第9話 挨拶のうた

 朝早く俺は覚ました。睡眠時間はいつもより短いはずなのに水をかぶった時のように目がスッキリしていた。


 誰が見ている訳でもないはずなのに朝食を食べて身支度を整えるその一挙手一同に俺は緊張していた。領主様のところへ働きにいく、その事実だけで俺は硬直していた。


 宿屋の人に挨拶を済ませ、館に向かう。その道中のことは何も覚えていない。足が義務的に動いていただけのような気がする。それほどまでに俺は緊張していた。空飛ぶジョウロも、突如湧くように現れる人々も、魔法の技術が街並みに溢れているのも全く気にならなかった。館に出向くということだけで頭がいっぱいだった。


 いざ館についてみると俺はあんぐり口を開けることになった。


 市役所並みの大きさの建物だ。ベージュの外壁に三角屋根が二、三個連なっている。一般住宅のキメラのような外観だ。そしてその館へと伸びる道も石畳が綺麗に敷かれ、その両脇には色とりどりの花が咲き乱れており、まるで花のプールのようだった。


 門番らしき人が俺の顔を見るや否やすっ飛んできた。おそらく不審者だと思われているのだろう。彼は腰につけた剣に手をかけながら近づいてきた。


「何者だ!」


「し、詩人のトルバトルと申します!」


「トルバトル……あぁ、ネスト様から聞いています。失礼しました」


 門番はそういうと大きな鉄製の黒い門を開き始めた。ゴウンゴウンという普通の門を開く音とは確実に違う音が響く。どこまでこの館は規格外なのだろうか。


 門番に軽く会釈をして俺は門をくぐり抜けた。凹凸一つない石畳を鳴らして歩く。


 俺は高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。散々覚悟はしていたつもりだが、いざ館に出向くとなるとやはり緊張するものだ。


 館の扉の前に着くと俺は扉を見上げた。ジャイアント用なのかと思うのかと思うほどの扉の大きさに再び俺は口をあんぐりと開けそうになった。扉の取っ手でさえ俺の背丈ほどある。何もかもが規格外である。


「どうしよう、これ開けて良いのかな?」


 ノックしても良いのだろうか。勝手に開け放つのはまずい気がする。俺は旅の者だったのでそう言った礼儀に疎いのだ。でも確実に言えることは師匠だったらこの扉を開け放っている。そして追い出されるまでがワンセットになっているに違いない。


「トルバトルか。待て。今案内をする」


 後ろからふと声がする。俺が振り向くとこれまた規格外の体躯を持つ男が現れた。


「ゲイルさん、すみません、全く礼儀的なのが分からなくて……」


「構わん。俺も礼儀は今勉強中だ。とりあえず今は部屋の中に入ろう」


 そういうとゲイルさんは俺の腰に手を回した。そして俺を傍に抱えると「いくぞ」とつぶやいた。そう言うや否や彼は腰を落として膝を曲げ、まるでバッタのように飛び上がる。


「うわぁぁぁ!」


 ゲイルさんはそのまま2階の開け放たれている窓に飛び込んだ。なんちゅう入室方法だろうか。礼儀は勉強中だと言っていたが、勉強をやり直した方がいいのではないのだろうか。確実にこの入室方法はアウトだろう。


「い、いいんですか?こんな入り方して。捕まりません?」


「ここは吾輩の自室だからいいだろう……多分」


 多分、と言いながら彼は目線を逸らしている。色々ツッコミたい気分だったが領主の館であり、ここは彼の自室であると言うことからそれは憚られた。


「さぁ……ネスト様から許可はもらっているからトルバトルに館を案内しよう」


「は、はい。ありがとうございます」


 とりあえずここは俺にとっての未踏の地なので彼についていくしかない。俺はゲイルさんと共に彼の部屋を出た。すると赤いカーペットの敷かれた廊下が果てなどないかのように広がっている。端から端まで走ることができるか怪しいレベルだ。そしてそのカーペットから少し視線を上に向けると水面をくり抜いたように綺麗なガラスが目に入った。こんなにも大きなガラスが存在し得たのか。俺は感嘆の息を漏らしっぱなしだった。


「わかるぞ。その気持ち」


「ゲイルさんもここに来た時驚いたんですか?」


「ああ、驚いた。我輩の剣技よりも美しいものがこの世にあるとは思わなかった」


 ゲイルさんに連れられて階段を降りていくと、複数の使用人らしき人々がペコリとお辞儀をしながら通り過ぎていった。ゲイルさんはよほど信頼のあつい人物らしく、使用人の中に彼を尊敬や敬愛の目線を向けるものまでいた。一方で俺には侮蔑の視線こそ向けられないものの「誰だこいつ」という言葉が視線の形をしたものを浴びせかけられた。そりゃそうである。なにせ俺はここでは1番の新参者なのだから。ここから信頼を勝ち取っていくしかない。そんな俺の気持ちを読み取ったかのようにゲイルさんは俺に視線を向けた。


「ここでは実力で信頼を勝ち取っていくしかない。だが案ずるな、すでに俺はトルバトルを信頼している」


「ま、まだゲイルさんに詩を聞かせていないのにですか?」


「君には実績があるだろう。魔力宝玉を採掘するための人員を詩で集めたと言う実績が」


「あ、ありがとうございます」


「そうだ、自分を誇れ。しかし驕るな。自らの誇りに恥じぬ生き方をすれば……自ずと人々からの信頼も得られるだろう」


 ゲイルさんはあるドアの前で立ち止まった。そこは本来の玄関の真正面にある大きなドアだった。おそらくここが館の中心だろう。それほどまでに周囲の飾りも豪華絢爛であり、ドアもとても重そうだ。


 ゲイルさんはこちらに視線をよこすとドアを開け放った。


「お連れしました。ネスト様。詩人のトルバトルでございます」


 開け放たれたドアの向こうには四角く長い机が部屋の奥に向かって一つ伸びており、等間隔に椅子が並べられていた。そしていわゆるお誕生日席にはにこやかな表情を浮かべたネスト様が座っていた。


「よく来てくれた。心から歓迎するよ。詩人のトルバトル」


 初対面から思っていたが、魅力的な声だ。洞穴の中のようによく響く声だが明瞭である。そして眼光は鋭く、こちらの心を見透かすような視線だ。目の前にいるだけで冷や汗が流れそうになる。そもそも眼光以前にオーラがそんじゃそこらの人とは違う。形容できない何かが彼の体から滲み出ているような感じだ。


 俺は目の前の空間に頭突きするかのような勢いで俺は頭を下げた。


「お呼びいただき光栄です」


「そう言ってくれると嬉しい。歓迎するよ」


 ネスト様は椅子から立ち上がり、頭を下げる俺の元まで歩み寄ってきた。そして俺の肩に手を置く。俺が頭を上げると快活に笑う金髪のネスト様が目に入る。


 彼は懐から銀色のバッジを取り出した。銀塊のように重そうなそのバッジを俺の胸元にネスト様は何も言わずに取り付けた。


「ネスト様、これはなんでしょうか」


「これは領主の部下であることを示すモノだ。これでもう君は侮蔑の視線など向けられることはないだろう」


 ネスト様は放浪する詩人に向けられる視線を知っていたのか。俺は目を丸くした。流石に領主ともなるといろんなことを知っているものだ。


「ありがたく頂戴します」


「うん。これからよろしく頼むよ」


 大広間から出て、ドアが閉まるまで俺は息が詰まりそうだった。部屋から出た途端俺はその場にへたり込んだ。


「な、なんだあの雰囲気……」


「ネスト様は優れた魔法使いでもある。ちょっと新入りを脅かそうとしたのだろう」


 ゲイルさんはそう言って笑う。

 それにしたってあのオーラは尋常ではなかった。そしてその雰囲気を近くで感じ取っていたはずのゲイルさんはなぜ無事なのだろうか。俺はこの館にますます興味を持った。




 

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