第20話
「そうであろう。そういう意味では、当家は普通の家族とは言い難かったであろうな」
伯爵は深くため息をついて、先を続けた。
「両親は……とくに父は、私にも弟にも、とにかく子供の躾には大変に厳しい御仁であった。伯爵家の子息にふさわしい教養や立ち振る舞いというものを、私や弟にも、そして妹にも強く求めた。それにはもちろん、魔女の能力というのは含まれてなどいなかった」
「……」
「弟は生来そういった窮屈な事柄は苦手な性分であったから、早々に音を上げて家を出ていってしまった。私はといえば長男であるからそういうわけにもいかず、妹に至っては力を制御することが本人の思い通りにならぬとなると、部屋に鍵をかけてそこから一歩も出られないようにしてしまう有様だった」
「それは気の毒ね……」
「ある日、近隣の荘園から使者がやってきた。領主の末息子という若者で、形式的な訪問ではあったのだが、たまたま部屋を抜け出してきた妹がこの若者と出会ってしまったのだ。……形ばかりに挨拶を交わしただけなのだよ。いずれ向こうの領地を訪れる機会があれば是非ご案内しましょう、とな。だが世間を知らない妹はそれを真に受けた。自分の知らない外の世界を見てみたいと、そのように思ったのだな……」
後ろで黙って聞いていたグスタフが、ハリエッタにそっと耳打ちするように呟いた。
「その使者という若者、よほど男前であったのだろうか……」
さすがにそれは下世話な勘ぐりであろう、と思ったのでハリエッタはただ苦笑いするにとどめておいた。それにここから近隣の荘園といえば、山ひとつ越えた先のクレムルフトだってその条件には合致する。ともなればクリム家に関係のない話でもないのかも知れず、伯爵があえてどこの領地とも言わなかったのはそのせいもあったかも知れず……なので無神経とも取られかねない発言はしないに越したことはない、という思いからハリエッタは曖昧に相槌を打つに留めておいたのだった。
そんなハリエッタの胸中が今ひとつ分かっていなさそうな父グスタフを、一瞬だけちらりと振り返った伯爵が、また眠れる妹に視線を戻して先を続ける。
「ともあれ、父はこれに猛反対してな。使者を丁重に追い返し、妹を厳しく叱りつけて、きつく禁足を申し渡したのだった……そのまま妹はこの寝室に閉じこもってしまった。異変が起きたのはその晩のことだった」
「……」
「季節外れの嵐が訪れ、外は一晩中強い風が吹き荒れていた。蒸し暑く、寝苦しい夜であった……その空の荒れようが、妹の嘆きの深さを表しているのだろうと私は思ったが、ことはそれだけでは済まなかった。朝になってみると、私の身体は今のようなこの有様に変わり果ててしまっていたのだ」
伯爵はそう言うと、骨と皮だけになったおのれの手をじっと見つめた。
「私の身にだけ何かあったという話ならまだいい。だが他のものは、城や町はどうなってしまったのか……私は自分の部屋を出て、外の様子を見に行った。城の中には私の他には誰の人影もなかった。使用人はおろか父母の姿さえも、屋敷のどこを探しても見当たらなかった。門番の姿すらなく、屋敷を出て町に出てみても往来には誰の姿すらもなかった」
「……」
「さすがに私は、そこで意を決して屋敷に戻り、妹の部屋へ行くことにした。……いや、もう分かり切っていたことなのだ。その異変に、妹が関与しているということは。その事実を受け入れるのが恐ろしかったが、そこに至ってそれを認めぬわけにはいかなかった。無人の城に戻り、階段を登り、見張りの兵の姿もない妹の部屋へ……そう、この部屋の扉を開けた」
「妹さんは……?」
「妹は、そこにいた」
「……」
「おそらくは、自分が何をしてしまったのか、確かめずとも気づいていたのだろう。この寝台の上で、目を真っ赤にして泣きはらしていた。部屋にやってきた私を見て、悲鳴をあげんばかりに取り乱し始めた。……無理もない、見る影もない屍のようななりだったからな」
「……」
「そのまま妹は声を上げて泣いた。私はそんな妹をただ見守るしかなかった。やがて泣きつかれて眠ってしまったかと思うと、妹はそれきり目を覚まさなかった」
「……それきり?」
「そう、それっきりだ。今に至るまで。……呼吸はしているから死んでしまったわけではないと思う。私のように屍のような風貌になるわけでもなし。……だが目を覚ましたところで、変わり果てた町の姿があるだけだ。自分の力が引き起こしてしまったことの成り行きを、受け入れる事が出来なかったのだろう」
「……それで、伯爵はそれからどうしたの?」
「一応、私のように生存者がいないかどうか城砦の中をくまなく探し歩いたが、誰も見つけることは出来なかった。ついでに言えば、私自身も城砦の外に出てみようと思ったが、どのような力が働いているものか、城門をくぐることが未だ出来ていない。そのうち、一匹の狼が城に姿を見せ、それが言葉を喋ったところによると、なんと我が弟の成れの果てであるという。街から遠く離れ流浪の旅をしていたにも関わらず、ある日突然狼の姿に変わってしまったのだという。自分の身に何が起こったのか調べようとして、妹の身に何かあったのではと考え、様子を見に故郷へと帰ってきたのだという話であった。……血族であるというだけであれも気の毒な話だが、まだ外へ行き来出来るだけ私よりはましであったかも知れぬ」
伯爵はそこまでしゃべると、眠る妹の姿にあらためて視線を落とした。
そしてそんな眠れるエナーシャに、涼やかな表情でまっすぐに相対しているのが、クリム家の末娘エヴァンジェリンであった。その場にいるだれが見比べても、両者の面影はあまりにも似通っていた。
「あらためて問うが、そなたは一体何者なのだ?」
伯爵のそんな言葉に、エヴァンジェリンはただ無言のまま横目で伯爵をちらりとみやっただけで、返事どころか何も言葉を発しなかった。礼を欠く態度なのは違いないが、問われても答えようがないだろうことは誰しもが察するところだったので、伯爵も強くは追求しなかった
そんな折だった。一行がいる寝室の扉の外、廊下の向こうから遠吠えという形容がまさにふさわしい、狼の唸り声が聞こえてきた。
その声に何やらただならぬ雰囲気を感じ取ったハリエッタは、行ってみましょう、と皆を促して、人狼の待つ階段の側まで慌てて駆け寄っていく。
「何があったの?」
「そろそろ降りてきた方がいい。呼んでもいない客が、いよいよお出ましになったみたいだぞ」
人狼の言葉に、ハリエッタはついに来るものが来た、と我知らず駆け出していた。
(第6節につづく)
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