第8話 戦後

黄道はひとつなれど

雲は星を隠し

人は道を見失う


星を探せ人よ

雲にも隠れることなき星を

その星を見つけ歩むものに

ミザールの御名の下に最高の慈悲を――


使徒ムーラーク言行録』より



   ***



 ラヴィネの海戦に勝利した神聖同盟とエリティアであったが、その直後には決戦前からの不和が一気に表面化した。このままカルファまでの進軍を主張するジルバーノと、海戦での損害から態勢を整えるために一時撤退を主張するヴェクトールの対立である。


 実際に被害は大きかった。漕ぎ手の奴隷を含めた八万の人員の内、死傷者は二万人以上に達し、損傷を受けた船も二百隻を数え、その半数は航行不能の状態に陥っていた。同時に敵の捕虜、解放した聖教徒の元奴隷も二万人以上存在し、その整理も考えるとここからの連戦は現実的とは言い難かった。しかしエリティアにとってはこの被害もカルファ救援という目的のためであり、ここでの退転などありえない選択であった。


 ここで総司令官ルイが決断を躊躇う。ルイ本人はカルファ救援を成功させ、自身の勝利を完璧にしたいという欲があったが、ヴェクトールにはこれ以上聖王の命令に背いてエリティアに利する意味を考えろと迫られていた。また海戦において中央で敵の猛攻を支えたルイ麾下の神聖同盟諸国の艦隊の被害は左右翼に比して甚大で、その戦意の低下は無視できない状態になっていた。


 ルイの決断が徐々に撤退に傾き始める頃、これ以上の時間の浪費を嫌ったジルバーノが無断で麾下の艦隊を率いてカルファ救援に進発してしまった。この艦隊がカルファの港を封鎖するカラマン朝艦隊を打ち破ると、制海権を失った状態での攻囲の不利を悟ったカラマン朝軍が撤退、ジルバーノはカルファの解囲に成功する。これで一連の戦争は神聖同盟・エリティア連合軍の完勝という形で終結した。しかしこのエリティアの独断専行による勝利は、面目を傷つけられた神聖同盟との決定的な不和となって、後々に両者へ悪影響を及ぼすようになる。


 対するカラマン朝は敗戦後すぐに反攻へ動き出す。皇帝バルムット一世は敗将ハサン=ザシャンを三年以内の敵への報復を条件に海軍総司令カプト・ザシャンに就任させる。これは寵臣ハサンに再起の機会を与えるとともに、宰相アザークたちに対してラヴィネでの敗戦でも自身の人事権の上位は譲らないとの意思表明だった。


 この処遇に汚名返上に奮起したハサンは海戦に関する経験不足を補うため、ラヴィネでの命の恩人である海賊ラシード=ベグを副官に抜擢し、失った艦隊の再建に乗り出す。ラシードのハサン救出の打算は見事に彼の星運ハルタナを開いたのである。


 二人は敵帆船の砲撃に苦しめられたことがラヴィネの海戦の敗因のひとつであると考えた。しかし風に操船を左右される帆船の弱点は無視できない。そこで考案されたのがガレー船の櫂列の上に砲台用の甲板を増設し、自走力と砲撃力を両立した新型艦の建造である。この砲撃ガレー船十隻を中心にカラマン朝全土の造船所で急ピッチの建艦が進み、一年も経たずに二百隻超の艦隊を再建したカラマン朝艦隊は再びカルファ攻囲の軍を起こした。


 想定より早期のカラマン朝の反攻に、エリティアは再び神聖同盟へ救援を求めるが、これを受けた聖王シャルル七世の返答は「先にレイザン攻略に協力し、ラヴィネでの貸しを返すことが条件」だった。ラヴィネでの勝利がエリティアに負債となって返ってきたのである。一年前の攻囲戦で損傷したカルファの城壁の修築はまだ完全でなかった。前回より救援に時間をかけられないエリティアは聖王の出した条件を蹴ると、ラヴィネの勝将ジルバーノを司令官に百五十隻の艦隊の単独派遣を断行する。これを再びラヴィネで迎え撃ったのが復讐に燃えるハサンとラシードが率いる二百隻のカラマン朝の新鋭艦隊である。


 第二次ラヴィネの海戦はカラマン朝艦隊の圧勝で終わる。数の優位と新型の自走砲撃ガレー船による火力が勝敗を決した。ジルバーノは戦死し、救援を断たれたカルファは三ヶ月後に陥落する。


 この第二次ラヴィネの海戦が起きる直前、カラマン朝の視線がカルファに向けられている隙をついて、聖王シャルル七世はレイザン攻略の軍を起こした。海路を進む神聖同盟軍の総大将はラヴィネの勝将として勇名を馳せる王弟ルイ、副官には傭兵海将ヴェクトールが再び起用される。


 だが、この攻勢を察知したハサンは第二次ラヴィネの海戦での勝利に浸ることもなく、即座にレイザンの救援へと艦隊の舳先を向ける。予想外の早さで出現したこの艦隊に、上陸作戦の途中であった神聖同盟軍は完全に不意をつかれ、ヴェクトールの艦隊は敗走、上陸部隊にいた王弟ルイは捕虜となり、ここにハサンは皇帝との約束である報復を完遂したのである。


 西大陸諸国はレイザンでの敗戦とカルファ陥落以降、百年に渡りカラマン朝に対して劣勢を強いられていく。双方に神の名を掲げて戦われたラヴィネの海戦は、勝者に分裂を与え、西大陸諸国の敗勢とカラマン朝のさらなる躍進の起点となった戦いとして歴史的に評価されていくことになる。


 最後にラヴィネの海戦の敗将であり、最終的な勝者となったハサン=ウズン=ザシャンの回顧録からの引用で終わろう。



  人間は己の星運ハルタナを知らずにことを為し

  神はただその結末を認めるのみ――

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ラヴィネの海戦 ラーさん @rasan02783643

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