ありがとう

 その時、ちょうど壁掛け時計が鳴った。

「母さん。九時のニュースをつけてくれ」

「あなた、今日は見なくていいんじゃ?」

「トップニュースだけ」

 母はため息をつきながらリモコンでテレビをつけた。

 部屋の隅にあるテレビから大音量でニュースが流れた。

「――新幹線X号に乗っていた容疑者が突然、刃物で周囲の人に切りかかりました。一人が意識不明の重体、十名以上のケガ人を出しました。容疑者は周囲の人に取り押さえられ――」

「マジか」

 隆文たかふみは思わず口から言葉が出た。

「これ、母さんが送ってくれた切符の列車だ」

「そうなの!?」

「乗っていたら、巻き込まれてたかもってことか?」

 車両まで同じかは不明だが、巻き込まれていた可能性は大いにある。

「じいちゃんかもしれのぅ」

 ばあちゃんは穏やかにお茶をすすった。

「お盆でちょっくら、帰ってきて助けてくれたんかもな」

 もし、転んでなければ、予定通りの新幹線に乗っていただろう。

「じいちゃん、おるんかあー。ありがとうよー。ガハハハハ」

 ばあちゃんが大声で笑った。

「じいちゃんは、元気が取柄じゃった。しんみりはなしじゃ」

「ばあちゃんの言うとおり。母さん、ビールを追加で持ってきてくれ。隆文たかふみも飲むだろう」

「お父さん、日本酒にしたら。じいちゃん、日本酒好きだったし」

「そうだな。お得意先からもらった大吟醸。あれ、熱燗あつかんにしてくれないか」

「お仏壇用にも用意するわね」

 母は立ち上がり、台所に向かった。


 隆文たかふみは仏壇にお酒を供えるのにあわせて線香を上げた。

 じいちゃんの写真は満面の笑みだった。

「じいちゃん、ゴメン。ちゃんとさよならを言わずに家を出ちゃって」

 手を合わせながら言葉に出して言った。


「さあ隆文たかふみ、夜はこれからだぞ」

 父は追加されたつまみのスルメを口にしながら、全員分の酒を注ぎ始めた。

「ちょっと思ったんだけど、あんたが行ったその古本屋、他にもじいちゃんの本が売られてるってことない?」

 想像していなかった可能性を母が指摘した。確かにあり得る。

「遺言はちゃんと実行したしな。買い戻すのは問題なかろう」

 日本酒をチビチビ飲み始めたばあちゃんは上機嫌だ。

「戻ったら、もう一度行ってみるよ。あったら、買いそろえる」

「勉強の本だったら、うちから代金を出してもいいぞ」

 目まで充血し始めた父はろれつが回らなくなっていた。

「バイトして買うよ。店に事情を話して取り置きしてもらう。そうしたい気がする」

「じいちゃん、喜ぶわね」

 母も自分のおちょこに日本酒をついで飲み始めていた。

「中身もちゃんと読んでみる。興味がいてきた」

「ライトなんとかの役立つかもしれんしな!」

 父は隆文たかふみの背中をバンバンと叩いた。

「この数日の話で短編が書ける。こんなレアな体験はないし。よし書くぞ!」

「オレが俺が一番に読んでやる!」

「ばあちゃんも、読むけぇ」

「『母は美しい』という設定にしてよね」


—じいちゃんに感謝だな

 隆文たかふみは隣の部屋の仏壇を横目で見た。


<了>

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古本を買っただけなのに 松本タケル @matu3980454

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