第15話 いっそ付き合ってる事にすればいい

 調理実習であんな事があった後だから当然ではあるが……小虎の機嫌は凄まじく悪かった。


 イライラしてるのが机の振動でヒシヒシと伝わってきてこっちは肝が冷える思いだった。


「小虎。ちょっと俺と話そうか」


 教室内には居辛かったらしく放課後になったら小虎は早々に学校を出た。その背中を追いかけて数分後、路上で小虎を捕まえた俺はとりあえず自分のバイクを停めている駐輪場に向かった。


「はぁ……」


 深い溜息を何度も繰り返す小虎。こんなにへこんでいる様子を見るのは高校時代でも無かったと思う。


「大丈夫か?」

「……大丈夫じゃないって言ったら心配してくれる?」

「もうすでに心配してるんだけどな」

「そっかー、ごめんね。巻き込んじゃって」

「いや、気にすんな」


 膝を抱えてうなだれる小虎の空気感は怒りよりも悲しみの色が色濃く出ている気がした。


「……愚痴なら聞いてやるぞ。いつもみたいにな」

「……めっちゃ愚痴ってもわたしのこと嫌いにならない?」

「今更何言ってんだ。何なら一杯飲みに行くか? 金無いから奢れないけど」

「今日はお酒の気分じゃないからいいよ。気持ちだけもらっておくね」

「そうか。とりあえず何処かに行くか?」

「……少しだけワガママ言ってもいい?」

「俺にできる範囲でなら」

「海に行きたいから連れてって」

「ああ、分かった。愚痴もそこで聞いてやるよ」

「ん。ありがと」


 バイクの後部座席に飛び乗るどこぞの妹とは違って乗車する時の小虎は上品な所作で俺に手を差し出して来た。


 その手を取り小虎が後部座席に座るのを確認する。


「じゃあ行くぞ」

「うん。よろしくね」


 不本意ながら本日二回目の二人乗りニケツになるわけだが……俺が今言えることは小虎は妹よりも確実に大きいということだ。


 肉付きがいいから。


 何がとは言わないが背中にガッツリ当たってる。


 高校時代にも経験したことはあるけど、今回は今までとは比較にならないくらい当たってた。むしろ小虎の方から当ててるんじゃないかと錯覚するくらいに。


「……子川くんのムッツリスケベ」


 走行中にそんな怨嗟えんさが背後から聞こえた気がするが……風の音がうるさかったから多分聞き間違いだと思う。


 学校から一番近い海岸沿いを目指してバイクを走らせること数十分。潮風の香りが匂う頃には景色は青い水平線に様変わりしていた。


「近場まで来たしいっそ水族館でも行くか?」

「マリンピアに?」

「ああ、お前イルカとかペンギン好きだろ?」

「んー。水族館は別の機会に取っておきたいかな」

「そうか。とりあえず砂浜にでも行くか」

「そうだね。ちょっと歩きたいし」


 オフシーズンの砂浜は想像の右斜め上を行くほど汚く漂着物や流木などのゴミで溢れかえっていた。

 なんていうか、風情のカケラもない悲惨な光景だった。


「ありゃりゃ、やっぱシーズン前の日本海は荒れてるね。すっかりお宝の山で埋め尽くされちゃってるよ」


 五月の砂浜は思っていたよりも暑くて西日の陽光が容赦なく俺の眼球を焼いた。


 太陽の眩しさに目を細めていると晴れない表情で青空を見上げている悪友の横顔が目に入った。


 不謹慎ながら悲しみに満ちたその儚げな姿が数ある芸術作品よりも美しく見えた。


「天気良いね。日差しと潮風が気持ちいい」

「ああ、そうだな。海に来るには良いロケーションだったな」

「オフシーズンの海も悪くないね」

「人がいないから貸し切り状態みたいなもんだ。オフシーズンもたまには良いかもな」


 波打ち際を二人で歩くと唐突に小虎は足を止めた。


「どうした?」

「ごめん子川くん。ちょっとうるさくするけど我慢してね」


 そう言って小虎は大きく息を吸って叫んだ。水平線の彼方まで届きそうなほどの大きな声で。


「どいつもこいつも人の気も知らないで好き勝手なこと言うなバカヤロー!」


 腹の底に溜まっていたものを振り絞るように小虎は叫び続けた。


「わたしだって完璧じゃないからそりゃ間違いはあるよ! でもさ、文句があるなら自分でやれやコンチクショー!」


 そして最後に一言。何故かその一言だけは小虎が心の底に沈めている本音を高らかに叫んでいる様に思えた。


「わたしだって、わたしだって彼女になりたいわボケェェェェ!!!」


 大声で愚痴を叫んだせいか小虎は最後に大きく息を吸い込んだ。


 深呼吸を終えた小虎の顔は先ほどに比べれば明るい表情だった。


「スッキリしたか?」

「……まだちょっとモヤモヤしてる」

「そうか。この際だから全部出しておけよ」

「……分かった。この際だから一個だけ聞いてもいい?」

「ああ、良いよ」


 そんな俺の提案に小虎は予想を超えるとんでもない質問を俺に投げかけてきた。


「やっぱりわたし達って恋人同士に見えるのかな?」


 心臓に悪い質問。胸の高鳴りを嫌でも自覚してしまう。


「それは……」


 どういうわけか、その真っ直ぐな瞳に見詰められると「違う」と安易に否定出来なかった。


 ほとんど面識のない妹ですらそう思っているくらいだ。そう思わせる何かがきっとあるのだろう。俺には分からない何かが。


「人によるんじゃないのか? 俺とお前の仲を知らない奴ならそう思っても仕方ないとは思うけど……」


 例えば自分とは何の面識もない若い男女の二人組が仲良く連れ添って歩いていて、楽しそうに会話をしていたら、その二人は恋仲だと勝手に思ってしまうかもしれない。


 いや、仮に俺がその場面に出くわしたらほぼ間違いなくあの二人組はカップルなのだろうと思ってしまうだろう。少なくとも知らなければ友人関係だとはまず思わない。


 第三者の目線で見れば恋仲も友人関係も変わらない。つまり俺と小虎は他人から見ればそう見えるという事だ。


「それってつまりはさ、それくらい仲良く見えるって事だよね?」

「ああ、そうだな」

「そっか。わたしと子川くんって恋人同士に見えるくらい仲良かったんだ」

「そりゃ男女の友達だからな。誤解されても不思議じゃないだろ」

「でもさ、イチャイチャはしてないよね?」

「ああ、イチャイチャは“まだ”してないな」

「そ、そうだよね。まだまともに手も繋いでないしキスもしてないから別にイチャイチャはしてないよね?」

「なんつーか、お前のイチャイチャの基準が子供並みで安心したわ」

「ん?」

「ん?」


 ちょっと何言ってるか分かんないですね。お互いに。


「……ごめん。さっきの忘れて」

「ああ、お前がそう望むならその通りにする」


 赤面した小虎の顔を見るとこっちまで恥ずかしさが込み上げてくる。何だこれ凄まじく気不味い。


「あ、あれ? わたし子川くんに何を言うつもりだったんだっけ?」

「忘れるな。戌井さんムカつくって話だろ」

「そう、それ。何か良い感じの対策案ないかな?」

「あー……戌井さん相手にマウントを取る対策案ならあるにはあるけどな」

「えっ、マジ? それってどんなの?」

「……えーっと」


 それを言うと小虎本人にまであらぬ誤解を与えかねない。言えば間違いなく小虎はドン引きする。


「子川くん。何で今わたしから目を逸らしたの?」

「……そこは察しろ」

「何、何!? めちゃくちゃ気になるから教えてよ!」


 食い気味に距離を詰めてくる小虎。おい不用意に距離を詰めるな、うっかり胸が当たるだろーが。


「……言ってもドン引きしない?」

「内容によるけど……多分しないと思う」

「じゃあ言わない」

「絶対しないから教えて!」

「友達辞めたりしない?」

「それはドン引きしても辞めないよ!? てゆーかしつこい!」


 砂浜の開放感に当てられたのかテンションが爆上がり中の小虎。こんなハイテンションは酒に酔っている時でもそうそう見ない。


「言質は取ったからな。後悔するなよ?」


 念押しで確認した後で俺は小虎にある一つの計画プランを提示する。


 それはある意味で人生で数回あるかないかの大きな博打だった。


「いっそ付き合ってる事にすればいい」


 そして俺は小虎に計画の概要を話した。


「逆に恋人関係だと周りにアピールするんだ「俺たち付き合ってますけど何か問題でも?」みたいな雰囲気を匂わせる感じで。なんなら周囲に公言するのも一つの手だな、そうすれば噛み付く方が滑稽に見える。野暮な奴だなって」


 小虎は。

 目をパチパチと瞬きさせて首を傾げた。


「それはつまり……どゆこと?」


 どうやら理解出来てないらしい。


「恋人関係になるって事だ」

「えっと……誰と誰が?」

「俺と小虎が」

「…………………………」


 俺が何を言ってるのか未だに理解出来ていないのか小虎は暫くの間エラーを起こしたパソコンの様にフリーズしていた。


「………………ふぇ!?」


 長いフリーズを経て頭がようやく再起動したのか小虎は急に身体をピクリと震わせた。


「そ、それはつまりわたしと子川くんがつ、付き合うってこと?」

「だからそう言っている」

「な、何でそんなに落ち着いてんの? 今子川くんしれっと凄いこと言ってるんだよ!?」

「だから言っただろドン引きするなよって」

「や、ドン引きとかそんなんじゃなくて今凄く胸の奥がキューって苦しくなってるよ!」

「そうか、何か悪いな」

「何でそこで謝るの!?」


 俺の態度に納得できないのか小虎は俺に抱きついてきた。


「ごめん子川くん。わたし今凄くドキドキしてて冷静さを保てない」

「ちなみに聞くけどその感情は何から来てる?」

「……驚いたのと嬉しいって気持ちからかな」

「そうか。何か悪いな」

「だから何で謝るの?」

「色んな事に対してだよ。捉え方によっては小虎の弱みに漬け込んでいるからな」

「……それは受け取る側の気持ち次第だと思うよ」

「そうなのか?」

「そうだよ。わたしは凄く嬉しい。子川くんと両想いになれて」

「両想い?」


 何言ってるんだコイツ。人の話ちゃんと聞いていたのか?


「…………」


 あれ、もしかして。

 小虎のやつ俺がガチで告白したと勘違いしてるのか?

 そう思うと背中にブワッと汗が吹き出した。


「……小虎さん。少しばかり確認してもよろしいですか?」


 俺は涙で瞳を潤ませている小虎に質問を投げかけた。


「俺が言っているのはあくまでも『恋人のフリ』であって本気で付き合うわけじゃないんだけど……」

「…………」

「……違いました?」

「…………」


 小虎の瞳からフッと光が消えた。


「……子川くん。ちょっとそこに立って」


 目からハイライトが消えた小虎は俺に波打ち際に立つように指示を出した。


「あとスマホも貸して。濡れて壊れるのは嫌でしょ?」

「だいたいの想像はついたけど実行しないという選択肢は?」

「却下」

「はい」


 俺からスマホを受け取った小虎は思いっ切り助走してから──


「成敗!」


 プロレスラー顔負けのドロップキックを放った。


 身体がくの字になった俺はそのまま海に向かって尻餅をついた。


 顔を上げればそこには怒りの感情に支配された悪鬼羅刹の化身が仁王立ちしていた。


「子川くん。わたしは今ものすごーく怒ってるんだけど何でか分かる?」

「……正解したら許してくれますか?」

「乙女心をもてあそんで許されるとでも?」

「何をすれば許してくれますか?」

「それくらい自分で考えたら?」


 理不尽すぎる難問に俺は頭をフル回転させる。

 というか何でこんなに怒るんだ。たかが勘違いで。


 まさか──


「あれ? もしかして小虎は俺のことが本気で好き──」

「今頃気付くとか遅過ぎるから! バカ!」


 バシャリと顔面に海水をぶっかけられた。しかも足で。


「もー、ムカつくからその間抜けな姿を記念撮影してしっかり保存してやるんだから」


 自分と俺のスマホを使って撮影を始める小虎。嫌すぎる記念撮影だった。


 というか身体が熱い。海水の冷たさなんて忘れるくらい胸の奥が熱に侵されている。


 おそらく俺がちゃんと『それ』を自覚したからだろう。勘違いとかすれ違いじゃない本当の気持ちを。


「……なんつーか。鈍くて悪かった」

「このタイミングで謝られるのはちょっと嫌かな」

「悪い。てっきり俺の勘違いだと思ってたから」

「何の勘違い?」

「小虎は俺のことが好きなんじゃって」

「それは勘違いじゃないよ」

「その、俺はてっきりお前にからかわれてると思ってたんだ」

「それはわたしも悪いと思ってる。今まで素直になれなくて……ごめんなさい」

「……ホントそれ。お前の思わせぶりな態度に俺がどれだけ振り回されたことか」

「や、子川くんが意気地なしなのも少しは悪いからね?」

「よし、責任のなすりつけ合いはやめにしよう。つーか濡れて寒い」

「あ、わたしには近付かないでね。濡れるの嫌だから」

「解せぬ」


 そんな会話を最後に俺と小虎は砂浜を離れた。


 濡れたままの格好でバイクに乗ったから小虎はしきりに「子川くん磯臭い」と愚痴をこぼしていた。


「で、結局のところ学校で恋人同士のフリをする案は不採用ってことでいいのか?」

「それは採用の方向で」

「……却下しないのか?」

「わたしにはメリットしかないし」

「そうか。何か悪いな」

「謝るくらいなら正式なプロポーズを早めにお願いします」

「善処はする」

「……それだと不安になるからせめて一回くらいはちゃんと好きって言ってよ」

「友達になったあの日から小虎のことがずっと好きだった」

「…………っ」

「ガチで照れるな」


 お互いに言いたいことを言い終えた帰路、小虎を家に送り届け終えた後で忘れていた罪悪感がふと胸の奥から湧いて出てきた。


 遠ざかる小虎の背中に言えない一言を投げかける。


 ごめんな小虎。


 妹の気持ちを拒む理由にお前を巻き込んだこと、本当に悪いと思っている。

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