フェイヴァリットミュージシャン

Jack Torrance

第1話 俺のフェイヴァリット

ミシシッピ州ピックスバーグ。


人口2万人強。


南北戦争の名残を色濃く残し綿花や大豆、鯰の養殖などで地元の経済は成り立っている。


そんな環境で過ごしている3人の腐れ縁のヤローどもが夜に集う古びたバー。


バーの親父のマックス ケリガンが倅のロニーと2人で切り盛りしながら細々とやっている。


店の名はゾラ。


ロニーの母ちゃんでマックスの死に別れた恋女房の名だ。


辺りの男衆どもがかみさんから解放されて、その日の疲れや憂さを晴らす憩いの場所だ。


褐色砂岩の吹けば飛びそうなおんぼろバーの店先に、これまた吹けば飛びそうなゾラとペイントされた看板がぶら下がっている。


ロブ フライヤーが店にやって来たのは18時を少し回った頃合いだった。


ロブはガソリンスタンドで働いていて油が染みた白のタンクトップにモスグリーンのカヴァーオールの袖のブ分を腰のところで結んでいて黒の編み上げブーツといった出で立ちだった。


扉を開き一歩中に足を踏み入れると、いつも目にする殺風景な店内。


5人掛けのバーカウンター。


マホガニーなんて夢のまた夢。


安価な合板で拵えられたチープな作りのバーカウンター。


骨董品店で買い叩いてきたかのような丸テーブルに背凭れの付いた古びた木製の椅子が3脚で一組になっている。

それが三組並んでいる。


カウンターもテーブルも、どれも煙草の焦げ跡と油の染みがこびり着いている。


天井にはシーリングファンがカタカタと音を立てて回っている。


羽は油と埃で真っ黒になっている。


壁には亡き妻の描いた忘れ形見の油絵が掛けられ店内の奥には年代物のジュークボックスが据え付けられている。


店のバーカウンターには既に車の修理工のネイサン マクブライドと杖をつき、いつもへべれけになって覚束ない足取りで帰って行くドニーじいさんがいた。


マックスが言った。


「よお、ロブ、今日は早いじゃねえか」


ロブがにこりと笑って言った。


「今日は早く仕事が引けちまったもんでね」


ドニーじいさんがグラスのウイスキーをぐびりと呷りロブに向かって言った。


「若造、わしがおめえくらいの歳だった頃には女を取っ替え引っ替えして毎晩モーテルにしけ込んでやりまくっておったぞ。女どもは皆わしの事をこう言っておった。グラインド ドニーと。おめえは人生を浪費しておる。こんな汚いバーに毎晩のように入り浸りおって。若造、女でも作ってモーテルにしけ込んでわしのように腰を振って振って振りまくるがいい。セックスに勝る快楽は無いからの」


マックスが呆れたようにドニーじいさんに言った。


「汚いバーで悪かったな」


ネイサンはそんな場の空気は何処吹く風といったように寡黙な男で自分の世界に入っていた。


熟成されたシングルモルトを舌で転がしながらその芳醇な琥珀色の大地が齎した天の恵みをじっくりと味わっているようであった。


ロブが丸テーブルに腰を下ろして言った。


「じいさん、強も絶好調だな。親父さん、彼奴らももうすぐやって来るだろうからよ。いつもの奴頼むよ」


マックスが洗い物をしながら倅に言った。


「ああ、ロニー、アイスペールに氷とグラス3つ。それにジムビームのホワイトを持って行ってくれ」


マックスは倅にてきぱきと指示を出しロブの方に振り返って再度注文を尋ねた。


「食いもんは何にする、ロブ?」


「鯰のフライとマルゲリータを人数分頼むよ。後、ナッツを袋でくれよ。食いもんは彼奴らが来てから頼むよ」


ロニーが言われた物をロブのテーブルに運んでロブに尋ねた。


「ねえ、ロブ、ジーナって彼氏とかいるのかな?」


ロブがロニーの顔を繁繁と見ながら言った。


「ロニー、お前、ジーナの事、好きなのか?」


ロニーが照れながら頬を赤らめた。


ロブが俺に任せとけってな具合でロニーの腕をポンと叩いた。


「今度、ジーナがガソリン入れに来た時に聞いといてやるよ」


ロニーがその言葉を待っていたかのように表情を緩めた。


「ありがとう、ロブ」


ロニーが嬉しそうに厨房に戻って行った。


ロブがトングでグラスに氷を入れてジムビームをグラスに注ぎ入れる。


琥珀色の液体がグラスの半分くらいまで満たされる。


バーボンの甘い香りが鼻腔をくすぐる。


一口呷り下で転がし胃袋に流し込む。


ひりつく食道。


カアッーと熱くなる胃袋。


これだよ、これ。


この五臓六腑に染み渡るこの感触。


仕事終わりにはたまんねえ瞬間だな。


袋のナッツを破り5、6粒口に放り込みポリポリと噛み砕く。


それを、またバーボンで流し込む。


ロブは店の壁に掛けられている時計に目を移した。


もうすぐ来る頃合いかなあ。


ほどなくしてケイレヴ ウイングフィールドが店内に入って来た。


「やあ、皆の衆。こんばんは」


ケイレヴは紫のグレイトフル デッドのロックTシャツにブラックのダメージジーンズ。


胸にはスカルローゼスのロゴがプリントされている。


靴はゴールドにラネが入った紐を通していて黒に白のロゴがデザインされたプーマのスニーカーといった出で立ちだった。


ケイレヴはレコードショップで働いている。


「よお、ケイレヴ、遅かったじゃねえかよ」


ケイレヴはハミルトンのミリタリーウォッチに視線を走らせ言った。


「いや、俺はいつも通りの定刻に来た。お前が早いだけだ」


「あっ、そっか。今日は仕事が早く引けたんだった。わりいわりい。まあ、お前も飲めよ。駆け付け三杯だ。今日は無礼講だ」


「何が無礼講だだ。毎回、無礼講じゃねえかよ」


ケイレヴが椅子を引いて掛けた。


ロブがケイレヴのオン ザ ロックを作ってやりながら言う。


「イーサンのヤローおせえな」


ケイレヴがロブに注文を出しながら言う。「薄めで頼む。彼奴んちは綿花農家だからな。今は作付が終わって一息つける頃なんだろうけどよ。やっぱ農家だから色々と日々忙しいんだろうよ。俺達みたいな雇われもんと違ってよ」


ロブがケイレヴの言った一言に同感し頷きながら言う。


「ああ、それに奴は先月に人生の墓場に入っちまったからな。でかパイの上にデカ尻のかみさんを貰っちまったからな。彼奴、最近腰が痛いってよく言ってるだろ。ありゃ、かみさんとやり過ぎだな。でもよ、こうやって夜は俺らに奴を開放してくれるってのは出来たかみさんだぜ」


ロブがケイレヴにオン ザ ロックを手渡しケイレヴはちびちびとそれを啜った。


ロブがグラスのバーボンを空にして腕組みして感慨深げに背凭れに身を預けて言った。


「こうやって馬鹿言いながら集まれるのもよ、イーサンにガキが出来る時までだろうけどな。やっぱ、所帯つーのを持っちまったら遊びだけに構っていられなくなっちまうからな。寂しくなっちまうよな」


2人で物思いに耽りながらちびちびとバーボンのオン ザ ロックをやっていたらイーサン チャットモンが店内に入って来た。


ネイビーのカヴァーオールに麦わら帽子を阿弥陀に被り足元はビーチサンダル。


日々の肉体労働で首から肩にかけて隆起した筋肉にぶっとい腕。


イーサンは黒人で肌の色が違うロブやケイレヴとはガキの頃からの付き合いだ。


何をやるにしても3人はいつも一緒だった。


ロブやケイレヴもイーサンの事をブラザーと呼び人種差別には反対の立場を貫いていた。


南部では黒人差別はまだ根強く残っているが、そんな風土の中で3人の絆は微笑ましいものだった。


互いが互いを思いやり、時に馬鹿に、時にリスペクトし合い、個々の思想や感情が互いを高めていった。


3人とも大が付くほどの音楽通でロブやケイレヴにもリスペクトする黒人ミュージシャンが多く、イーサンにとっても、その逆も然りというような感じであった。


「よお、来たな色男」


ロブがイーサンのオン ザ ロックを作ってやる。


「よお、イーサン、お前、日焼けしてまた更に黒くなったんじゃねえのか」


ケイレヴがイーサンの椅子を引いてやりながら揶揄する。


イーサンが歯並びの良い白い歯を覗かせて笑いながら腰を下ろした。


「バカヤロー、これは地黒だ。お前ら、それにしても女っ気が全くねえな。もう、そろそろ僕達、ゲイですってカミングアウトしちまったらどうなんだ」


ロブがイーサンにオン ザ ロックを手渡した。


ようやく3人が揃ってロヴがグラスを掲げて音頭を取った。


「んじゃ、今日もお疲れさん」


3人がグラスをカチンと合わせてバーボンを呷る。


「うめえな。やっぱ愛すべきバカヤローどもと飲む酒はよ」


イーサンが染み染みと言った。


「親父さん、食いもん頼むよ」


ロブがバーカウンターのマックスに言った。


「あいよ、出来たらすぐ持って行くよ」

マックスがドニーじいさんのグラスにウイスキーを注ぎながら答えた。

ドニーじいさんは気持ち良さ気に煙草の煙を燻らせている。


ネイサンは一杯目のシングルモルトを慈しむかのようにちびちびとやっている。


ロブがケイレヴに言った。


「よお、ケイレヴ、昨日のテデスキ トラックス(テデスキ トラックス バンド)のライヴどうだった?」


ケイレヴがバーボンを一口呷ってから言った。


「おお、そりゃ、すっげえ盛り上がったぜ。デレク(デレク トラックス)のスライドの音色は何度聴いてもたまんねえな。スーザン(スーザン テデスキ)の、あのハスキーなヴォーカルといい奴らは現在最強のライヴバンドだぜ。やっぱ、デレクは天才だな。スティーヴ ウィンウッドが神童って言われてたんならデレクもこれまた然り。神童と呼ばれる男として相応しい男だな」


ロヴが太ももを掌で打ち興奮気味に言った。


「かー、羨ましいぜ。現代最強のライヴバンドを生で聴けるなんてよ。俺も行きたかったぜ。昨日が遅番じゃなかったらよ。絶対に行ってたな。畜生、仮病して休むべきだったぜ」


イーサンがロブとケイレヴの会話を聞きながら羨ましそうに言う。


「お前らは独り身で気楽だからいいよな。俺はかみさんも貰っちまったしな。自営だからライヴなんてなかなか行けねえしよ」


ロブがイーサンを励ますように言う。


「綿花の収獲が一段落ついたらよ、かみさんも連れてみんなでライヴに行こうぜ」


「ああ、そうだな」


イーサンがグラスを空けてジムビームを注ぎ入れる。


ケイレヴがロブとイーサンに尋ねる。


もし昔にタイムスリップで来たら誰のライヴを見に行きたい?俺はぜってーデッド(グレイトフル デッド)だな。ジェリー(ジェリー ガルシア)のギターは最高だぜ。ヤクのヤリ過ぎでくたばりかけてた時は別だけどよ。エレキ、アコースティック、ペダルスティール、バンジョー、どれをやらせても最高だ。ローリングストーン誌のギタリストランキングで何故この順位なんだって俺は思っちまうぜ。そりゃ、ジミ(ジミ ヘンドリクス)やクラプトン(エリック クラプトン)は良いギタリストだけどよ。俺の中じゃジェリーがNo.1だな。ライヴってーんなら、やっぱデッドだぜ。奴らの十八番(おはこ)ったらインプロヴィゼーション(即興演奏)だかんな。あのケミストリーは何度聴いても鳥肌もんだぜ。ボブ(ボブ ウィア)のリズムギターは癖になるしよ。なんてったってリズムギターでスライドかましてやがるからな。ありゃ、ぶったまげたぜ。フィル(フィル レッシュ)のベースなんてフー(ザ フー)のジョン エントウィスルやクリームのジャック ブルース同様、革命もんだと思うぜ。それにビル(ビル クロイツマン)とミッキー(ミッキー ハート)のツインドラム、リズムデヴィルズ(ビルとミッキーのコンビの愛称。映画監督フランシス“フォード”コッポラが二人のドラミングをこう形容した事から、この愛称が定着した)のコンビネーション。どれを取っても超一流だぜ。キーボードはその時代時代で好き好きだな。俺はブレント ミドランドが好きだな。奴はヴォーカルも熟すしな。ピッグペン(ロン“ピッグペン”マッカーナン)も好きだな。キーボードはイマイチだったけどよ。奴のヴォーカルとハープはイカしてたぜ。早くに逝っちまったのが残念でならねえな」


ケイレヴが熱く語っていたらロニーが鯰のフライとマルゲリータ、それに注文していないフライドポテトを運んで来た。


「待たせたね。ポテトは俺からの奢り。ロブ、ジーナの事は頼んだよ」


ロニーがロブにウインクした。


「悪いな、ロニー。気遣わせちまってよ。ジーナにはお前の事プッシュしとくからよ。ポテト御馳走さん」


運ばれてきた料理にがっつくロブとケイレヴとイーサン。


酒が進むほんのり甘く辛味の利いたチリソースが掛かった鯰のフライ。


熱々にとろけた糸を引くチーズを舌先で絡め取りながら頬張るマルゲリータ。


適量に塩味が利いたほくほくのフライドポテト。


三者、満面の笑みを浮かべて口を揃えて言う。


「うめえ」


ロブが鯰のフライをバーボンで流し込んで言う。


「ツインギターでツインドラムったらよオールマン(オールマン ブラザーズ バンド)も外せねえよな。ドゥウェイン オールマンのボトルネック(薬やウイスキーの瓶の口の部分をカットして小指に装着してそれをスライドさせてギターを奏でる奏法)なんて最強だぜ。ウィルソン ピケットの“ヘイ ジュード”なんて滅茶染みるよな。ボトルネックったらよローウェル ジョージ(リトル フィート)とかデレイニー ブラムレット(デレイニー&ボニー)なんかも滅茶好きだな、俺は」


ロブやケイレヴよりも一回り体の大きいイーサンは既に4杯目のオン ザ ロックを空にして5杯目を注ぎながら熱く語る。


「俺達、南部男の魂ったらザ バンドを外して語れねえだろう。奴らも最高だよな。リヴォン(リヴォン ヘルム)とリック(リック ダンコ)とリチャード(リチャード マニュエル)のヴォーカルはどれも味があってイイよな。“オールド ディキシー ダウン”なんて南北戦争の事を歌っていて泣けちまうよな。俺はファンク ブラザーズが携わった曲なんてのも好きだな。ジェイムズ ジェイマスンのベースは後進にも絶大な影響力を誇っているしな。奴はガキの頃に蟻どもに棒切れにゴム紐を張ってベース替わりにして蟻どもにダンスさせていたらしいぜ。ジェイムズのブラック ビューティー(ジェイムズ ジェイマスンが愛用していたベースの愛称)を盗んだヤローはクソヤローだな。キング カーティスの“メンフィス ソウル シチュー”のジェリー ジェモットのベースラインも超ヤバいよな。『ライヴ アット フィルモア ウエスト』の面子はコーネル デュプリーとかバーナード パーディとか豪華過ぎるからよ。マジ、ぶっ飛んじまうよな。後、お前らギタリストと言えばマイク ブルームフィールドも忘れちゃいけねえーんじゃねえのか。ポール バターフィールド ブルーズ バンドの“イースト-ウエスト”は名曲だし白人ブルーズギタリストじゃブルームフィールドが最強なんじゃねえのか」


ロブがうんうんといった按配で頷く。


「カーティスのありゃマジで名盤だな。ブルームフィールドもベンツの中でオーバードースで死んじまうなんて悲しいよな。ヤクから立ち直ってたらくらぷとんみたいに今でもすんげえのぶちかましてくれてんだろうけどな。親父さん、もうすぐボトルが空になっちまうから、もう1本と氷を頼むよ」


マックスがドニーじいさんのグラスにウイスキーを足してやっている。


「あいよ、ちょっと待ってくれ」


ネイサンがグラスのシングルモルトを飲み干しカウンターに20ドル紙幣を置き勘定を促した。


マックスが釣り銭の8ドルを渡した。


ロブがネイサンに言った。


「ネイサン、あんた、いつも、きっちり2杯で打ち止めだな」


ネイサンがカウンターから身を翻しロブ達のテーブルに視線を移した。


「俺の安月給じゃな。それに、酔い潰れちまって帰っちまったらかみさんに家に入れてもらえないしな」


ロブとケイレヴとイーサンが笑った。


「どっかのじいさんに耳にタコが出来るくらい聞かせてやりてえぜ」


ロブがドニーじいさんを見やりながら爆笑している。


ケイレヴが言った。


「じゃあ、気を付けて」


ネイサンが油染みが付いたカヴァーオールの襟を正しながらロブ達に言った。


「お前らもほどほどにしとけよ」


ネイサンが店の扉を開けて外に出ようとした時にネイサンと入れ替わりに1人の女性が入って来た。


その女性はアマンダ フォロウウィルだった。


ネイサンが道を譲り扉を開いてあげている。


アマンダがネイサンに礼を言う。


「ありがとう、もう帰るの?」


「ああ、かみさんに角が生えちまう前にね」


「良い夜を」


アマンダが自分より随分背丈が高いネイサンの顔を見上げながら言った。


「ああ、君もね」


ネイサンはアマンダに親指を立てて店を後にした。


アマンダはボブカットにしたブルネットの髪色でブルーの瞳。


長くカールした睫毛に笑うと靨がキュートな女性だ。


背は高くその容姿に似合わぬ細身の割には筋骨は逞しい。


彼女は大工をしている。


薄いピンク色のタンクトップの上に七分袖のグレーに白の水玉模様のヨットパーカー。


首元にはイーグルフェザーのモチーフのチョーカー。


カーキのカーゴパンツにDr.マーチンのブラックにラメが入ったサンダルを履いていた。


アマンダはマックスの店には親友のベリンダと一緒に来る事が多いが今夜は1人だった。


ロブとケイレヴとイーサンはアマンダとベリンダと共に飲んだ事が数回あった。


アマンダは現在34歳でロブとケイレヴとイーサンよりも6つ年上で浮いた話の一つもとんと聞こえてこなかった。


噂ではアマンダはレズビアンじゃないのかって話も話題に上るくらいだ。


アマンダほどの容姿端麗な女性ならば男の影がちらついてもおかしくないだろうと言うのが男衆の言い分だった。


アマンダが今日もあんた達いるのという呆れた物腰でロブとケイレヴとイーサンを見て言った。


「あんた達、また雁首揃えて飲んでんの?いつも仲が良いわよね」


そう言いながらバーカウンターのドニじいさんの横に掛けようとしていた。


ロブが言った。


「アマンダ、あんたも一緒に飲まないかい?今日は俺らの奢りでいいぜ」


アマンダがロブ達のテーブルに振り向いた。


「今日は何か良い事があった訳?」


イーサンが首を振りながら言う。


。「んなもん此奴らにある訳ねえよ。此奴らは女っ気もねえし、いつもむさ苦しいヤローどもと飲んでるからよ。たまにはあんたみてえな美女と一緒に飲みたいんだよ。俺にはべっぴんなかみさんがいるから此奴らと次元の違う世界で生活してるけどね。此奴らときたら家に帰ればマスかいて寝るだけってゆー寂しい生活だからよ」


アマンダが笑いながらロブとケイレヴの顔をまじまじと覗き込みながら言った。


「ふーん、そうなんだ。可愛そうな僕ちゃん達ね。それなら今日くらい付き合ってあげてもいっかなー」


アマンダが悪女の笑みを浮かべている。


ロブが言った。


「そうこなくっちゃ」


ロブが隣の丸テーブルから椅子を一脚、自分達のテーブルに寄せた。


「好きなもん頼んでくれよ」


ロブがアマンダに促す。


「プレッツェルとアーモンドチョコある?」


アマンダがマックスに尋ねた。


「あるよ」


マックスが封を切っていないボトルを棚に並べながら言った。


「じゃあ、それとグラスとクラブソーダをお願い」


ケイレヴがアマンダに尋ねた。


「バーボンのソーダ割りでいいの?」


アマンダがジムビームのボトルの残量を見ている。


「ええ、それでいいわ。どうせ、もう、あんた達これ全部飲めないでしょ。その酔いっぷりじゃ」


「確かにボトル2本はきついな。親父さん、ついでに氷も頼むよ」


ロブが氷しか入っていないグラスをカランコロンと振って鳴らしてみせた。


マックスが注文の品をテーブルに運ぶ。


グラスにバーボンを注ぎケイレヴがグラスを掲げて畏まる。


「素晴らしきかな、人生。皆の前途に」


皆でグラスを合わせる。


アマンダがバーボンのソーダ割りを一息に飲み干してプレッツェルを齧りながら尋ねる。


「ところで、あんた達、何の話で盛り上がってた訳?」


ロブがアマンダのソーダ割りを作ってやっている。


ケイレヴが言う。


「フェイヴァリットなミュージシャンの話さ」


アマンダがロブからグラスをコースターの上に置いてもらい目配せでありがとうのサインを出した。


少し照れるロブ。


「ふーん、あんた達は楽器か何かやるの?」


イーサンがバーボンを呷ってグラスをコースターの上に力任せに置いてよくぞ聞いてくれたといった表情になった。


「俺がベースでケイレヴがギター。ロブガドラムをやる。最近は皆が忙しくてガキの頃のようにジャムる事はめっきり減ったけどね。アマンダは音楽とか聴くのかい?」


アマンダがアーモンドチョコの銀紙を剥きながら言う。


「ええ、もちろん聴くわよ。ブッカ ホワイトとかサン ハウスとか。チャーリー パットンの“ハイ ウォーター エヴリホエア”なんかも良いわね。デルタブルーズが割と好きね。ブラインド“ウィリー”マクテルとかバーベキュー ボブとかのアトランタピードモントなんかもよく聴いてるわよ。リゾネーター(共鳴板が内蔵されたギター。他にもドブロなどがある)をあたしも爪弾くのよ」


ロブがアマンダの顔を驚いた表情で見つめながら言う。


「あんた、音楽の趣味といいリゾネーターを弾くってのも相当渋いな。今度、俺らとジャムらないか?」


アマンダがロブからバーボンのソーダ割りを受け取りアーモンドチョコを口に放り込んだ。


ポリポリと噛み砕きソーダ割りで流し込んで言った。


「ええ、いいわよ」


アマンダが男勝りの飲みっぷりでグビグビとソーダ割りを流し込む。


ロブがアマンダの顔を繁繁と覗き込みながら悪戯っ子の悪ガキの表情になった。


「男連中の間じゃあんたがレズなんじゃねえのかって話になってんだけど本当かい?あんたみたいな美女が男がいねえってのがそもそもおかしな話でよ」


アマンダが口に含んだソーダ割りを吹き出しそうになった。


「な、何あんた達あたしの知らないところで馬鹿な事言ってんのよ。仕事柄知り合う機会が無いだけよ。他の馬鹿な男連中にも言っといてちょうだい」


「ハハハハハ、そんなに怒んなよ、アマンダ。ほら、もう一杯飲んで機嫌直せよ」


ロブがアマンダのグラスを奪いまたバーボンのソーダ割りを満たしていく。


「もう、男って本当に馬鹿なんだから」


アマンダがグラスを受け取り一口呷った。


その後、4人は音楽談義や趣味、仕事の話などで盛り上がり時刻は23時20分を回ろうとしていた。


ドニーじいさんはマックスと駄弁りながら、すっかり泥酔していた。


ロブは立ち上がりジュークボックスに向かった。


25セント硬貨を小銭でジャラジャラ鳴っているカヴァーオールのポケットから取り出して投入口に滑らせた。


曲を選曲するとジュークボックスの中でシングル盤を選択している機械音が鳴っている。


機械音が止むと店内にジェリー コービットの“ジョン ディア トラクター”が流れ出した。


アマンダがロブに尋ねた。


「何て言う曲なの?」


「ジェリー コービットの“ジョン ディア トラクター”だよ」


アマンダが物悲しくて牧歌的な曲の良さにうっとりしながら呟いた。


「良い曲ね。何だかうるっと来ちゃいそう」


マックスも目を閉じて昔の楽しかった思い出を回想しているかのように聴いていた。


「かみさんが好きだった曲だ。あの頃はほんの些細な出来事でもかみさんと一喜一憂してたもんだな。ロニーが生まれた時なんて最高に嬉しくて子育てではかみさんとハラハラさせられたもんだぜ。おや、ドニーじいさんは、もう御眠の時間のようだな。すっかり出来上がっちまってる。俺はじいさんを家まで送ってくから勘定はロニーにしてもらってくれ。お前らも気い付けて帰ってくれよ」


そう言ってマックスはドニーじいさんの脇を支えて店を出ようとした。


ドニーじいさんが寝言のようにニタニタと笑いながらムニャムニャと言った。


「おい、もう勘弁してくれ。わしは、これ以上もう腰は振れんぞ」


皆がどっと笑った。


ジュークボックスから流れていた曲が終わった。


アマンダの加勢で2本目のジムビームも空になっていた。


ロブがロニーに勘定の催促をした。


「勘定頼むよ、ロニー」


「180ドル、端数はいいよ」


ロブが言った。


「先月、残業多かったから俺が80出しとくよ。後は50ずつ頼むよ」


皆でバーカウンターの上に紙幣を出し合う。

「アマンダが申し訳なさそうに尋ねる。


「あたし、ほんとに出さなくていいの?」


ロブが言う。


「ああ、いいっていいって」


アマンダがにこっと笑みを返す。


「ラッキー、御馳走様」


ロブははにかむアマンダを見て靨がキュートで可愛らしいなと胸がキュンとした。


「俺とイーサンは同じ方向だけど。アマンダは何処に住んでんの?」


アマンダが掌で欠伸を隠しながら言う。


「ベイカーさんちの金物屋の斜め前のアパートよ」


ロブが言った。


「俺んちと方向一緒だな。俺がアマンダを送ってくよ。じゃーな、ケイレヴ、イーサン」


「おやすみ、お二人さん」


ケイレヴが言う。


「おやすみ、アマンダ、此奴は女と二人っきりになったら何を仕出かすか分んねえから気を付けてな」


イーサンが背伸びをしながらロブを茶化した。


アマンダが笑いながら言った。


「今日は御馳走様。忠告ありがとう。気を付けとくわ。おやすみなさい、イーサン、ケイレヴ」


ロブがやり返した。


「うっせーぞ、イーサン。お前はかみさんでも抱いてろ。ケイレヴ、お前は寂しくなったらコールガールでも呼べ」


ケイレヴがロブを見下すように言う。


「俺にも慰めてくれるガールフレンドの1人や2人はいるぜ。マジで女っ気がねえのはお前だけだ」


ロヴが苦虫を噛み潰したような表情で負け犬の遠吠えを咆哮した。


「悪かったな。モテモテのお二人さんよ。そんじゃ、お前らも気を付けて帰れよ。じゃ、おやすみ」


4人は二手に分かれた。


ロブとアマンダがとぼとぼと家路を目指す。


「いい月だな」


ロブがぼそりと言った。


「ええ、そうね」


アマンダが返答した。


乳白色の満月の柔らかい光がアマンダの顔をミュージカルのスポットライトのように照らし出す。


少し日焼けした小麦色の褐色の肌が健康的で魅力的な女性にロブの目には映った。


ロブはマックスの店でアマンダを見掛ける時にも密かに理想の女性像を見ているような恋愛感情を抱いていた。


ロブにとってアマンダは異性の中ではフェイヴァリットな存在になっていた。


ロブがアマンダに尋ねた。


「あんたみたいないい女が彼氏がいないってのが信じられねえよ。ほんとに彼氏いないの?意中の人とかいんの?」


アマンダがロブの顔を覗き込むように言った。


「何で、そんなにあたしの事聞くの?あー、さてはあたしの事好きなのかなー」


アマンダがロブを揶揄った。


ロブは愛嬌はあるが、その一方では無骨な南部男という一面も持ち合わせていた。


いざ、女性に告白するとなると気恥ずかしくなるのだった。


ロブは面構えは捨てたもんじゃなかった。


ロブが真剣な表情になった。


アマンダはその表情を見て取り少し面食らったように言った。


「まさか!図星?」


ロブがこくりと頷いた。


アマンダの前に立ちはだかり相手の目を見据えて真剣な声音で言った。


「俺でよかったら付き合ってくんないか、アマンダ?」


「あたしの方が大分年上だよ。あんた、それ解ってんの?」


ロブは今まで心に貯めていたアマンダへの思いが堰を切ったように止めどなく溢れ出してきた。


「あんたがいいんだ。あんたじゃなきゃ駄目なんだ。俺はあんたが好きなんだ。俺の楽しい時、辛い時、悲しい時、いつもアマンダに傍にいてほしいんだ」


沈黙。


アマンダは突然の事に何手返答したらいいいのかと迷い言葉が出てこなかった。


アマンダのアパートまで二人は黙りこくって歩いた。


ロブはふられたと思った。


アマンダのアパートまでの5分間が永遠に感じられた。


アパートの前に着きロブが気不味そうに言った。


「じゃーな、アマンダ。さっきの事は忘れちまってくれ。今夜は楽しかったよ。おやすみ」


アマンダがロブを引き留めた。


「ちょっと待ってて」


そう言い放つと玄関のドアノブにキーを挿し込んで扉を開くとそそくさと中に入って行った。


1分くらいで手に何かを握って出て来た。


そして、ロブの手を掴んで手に握っていた物を握らせた。


「これ、あたしの番号。明日、また掛けて来て。ほんとは部屋に上ってお茶でも飲んでく?って言ってあげたいんだけど軽い女って思われたくないの」


「ああ、解るよ。その気持ち」


ロブは同感した。


「今日は楽しかったわ、ロブ。また明日、電話で話しましょ。おやすみなさい」


アマンダはロブの頬にそっとキスをして部屋の中に入って行った。


ロブは、その場に立ち尽くし天にも昇る気分だった。


自分で自分の頬を抓った。


これは夢か。


夢なら覚めないでくれ。


いや、現実であってくれ。


俺に明日電話してくれってアマンダは言ってたな。


ロブはアパートの前の通りに出た。


空を見上げると、あの乳白色の満月が自分を祝福してくれているような気分だった。


キャッホー!


ロブは心の中で叫んだ。


そして、また家に向かって歩き出した。


冷蔵庫にはまだ1本ビールが冷えてたな。


祝杯だ。


これが飲まずにいられるかつーんだよ。


じわじわと高揚して来る胸の火照りを抑制しながら家路に就く。


頬には温かい感触がまだ残っている。


ロブは明日電話で何を話せばいいんだと思案に暮れながら表情は目尻が下がりにやついていた。


やさしく頬に触れたアマンダの柔らかい唇の余韻に浸りながら…

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