頑張る来未ちゃんの姿にみんな温かさを感じてるんだよ。」

 また涙が流れてきた。

 でもさっきの涙とは違う。

 認めてくれる人がいたんだ。

 神崎君だけじゃない。

 クルーのみんなが私を特別扱いしないのは、私の事を認めてくれていたからなんだ。

 一生懸命は独りよがりなんかじゃなかった。

「おおっ、ごめん! そんなに嫌だった……?」

「ぢがうよぉぉ!」

私は思わず、抱きつくというよりしがみつくように神崎君の胸で泣いた。

「ちょっとだけ、そこで話していこっか。」


 学生寮の近くの公園のベンチに私たちは腰かけた。

 私はアルバイトを始めたきっかけやこれまでの事を話した。

 家のこと。

 高校までの周囲は一歩離れた距離感で関わってきたこと。

 アルバイトを始めたのも世間知らずな自分を変えたかったから。

 私の話を神崎君に何も言わず優しく頷きながら聞いてくれた。

 自分が話すことに夢中で、神崎君の「好き」に触れることをしないまま、時間だけが過ぎていって、気づけば門限が近づいていた。

 さすがに学生寮の前まで付いてきてもらうわけにもいかないので、今日はここで大丈夫だと告げた。

 すると神崎君はポケットに手をやった。

「あ、そうだ。

 良かったらこれ貰ってくれないかな?」

 思いついたように言った神崎君の手のひらにはお守りがあった。

「いつか渡したいなって思ってたんだけど、

 その、来未ちゃんが勇気を出したい時の助けになればいいなって……。

 これからも一生懸命な来未ちゃんが見たいから。」

 鮮やかな赤のそれには魔法が込められたように光っているような気がした。

 変わるために色々なことを始めた私だけど、やっぱり少し不安は付きまとっていて、本当は守られたい気持ちもあったから、神崎君に見透かされた気がした。

 けれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかったし、むしろ嬉しかった。

「私、もっと神崎君のこと知りたいです!」

 私の事を見てくれている神崎君だからこそ、私も彼をもっと知りたい。

 反射的に発した言葉だったけど、二秒経って恥ずかしくなり、振り返って走り出した。 

 神崎君がどういう顔をしていたのかはわからない。


 

 数週間が経ち、神崎君と久しぶりに勤務時間が重なる日だ。

 重なるといっても、神崎君が退勤する時間と、私が出勤する時間が一緒になるだけだ。

 バックヤードに入ると、神崎君が着替え終わっていた。

「お、おはよう! 来未ちゃん!」

 いつもの神崎君にも見えるし、少し頬を赤くしているようにも見える。

 かといって、私が人の事を言えるかと言えば全然で、私が返した挨拶もきっとぎこちなかったと思う。


神崎君の顔を直視できないくらい緊張してしまう。

だけど、大丈夫。

 彼からもらったお守りがあるから。

「今度の日曜日、シフト入ってなかったですよね?」

「え? そうだけど……。」

「映画でも見に行きませんか?」

 ちゃんと神崎君の「好き」に応えられるように、彼の事を一生懸命知りたいな!

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