第5話

「旅人か。哀れにも呪われたこの街に迷い込んできてしまったのだな」

「あなたは、一体……?」

 父や姉を差し置くつもりもなかったが、思わず声を漏らしてしまったハリエッタだった。

「私が一体、何だというのだね。私の、まずは一体何について訊きたいというのかな?」

「そうね……では、まずはお名前をお伺いしてもよろしいかしら?」

「名前か」

 ふむ、と屍は相槌をうった。

「このような屍に、生ける者どものような、名乗るべき立派な名前などありはしない。とうの昔に忘れてしまったよ」

「では、生きている時分には名前はあったとして、あなたはかつて何者であったというの?」

「そうだな……死の呪いに覆われとうの昔に途絶えてしまった、この街を治めていたヴェルナー伯爵家の最後の跡取りが、この私であった」

「では、取り敢えずはヴェルナー伯、ということでよろしい?」

「名前が必要であれば、そう呼ぶといい」

「ではヴェルナー伯、この街はいったい何なの? この屍同然の兵士たちはいったい何者?」

「この街は呪われてしまっているのだ。死の呪いに覆いつくされ、人々は死に絶えてしまった。彼らはかつてこの城砦を守る任についていた兵士たちの成れの果てだ。別に何と戦っているわけでもない。兵士というのはああやって侵入者を取り締まって捕えるものだ、と思っているから、誰か来るたびに捕まえているだけなのだよ」

「あなたは捕らえられないの? それとも、囚われ人としてここにいるの?」

「さて、それはどちらであろう」

 そう言って、伯爵を名乗る屍はごうごうと音を立てて笑った。

「私もまた囚われ人であるというのは言い得て妙だな。確かに、私もまたこの呪いによって、肉体も魂も安らかに眠りにつくことを許されてはいない、という意味においては、呪いに囚われていると言えよう。……ともあれ、この城の中の事情で言えば、彼らは一応はこの私があるじだとは思ってくれているらしい。と言って、私があの者たちに好き勝手に命令出来るわけでもないのだがな」

 どれ、試してみよう……伯爵はそこで一つ咳払いをすると、朗々と語りかけた。

「兵士たちよ。彼らはこの私の客人だ。失礼のないように丁重に扱い、この砦を去ることを望む場合は速やかに帰して差し上げるのだぞ」

 兵士たちは承服の返答のように一斉にうなりを上げたが、それだけで彼女らを解放するでもなく、それどころか身じろぎすらせずにその場に立ち尽くしていた。

 伯爵がため息をついて肩をすくめると、それが何かの合図であったかのように、急に剣を突きつけてハリエッタ達に歩くように促して来た。伯爵の命令に従ってハリエッタたちを開放してくれるという風にはちょっと思えなかった。

「ちょ、ちょっと、伯爵。彼らは私達を何処へつれていこうというの?」

「やはり聞き分けてはもらえぬか。済まぬが、そなたらはこれから地下牢送りだ。居心地は決して良くないが、悪く思わないでくれたまえ」

 伯爵はそういうと、壇上の豪奢な椅子にどかっと腰を下ろし、ハリエッタ達が連れてこられたのと同じ通路へと曳き出されていくのを黙って見送るばかりだった。

 屍の兵士たちに促されるまま、一行は階段を下っていく。謁見の間は二階にあったが、階を二つ下って、兵士たちは伯爵の言葉通りにハリエッタたちを地下に連れて行こうとしているようだった。

 父グスタフと姉リリーベルはただ不安げに怯えているばかりだったが、ハリエッタは帯剣している分まだ気持ちに余裕があった。

 彼女は思案する。彼らは形式的にそう行動しているだけ、という伯爵の言葉に一理あると思ったのは、ここに至るまで誰ひとりとして、彼女が剣を帯びていることを咎め立てして、それを没収しようとしていないということだった。体格に恵まれているとは言い難い彼女でも取り回ししやすいようにと、幾分小ぶりの刀身ではあったが、それでも小太刀でもナイフでもない、立派に剣と呼べる代物だった。

 地下牢への道を歩きながら、ハリエッタはゆっくりと剣を抜く。それでも兵士たちはとくにそれを見咎めるでもない。

 ならば、いけるか。

 おもむろに、ハリエッタは剣をふるって前を行く兵士の足元を薙ぎ払う。骨と皮だけののろくさい兵士は、ハリエッタの剣の一閃でひざ下の骨を失ってしまい、バランスを崩して倒れ伏した。

 その調子でハリエッタは続けざまに剣をふるい、死せる兵士たちをなぎ倒していく。

「逃げましょう」

 父と姉を促す。だがその進路をふさぐように、別の兵士たちがぞろぞろと姿を見せるのだった。ハリエッタが目を剥いたのは、彼らは何もない古びた石畳の隙間からまるでにょきにょきと生えてくるように現れて見せたことだった。昔から死に絶えたままの屍ですらなく、まさに砂と塵で形作られて現出した、怪異と呼ぶに値する呪われた存在だったのだ。

 広間にあれだけの頭数がずらりと居並んでいた理由もそれで分かった。であれば、死者への尊厳などこの際気にかけても始まらなかった。ハリエッタは返す刀で、兵士たちを次々薙ぎ払っていく。地上への階段を目指し、どうにかしてその場から離れようと走るが、父も姉も決して足は速くなかった。

 やがて一人遅れていたリリーベルがすっかり兵士に取り囲まれ、それ以上身動きが取れなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る