第1章(その2)

「好きにするといい。このような往来ですれ違った者同士、拒む所以があるわけでもない」

 決して歓迎している口調ではなかったが……事実ここは街道筋、地形的に多少ひらけた形状になっているとはいえ厳密には道の真ん中であるのだ。誰と誰がすれ違ってはならぬという法があるわけでもない。その言葉に甘え、アルサスは火の元へとおずおずと歩み寄っていった。

 旅の騎士は剣を傍らに置くと、そのまま無造作に腰を下ろした。失礼します、と一言告げてアルサスは火を挟んで向かい合わせに座る。

 見たところ、まだ若い騎士だった。アルサスよりも年長ではあったが、せいぜいが二十代の後半であろう。気のせいか、どことなく見覚えのある顔立ちだった。

 果たしてどこかで会った顔だろうか、と思案を巡らせていると、相手の方からアルサスに問いを投げかけてきた。

「失礼だが、お見受けしたところお若いのにそれなりに位の高いご僧侶であるように思われる。このような田舎の街道筋を、何ゆえ供も連れずにお一人で歩いておられる?」

 その問いに、アルサスは先の宿場町で従者に待ち合わせをすっぽかされた事をかいつまんで説明した。それを聞いて、騎士はなるほどと頷いた。それ以上何も言わないのはべつだん非難する意思もなかったからだろうが、沈黙が逆にアルサスの軽率をたしなめているようにどことなく思われた。

「まあ、判断を誤ったのは認めざるを得ないところです。約束の刻限など気にせず、もう一日くらい待てばよかった」

「あるいは、別の従者を改めて雇っても良かったかも知れないな。もしくは旅回りの商人が通りがかるのを待って、同行させてもらうか。貴公が待ち合わせをしていたスレスチナからこちらは、道も峻険であるし宿場も少なく、慣れない者が一人で行くにはいささか不安の多い難所だ。……もしくは、ワルスタットを目指すのであれば王都の方にいったん引き返して、西回りに大きく迂回すべきであった」

 だがそれでは期日に間に合わぬ……と反論しようとしたが、待ち合わせに費やした四日間があれば王都まで引き返すのはどうにか出来たから、そこで僧会にかけ合って新たに従者を用立ててもらっても良かったし、指摘を受けたように西回りの街道を行ってもよかった。いずれにせよ、彼に反論の余地はなかった。

「とはいえ、確かに気の毒であるやもしれぬ。異端審問官と一緒の道中など、確かに愉快ならざるものになりそうだからな。私が旅の商人でも、言い訳をみつけて同道を断っていたかも知れないな」

「……分かりますか。僕が、異端審問官であると」

 瞬時に看破されてしまって、アルサスは思わず首をすくめた。

 位や役職によって僧服には意匠の違いがあるから、見る者が見ればその辺りはすぐに判別出来ることではあった。旅の間くらいは平服とは言わないまでも一般の僧服で構わないようにも思えたが、そのように僧侶が身分を隠したり偽ったりするのは重大な規則違反であるので、やむを得ないのだった。

「その若さで異端審問官とは。なかなか才覚がおありのようだ」

「いえいえ、決してそのような事は。最近は異端審問の件数も飛躍的に増えておりまして、僕みたいな経験の浅い者などいくらでもいますよ。……もっとも、名ばかりの肩書きであるのは否定できませんけどね」

「とすると、さぞや名の知れた良家のご子息ということになるのかな」

 騎士はそのように言って、アルサスをちらりと見やった。

 たしかに、僧としては若輩者の彼が異端審問官となったのは人手不足ということもあるが、年齢の割に分不相応な肩書きであるのも事実だった。家名の威光があったればこその身分なのだ、という事を揶揄する発言ではあったのだが、不思議と嫌味には聞こえなかった。事実そうであったから反論の余地もなかったし、騎士の態度にも卑屈な批判じみたものは何もなかった。

 何より、アルサスの肩書きや身分を知ったところで、べつだん萎縮するような素振りもまったく見せない。つまるところ彼自身も、ひとかたならぬ身の上ということになるのではなかろうか。

「……そういうあなたは、一体何者なのです? お見受けしたところ風来の徒というわけでもなさそうですし、さぞかし名の通った騎士殿なのではありませんか?」

 何気ない世間話のつもりだったが、騎士の表情がかすかに険しいものになった。露骨に嫌悪するわけでもなかったが、そういう話題はあまり歓迎しない、という風であった。

「……別に、大層なものではない」

 静かに言ったその一言がやけに剣呑な響きを帯びていたので、アルサスは身じろいだ。それでも平静を取りつくろって、問いかける。

「お名前くらいは、お伺いしてもよろしいでしょうかね?」

 敢えてそう問うと、騎士はしばし黙り込んだのち、ぽつりと答えた。

「ナイゼル」

 アルサスも家名まで名乗ったわけではなかったから、それだけ名乗り返して貰えただけでもましな方だっただろう。

 それよりも……短く名乗っただけのその名前が、アルサスの脳裏の奥底にある記憶に、ぴたりと一致した。どこかで見覚えがある、とうっすらと思っていただけだったが、いよいよそれが気のせいではない事を知って、自然とその名前がこぼれ出てしまった。

「ナイゼル。……ナイゼル・アッシュマン」

「……」

「そうだ。あなたは、ナイゼル・アッシュマン卿ではありませんか! どこかでお見受けしたことがあると、ずっと思っていたのですよ!」

「人違いだ」

 騎士――ナイゼル・アッシュマンは視線をそらすと、ぼそりとそう言い返しただけだった。だがアルサスは引き下がらない。

「僕の事は覚えておいではありませんか? ……いやいや、恐らくはお忘れの事と思いますが、僕は確かに一度、あなたとお会いしているのです。フーケンハイム家の九男坊のアルサスを、覚えてはいらっしゃいませんか。もう何年も前の事だし、僕はほんの小さな子供だったから、お忘れでも無理はないかも知れませんが」

「……フーケンハイム家のご子息だと?」

「ええ、その通りです」

 アルサスがまくし立てる勢いに飲まれたかのように、ナイゼルはぼそりと答えた。

「騎士になりたいから、剣を教えてくれとせがまれた」

「ああ! それでは覚えてくれていたのですね!」

「いや、正直な話すっかり忘れていた」

 それまでは険しい表情だったナイゼルが、やや呆然とした様子で素直にそう言った。

「あの当時私はまだ十七だった。人にものを教えるなど到底無理だったので、断らせていただいた」

「そう、それで父に頼み込んで、あなたの父君からあなたの師匠筋に当たるという方を紹介していただきました。でも父は僕を騎士になどしたくなかったので、その先生に僕を厳しくしごきあげて、もう嫌だと僕の方から言わせるように仕向けたのだそうです。……あとになって酒宴の席で父がそのように話しているのを、偶然に小耳に挟んだ事があります」

「引き受ける気ならそうしろと、私もそのように父君に言われていた」

 実はそうだったのだ、とナイゼル・アッシュマンは苦笑いをこぼした。

 このような寂しげな森で、思いがけない再会だった。アルサスにしてみれば、夜道でさんざん心細い思いをしたあとだけに、これ以上に心強い事などない、という思いだったが、その一方でナイゼル・アッシュマンはと言えば何故か浮かない顔を見せるのだった。

「……参ったな。寄りによって、このような夜に再会を果たすとは」

「何か、ご都合の悪いことでも?」

「いや――あるいはアルサス殿。貴殿には申し訳ないが、運が悪かったと諦めていただくより他にないのかも知れない」

 彼が一体何を言おうとしているのか、アルサスにはさっぱり見当がつかなかった。

「先をお急ぎですか? もしかして、今晩はここに野宿などせず、夜通し先を急がれると?」

「いいや、そうではない」

「どなたかと待ち合わせですか。僕が同席していると、何かと差し障りがありますでしょうかね?」

「いや……そうだと言えば、そうかも知れぬが」

 そういう相手が来るわけではない、とナイゼルは言う。

「……では、とりあえず僕はここにいてもいいのですね?」

「まあ、そうしていただくより他になかろう」

 静かに、ナイゼルはそう言った。

 何やら、ただならぬ事情がそこにあるのに違いなかったが、それを問うてもいいような雰囲気とは言い難かった。

 そもそも目の前に静かに佇むナイゼル自身、どこか他人を寄せ付けないような雰囲気を身にまとっていた。

 アルサスは思い返す。幼き日に出会ったナイゼルは、確かに口数の少ない、あまり弁が立つとは言えない物静かな若者ではあった。だが記憶の中にあるナイゼルは、果たしてこれほどまでに他人を寄せ付けないような剣呑な人物だっただろうか。こうやって再会を果たすまでの年月に、一体彼の身の上に何があったというのか。

 すぐにアルサスの脳裏に思い至ったのは、かつて彼が聖地奪還の遠征行に自ら志願し、出征したという事実だった。

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