第6話 ラヴィネの海戦

薔薇の蕾が開くように血がラヴィネの戦場に咲き

薔薇の花弁が落ちるように血がラヴィネの海に散った

ミザールの戦士たちは獲物を追う狩人のごとく

夢中に異教徒クラーナの戦士たちへと半月刀を振るい

異教徒クラーナの戦士たちもまた魚を狙う漁師のごとく

無心にミザールの戦士たちへと槍を突き出す

銃火の砲音に干戈の響きと

神は偉大なりエル・ミザール」のときの声に彩られた

花乱の渦のような戦いは累々たる死屍を生み

ただ勝利の誉れだけを生者に残す――


『ヤシン=ハイヤームの年代記』より



   ***



 ラヴィネの海戦は追い風を受けたカラマン朝艦隊の「神は偉大なりエル・ミザール!」というときの声とともに幕を開けた。


 両軍ともに主力とするガレー船では、罪人や異教徒の奴隷――カラマン朝は聖教徒、神聖同盟は唯一神ミザール教徒――からなる漕ぎ手が、太鼓の音に合わせて操船指揮官の掛け声とともに一斉に櫂を漕ぐ。


 中央にハサン=ザシャン、右翼にシャルーク=ベグ、左翼にラシード=ベグを配したカラマン朝艦隊は、敵艦隊を包囲するように両翼を先行させる半月形の陣形を展開した。


 これを迎え撃つ神聖同盟とエリティアの連合艦隊は、中央に王弟ルイ率いるヒムヤル王国を中心とする神聖同盟諸国の艦隊、右翼にヴェクトール率いる傭兵艦隊、左翼にジルバーノ率いるエリティア艦隊を配し、包囲を仕掛ける敵艦隊の動きを牽制して、さらに広く両翼を広げる形で艦隊を展開した。


 この動きを見たカラマン朝艦隊は、自軍よりも薄く広がった敵艦隊の中央と両翼の間に生じる間隙にその弱点を見た。両翼の海賊艦隊はその高い操船技術による急速回頭で舳先を変え、この間隙を突破しての旗艦のいる敵中央の艦隊包囲に方針を転換した。しかし連合艦隊はこの弱点を補うための一計を案じていた。


「邪魔な船が!」


 ラシードの罵声を打ち消す、凄まじい砲音が轟いた。中央と両翼の間には自走力が低くガレー船の動きに追随できないが、ガレー船より舷高が高く防御力と射撃力に優れた帆船団が配置されていたのである。通常は輸送等の補助任務を主とする帆船にいしゆみ、銃、大砲の射撃武器を大量に積み込んで重武装を施して陣形の穴を埋める作戦は、ヴェクトールの発案とそれを受け入れたジルバーノの合策だった。この重装帆船の船団が火を吹くと、海賊の艦隊の帆柱は倒れ、甲板に穴が空き、炎上する船も現れ、その被害は瞬く間に広がった。


「構うな! 全速で突破しろ!」


 ラシードの号令に操船指揮官は狂ったように漕ぎ手の奴隷たちに鞭を振り下ろし、全速力で帆船団の横列の突破を敢行する。両弦に櫂が並ぶ構造上、船首にしか大砲を装備できないガレー船と違い、側舷にも砲口を持つ帆船は通り過ぎようとする海賊の船団を容赦なく砲撃の餌食とする。


「怯むな! 突き進め!」


 しかしどれだけ被害を出しても一度突破に成功して中央の敵艦隊に喰らいつけば、そこは敵味方入り混じる白兵戦に舞台が移る。こうなれば同士討ちの危険から下手な砲撃はできなくなる。このラシードの狙い通りに帆船団の防衛線を突破して中央の敵艦隊にぶつかる頃には、既に敵味方の中央艦隊同士が衝突し激烈な戦闘を開始していた。


 接舷と同時に小銃による一斉射を放ち、その銃声と弾幕の後ろから次々と抜刀したミザールの戦士たちが「神は偉大なりエル・ミザール!」の声とともに乗り込んでいく。神聖同盟の戦士たちは口々に「至高神ユーリエの正義を!」「戦神ヴァレスの勇気を!」「勝利の女神ニアの栄光を!」と叫んでこれを迎え討つ。


 そこかしこでガレー船同士の舳先が激突し合い、折れるのも構わずに互いの櫂を噛み合わせて海上の陸地と化した船上では、彼我の男たちがそれぞれに神の名を叫びながら、血で血を洗う凄絶な激闘が展開され、渦のような戦場は唯一神ミザールと神々の名に満ちた。


 しかし神のもたらす勝利は、どちらか一方の頭上にしか輝かないものだった。

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