第19話

 伯爵はしばし黙考ののち、重々しく口を開く。

「よかろう。付いてくるがいい」

 伯爵はそういうと踵を返す。謁見の間のさらに奥にある廊下に向かっていくのを、何の遠慮もなくエヴァンジェリンが大股にあとを追っていく。心配そうに姉リリーベルが続き、仕方がないのでハリエッタと父グスタフも後を慌てて追いかけていく。さらに後ろから、うっそりと人狼が付いてくるのだった。

 一行が向かった先は城砦建屋のさらに奥まった棟だった。領主として公務を果たす謁見の間や執務室と言ったところからは離れ、伯爵家のプライベートな居住のための空間であっただろう場所に、当の伯爵を先頭に続いていく。在りし日の姿を偲ばせるよすがこそ見てとれたものの、月日の流れを痛感せざるをえないほどには砂と埃にまみれ、荒れるに任せたような状態だった。

「何せ、手入れをする者が誰もいなくてな」

 先頭をいく伯爵がぼそりと呟く。冗談を言ったつもりだったのかも知れないが、笑っていいところだと思った者はクリム家の中にはいないようだった。

 やがて、伯爵はさらに上階へと続く階段を登ろうとする。そこで一番後ろの人狼が足を止めた。

「兄上。おれはここで待たせてもらう」

「ユノー。今更呪いを恐れるのか」

「理屈ではないよ、兄上。これ以上近づいてはいけないと、そう感じてしまうのだ」

「……私たちは大丈夫なの?」

 ハリエッタが恐る恐る問いかける。おっかなびっくりの彼女に対し、エヴァンジェリンが事もなげに言い放つ。

「大丈夫。もし駄目だったら、この街に足を踏み入れたところから駄目だったでしょうね」

 そういうと、早く行きましょう、と伯爵を促すのだった。

 一行がたどり着いたのは、上階のさらに奥まった場所にある一室だった。やけに重そうな大きな扉にハリエッタは少し威圧感を覚えたが、伯爵はべつだん勿体つけもせずにその扉を押しあける。

 やけにがらんと広い一室であった。だが何の部屋かと問われれば、ハリエッタの目には何の変哲も無い寝室にしか見えなかった。

 目を見張ったのは二点。外の廊下や階段は荒れ放題の廃墟なのに、この部屋だけがまるで時間が止まってしまったかのように、普通に人が生活していそうなごく普通の状態だったところに、ハリエッタは強い困惑を覚えた。

 そしてそれ以上に彼女の目を捉えて離さなかったのは……窓に近い位置に置かれた天蓋付きの豪奢な寝台の上に、一人の少女が横たわっていたのだった。

 果たして、眠っているのか。

 少なくとも伯爵や死せる兵士どもがそうであるように、呪わしい屍には見えなかった。哀れな彼らが何かに縛られているのとはまったく関係がないかのように、安らかな寝顔の彼女は、まるで今にも起き出しそうに見えたのだった。

「わが伯爵家の末の妹、エナーシャだ」

 紹介されて、クリム家の面々は一様に息をのんだ。エヴェンジェリンですら、その眼差しにかすかな動揺が見て取れたのだった。

 なぜなら、そこに横たわる少女は、あまりにもエヴェンジェリンに瓜二つであったからだった。

「眠っている? ……それとも死んでいるの?」

「わからない。だがこの街を呪いが覆いつくして以来、ずっと長きにわたりこのままなのは確かだ」

 この部屋とともにな――伯爵がそう言ったあとに小さくため息をついたのは、その月日の長さに思い馳せてしまったせいだろうか。

 横からおそるおそる、ハリエッタが問いかける。

「妹さんが眠っているのも、この街を覆う呪いのせいなの?」

「違う。彼女こそが、この街を襲った呪いそのものなのだ」

「……!?」

「人が聞けばおとぎ話だと笑うかも知れぬ。実際、私も自分の妹の事でなければ、そのような事は有り得ぬことだと嘲っていただろう。だが妹は紛れもなく、魔女だった。そうとしか言いようがなかった」

 伯爵はハリエッタやクリム家の面々ではなく、じっと横たわるエナーシャを見つめたまま、まるで一人語りのように語り出したのだった。

「魔女といったところで、当人がかくあれと望んで生まれついたわけではない。だが妹には確かに、常人には備わってはいない特別な力があった。天候を操ったり、何もない砂塵から物を創り出したり……。なぜそんな力があるのか、妹自身も戸惑うところはあっただろう。だがそれ以上に戸惑い、それを望まなかったのが我が父であった。伯爵家の娘がそのように得体の知れない存在であることが、どうしても受け入れられなかったのであろうな。人に知られては一大事と、ひた隠しに隠し通していたのだ」

「それで、この部屋に閉じ込めていたのね? 入り口の扉、ただの寝室にしては作りも頑丈だし、それにとても大きな錠前がついていた。普通の女の子の部屋には多分いらないし、ついてもいないと思う」

「そうであろう。そういう意味では、当家は普通の家族とは言い難かったであろうな」

 伯爵は深くため息をついて、先を続けた。

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