第15話 光の城

 いくつかペットショップやホームセンターをハシゴし、一通りのものは揃えた。餌の他に猫用トイレやキャリーバッグなども買ってしまい、かなりの量だが、先輩は両手で軽々と運んでいた。僕は片手に一袋程度しか持っていない。


「やっぱり僕も、もっと持ちます」

「いや選んでもらっただけで有り難いよ。オレに持たせてくれ」


 雨の再会では生き倒れて儚げですらあった先輩だが、基本的にはかなりの体力の持ち主だ。あの山でも途中からは僕をおんぶして運んでくれたし、つい最近あった天候に恵まれた体育祭ではリレーでごぼう抜きの活躍を披露した。体調にむらがあるため、部活はやっていないのが惜しまれる。


 体調といえば、気になるのは梅雨だ。今年は例年よりも梅雨入りが早い見込みで、この県も来週からは雨の予報。そのまま梅雨入りの可能性が高い。

 去年の梅雨はなかなか明けず、降り続けた雨によって市内でも一部地域で小川の氾濫や地下施設への浸水などがあった。ホームセンターの正面出入り口近くには、大雨対策の特設コーナーが出来ている。僕はそれを横目に見ながら店を出た。




「けっこう遅くなってしまいましたね」

「そうだな。一休みしたらバス停まで送るよ」


 先輩の部屋に帰ると、部屋の奥、一番大きい窓からは西日が差し込み、夕暮れに染まっていた。

 興味津々のにーちゃんをあしらいながら、シンク下の収納に買った餌を詰めていく。


「何もないか…」


 冷蔵庫を開けて先輩は言った。後ろからでは見にくいが、中には調味料と麦茶くらいしかないようだ。

 先輩はとりあえず麦茶を注いで出してくれた。


「何もないなら、やっぱり夕飯も一緒に食べに行きませんか?」

「遅くなるけど大丈夫か?」

「はい。ちょっと家に連絡しますね」


 僕はスマホを取り出し、夕飯不要と遅くなる旨をメッセージで送信した。宛先はお手伝いさんだ。連絡さえすれば、基本的には早く帰ってこいなどとは言われないので、これで大丈夫だ。


 にー。

 先輩はベッドの横にいて、買ってきた玩具で猫と遊んでいる。僕は持っているスマホでそのまま撮影係をすることにした。先にトンボ形の飾りがついた釣竿のような玩具にじゃれる姿はとても可愛らしい。


「今日はありがとう。色々調べてくれて助かった。オレだけじゃこんなに揃えられなかった。

正直どうしようと思ってたんだ。明日から雨の予報だったから」


 先輩は猫に視線を落としながら、僕と目を合わせずに言った。

 思わずカメラを猫のアップから、先輩のほうにも向けてしまう。画面に写るのは夕暮れに照らされて、猫の顎を優しく撫でる先輩。笑顔だったが、弱音こそ本音なのが鈍い僕にも伝わってくる姿だった。


「大丈夫……ですか?」

「あぁ、餌もこれだけ揃えれば買い出しにいく必要も無い」

「いや、先輩がです!冷蔵庫は空なんですよね?」

「確かに。まぁ基本的に食欲なくなるからな」

「でも栄養をとらないと……」


「そうだな。元気なうちに、明日からの分まで夕飯をたくさん食べるとしよう」


 先輩は僕の不安を払拭するように、明るくふるまっていた。なら肉がいいな。先輩の体力もつくように。




「だいぶ道が分かってきました。あの地下道、第三工場近くにも繋がってたんですね」

「出口が多すぎて覚えるのが大変だが、けっこう便利だろう?」


 食事をした店から僕の家への帰り道、バス停に行くなら、先輩の家の周辺に戻るよりも、僕も知っている川沿いの遊歩道から、橋のある国道に出る方が近かった。

 日が落ちているとはいえ、まだそれほど遅い時間ではないが、遊歩道には他に人の姿は無かった。このあたりは住宅地ではないからだろうか。この市のほぼ中央を流れる一番大きい河川の河口近く、両岸にあるのは都築化学の工場だ。


 複数の巨大なタンク、空高く伸びた煙突、張り巡らされた配管や足場が作り出す複雑な構造には、人を圧倒する迫力がある。夜、電気の人口灯で黄や青に照らされた姿は特にそうだ。人間の作り出した文明そのもの。散歩といえば一般的に好まれるのは自然の和かさだが、僕はこの相反する景色がけっこう好きだった。


「どうした?」


足を止めた僕に気づいた先輩が振り返った。目的地のバス停は河を渡らない所にあるが、僕は橋の方へ吸い寄せられるように向かう。


「第一工場、ここから綺麗に見えますね」


河にかかる八淵大橋からは、対岸から海沿いに遠くまで広がる、都築化学最大のプラントを含む工場群がよく見えた。密集する光と立ち並ぶ巨大な構造物、壮観な工場夜景だった。

少し遠くから見るその場所は、


「お城みたいって思ったことがあるんですよね」


「城?…あぁ、たしかに。あの一番高い所はシルエットがヨーロッパの城っぽいかもしれない。何を作るためにああいう形になるんだろうな。マサキならもう知ってる?」


「あまり詳しくないですよ。人に説明するには全然…。勉強不足ですね」


 再従兄弟に同じ疑問を投げた時に教えてもらったことはあるが、小学生の僕には専門的な事は何も分からず、ただ漠然と理解できたのは、この工場で精製する薬品がないと国の製造業全体が揺らぐという規模の大きさだけだった。

 今は本家に住んでいるとはいえ、将来的に僕がこの事業に関わるかは不確かだ。いや、関わらせるつもりなら再従兄弟のような英才教育がもう始まっているだろう。今の自分は無知で中途半端な状態だ。


 僕は向こう岸の光を見つめて、少しの間考え込んでしまった。一人でここにいるわけじゃないのに。そのことにハッと気づいて、慌てて先輩の方に顔を向ける。

 先輩は、真剣な顔で僕を見つめていた。


「マサキ。今まであえて聞かなかったんだけど。家のこと、どう思ってる?」


「どうって……」


「都築って、オレからすれば街そのものの大企業でしかないけど、マサキにとってはもっと…近い存在だろう?父親とあんなことがあって、揉み消せるだけの力があって、そういうものの近くにいるのは、どうなのかって。

……重荷に感じてないか?」


 重荷。


 重圧はある。確かにある。この壮観な夜景からひしひしと今感じている。山と海に挟まれた寂れた土地だった八淵にもたらした富の大きさ、国の産業への貢献、雇用と顧客で関わる人はどれだけ多いのだろう。


 そして父の事。置き去りにされ、それから放置されている現状に不満はある。だが、ではどうして欲しいという要望があるだろうか?反省するから家族らしく仲良くしようという態度をとられたほうが、むしろ今更困るのだ。父への失望は親子らしくいたかったなんて、そんな幼い理由ではないのだと思う。

 僕は先輩に問われて、改めて自分の気持ちを整理しはじめた。


「……重くは、ありますけど」


 先輩はじっと僕の言葉の続きを待っている。

 正直な気持ちを、あの時のように聞いてくれようとしている。


「荷物では、ないかなと思っています」


 背負える自信はない、しかし放り出したいとは、きっと思っていない。それは将来への見通しが甘いからで、もっと多くの困難を知ったら全て捨てて逃げたくなるのかもしれない。でも今は違う。

 父に失望したのは、あの軽率に起こした事件と揉み消しが、都築という家が持つ責任を理解していなかったからだ。元々家庭のあの人は評価していなかった。


「父の事、今でも嫌いだし許してませんけど、だからなのかな。僕はもっとちゃんとやりきりたいって、意地があるのかもしれません」


 先輩は目を丸くして見張っている。僕の返事は少し変わった考え方なのかもしれない。


「マサキは……そうか。好きなのか、この街が」


「好き?」


「家が重いって分かってても、やりきるって言えるのは相当だろう?あと橋の向こうを見ている時の目からも、好きなんだなって伝わってきた。安心したよ。

君は、嫌いなものに囲まれているんじゃなくて」


 先輩は僕の隣に来て、微笑みながら言った。

 好き嫌いというシンプルな考えはしていないつもりだった。でも確かに、本質はそうなのかもしれない。


 僕はもう一度、先輩と並んで工場を見つめる。人工の光が都会のように続く海岸を。もっと深いはずの夜に築かれた光の城を。








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