#4 guinnocent

 まただ。

 今日も世界は、変わらない。

 うんざりするほどに、変わらない。


 俺を見る目は、確実に遠くて、冷たい。

 地元を少し離れてもなお、その目は俺を追い続ける。執拗に、粘着質に。

 この世界の全ての瞳が、色を失った状態で俺を見つめている。



「俺は何もしていない」



 そう叫べたら、どんなに楽だろうと思う。

 だけどその叫びさえも、喉元で掠れてしまった。あまりにも、周りの目が攻撃的だったからだ。俺なんかには、有無を言わせない空気を醸し出していたからだ。


 俺の素性を知っている者でさえも、あの時から、俺を露骨に避け始めた。

 名前が違うだけで、遺伝子は同じだからと。

 ちょっとしたきっかけさえあれば、お前もあいつと同じ運命を辿ったのだろうと。




 遡ることおよそ10年前、ある男——いや、ある少年が世間を騒がせた。


 少年は、自身が振られた女子生徒と交際し始めたことを自慢げに話していたクラスメイトに、逆恨みをした。ある朝何も言わずにクラスメイトに近寄り、命を奪おうとした。

 被害者は水泳部に所属していて、屈強な体を持っていたから、完遂とはならずに済んだ。しかし一時は生死を彷徨うほどの重傷を負い、回復してもトラウマのせいで、しばらく学校へ行けなくなった。

 渦中の女子生徒は自分のせいで事件が起きたと激しく自分を責め、睡眠薬を大量に飲もうとした。慌てた彼女の姉がすんでの所で止めて以来、大量服薬こそ無くなったものの、彼女もまた、しばらく学校を休む羽目になった。



 男女関係の逆恨みによる、殺人未遂。


 この理不尽極まりない凶悪犯が、自分の——しかも、一卵性双生児の兄——であるだなんて、誰が想像できただろう。



 あの日、隣のクラスから、この世のものではないような悲鳴が聞こえた。何事かと思い、怖さと多少の興味深さを抱えて、隣のクラスを覗き込んだことを覚えている。

 でも俺はこの愚行を激しく後悔した。俺と同じように隣のクラスを覗き込んだ面々は、次々と俺を見た。


 返り血を浴びたその少年の顔は、自分より少しだけ離れ目とはいえ、まさに俺そのものだったのだ……。



 少年事件では、顔や実名の報道はされない。でも地元では完全に面が割れている。

 それほど裕福な家庭でもなかったので、すぐに遠くへ引っ越すことなどできなかった。毎日のように家の外壁に中傷の言葉を書かれ、ポストに脅迫の文面が入れられた。

 近所の高齢者は、俺を犯人と間違えた。「人を殺めようとしたのに、なんでここにいるんざね!」と罵声を浴びせられた。必死で弁解すれば、「双子なんて、人生損したな」と捨て台詞を吐かれた。

 道ゆく人は俺から極端な距離を取り、「もう出所したんじゃないだろうね」と陰口を叩いた。


 一卵性双生児であることを、この時ほど恨んだことはない。せめて二卵性であれば、こんな事態は避けられたはずだった。




 それから数年経って、地元を離れた。高校の寮に入って、今までの人間関係を見事に断ち切った、つもりだった。


「なんでお前がここにいるんだよ、殺人鬼」


 まさか同じ中学の人間がいるだなんて、思わなかった。そいつの言葉はウイルスのように瞬く間に広がって、結局ここでも俺は殺人鬼扱いを受けた。


 その後高校を卒業して、就職しても、その噂を知る人間からは逃げられなかった。俺は何もしてないのに、どうして。


 どこまでもどこまでも、冷たく攻撃的な目が俺を囲い込む。この顔のせいで、どこにも逃げ場がなかった。




 もう、疲れてしまった。


 もういいよ。もう分かってくれなくていいや。


 そんなに、そんなに俺を避けたいのなら、こっちから願い下げだ。


 本当の俺を見てくれないのなら、心の底から俺を嫌ってくれて構わない。



 だから、醜くなろうと決めた。

 あいつが罪さえ犯さなければ、両親から授かったこの顔は、周囲からいくらかの好意も得られたはずだったのに。


 口をへの字に曲げ、目を吊り上げ、眉間に皺を寄せた。鼻は上向きにし、歯磨きをやめた。頬に何本かの注射をして、わざと腫れ上がらせた。


 ……ほらな、こうすれば人は、俺を見ようともせずに避けていく。

 今まで覗き込むようにして、「やはりあの殺人鬼と同じ顔だ」と確信を持たれて避けられるより、よっぽど良い。


 醜くなって堕ちていけば、誰も俺を見なくなる。



 きっと、俺も罪を犯したんだ。


 いっそのことそう思ってしまえば、苦しみが減ったような感覚になれる。


 殺人鬼と同じ風貌で、世間を惑わせた。


 殺人鬼と同じ遺伝子で、世間を怯えさせた。


 俺はきっと、無罪だけど有罪。

 そして、有罪だけど無罪。


 ただどんなに辛くても、贖罪しょくざいとして自分だけ死ぬのは、残された被害者に面目が立たない。

 だからせめて、醜く生きようと決めた。 



 でもさ、

 ちゃんちゃらおかしいよな。


 あいつは塀の中で守られて、外に出たって守られる。危ない人間として、特定の場所で保護される。


 なのに俺は。

 どこで生きていたって、誰も守ってくれない。殺人鬼の一卵性双生児として、社会で晒し者になるだけだ。



 俺が一体何をした? 何をしたら、ここまでの仕打ちを受けることになる?



 …………もしかして、本当は俺が殺人鬼なのか?

 あいつより先に、俺は誰かを手にかけたんだろうか?




 分からない。

 もう何も、分からない。




 答えなど出しても無駄だというように、不自然に膨れた頬がズキリと痛んだ。

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