第3話

 そんな不気味な廃墟から視線を巡らせて、進む街道のずっと先を目で追いかけていくと、彼方にはぼんやりと山影が見え始めていた。クレムルフトは山間の寒村であり、これより先には山越えの険しい道程が一家を待ち構えていた。

「あれがリヒト山だとして、やっぱり先の宿場町で聞いたとおり、日没までに山を越えるのは無理みたいね。ふもとに差し掛かるころにちょうど夜になるような頃合いだと思うけど」

「だとすると、この辺りで野営した方がよいのだろうか」

「お父さん、それは冗談? こんな薄気味悪いところで夜を明かすなんて」

 不満を漏らしたエヴァンジェリンに、ハリエッタがため息混じりに言う。

「かと言って、山中で一夜を明かすことを思えば、どっちがましかは何ともね……」

「いずれにせよ、ここらでいったん馬を一休みさせたいところだ」

「じゃあ、いっそあの廃墟に寄ってみる? 井戸か何か、もしかしたら残っているかも」

 ハリエッタがそういうと、父はもっともだ、と頷いた。荒れ地が続くこの近隣では小川のたぐいも見かけることはなく、山越えの道に差し掛かるまでは水の補給も期待できなかった。

 廃墟へと向かう中で、エヴァンジェリンだけが、なんの不満があるというのか厳しい眼差しで表情で行く手の城影をじっと見つめていた。長女リリーベルも不安は不安だろうが、一家の誰も旅慣れてなどいないところに、馬車の手綱を握る父と、一人騎馬を駆る妹ハリエッタに道中の委細を任せきりにしてあったので、ことさら余計な口を挟まぬようにという心遣いなのか何も言わなかった。彼女がそこで不安をはっきりと口にしていれば、四名のうち半数が反対とあって優柔不断な父はそれで砦に立ち寄るのを取りやめていたかもしれないが、あとから言っても仕方のない事であった。

 一行の乗った馬車はゆっくりと城門に近づいていく。だがなぜか、馬車を引く馬たちが門をくぐる直前で歩みを止めてしまった。

 何故か馬はそれ以上先には進もうとしなかった。中古の馬車と一緒に買い求めた二頭だが、ここまでの道中では比較的気性は大人しく、不慣れなグスタフにもよく従ってきてくれていた。ここまではっきりと言うことを聞かないというのは今日その場所が初めてだったかも知れない。

 状況はミューゼルも同じだった。無理を言えば従ってくれたとは思うが、城門に近づくと確かにそわそわとした様子であまりそちらには進みたくはない様子だった。

 そんな馬たちの様子を見て、エヴァンジェリンが言った。

「私はリリーベル姉さんと一緒に、ここで馬車と馬の番をしているわね。父さんとハリエッタとで、ゆっくり見物してくるといいわ」

「こら。ハリエッタもお前の姉さんだぞ。姉さんといいなさい」

「はあい」

 歳も離れているし、母を亡くした姉妹ゆえにエヴァンジェリンから見ればリリーベルはある意味母の代わりとも言えたが、それと比べれば、騎士になるだのと言って女だてらに剣だの馬だのに興じているハリエッタは年齢も近い分、幼稚に見えていたかも知れない。

 だが貴族の子女として年長者への敬いに欠ける態度はいささか行儀が悪い。父グスタフにしてみればそこは諫めなければならないところだが、庶民とそう代わり映えのない暮らし向きの上に、母親との死別も重なって子どもたちには色々苦労をかけているという思いが、厳しい叱責をためらわせる一因でもあった。

 横で見ていたリリーベルが、代わりに優しい口調でたしなめる。

「エヴァンジェリン。お父様のいう通り、ハリエッタのこともちゃんとお姉さんとして大事にしてあげてね」

「はあい……つまんないの」

 エヴァンジェリンはやる気のない返事をもう一度すると、馬車の座席に行儀悪くあお向けに転がった。

「エヴァ、番をするといったからにはちゃんと番をしているのよ? ……リリーベル姉さんはどうするの?」

「私? そうね……」

 彼女はしばし思案ののち、言った。

「薄気味悪いのは確かだけど……どちらかというとハリエッタと一緒の方が心強いかしら」

 おや、とハリエッタはエヴァンジェリンと顔を見合わせた。話の流れから言えば普段の姉ならば留守を守ると言いそうなものだったので、二人ともがそれを意外に感じたのだった。

 よほどその場所が薄気味が悪かったのか、それとも何かの気まぐれか。

 前者であればエヴェンジェリンをここに一人でおいていって大丈夫か、とも思ったが、彼女はもう一度、つまんない、と小さくつぶやいて、ふてくされた態度で馬車の座席でごろりと今度はうつ伏せになって足をばたつかせる。今しがたちゃんと見張れと念押ししたハリエッタだったが、本当にそれを期待していたわけでもないので、やれやれとつぶやいて、自分もミューゼルを置いて徒歩で城門をくぐっていくことにした。馬車も馬も置いていくのであれば父も姉も徒歩になるので、自分だけ騎乗したままというわけにもいかなかったし、水場があるのなら水を飲ませてやりたいという思いもあったが嫌がるのを無理強いは出来ない。手綱を馬車にもやいで、ハリエッタは父と姉と一緒に城門をくぐっていった。

 城門からは、大きく開けた目抜き通りが、一直線に奥にある城砦に向かって伸びていた。

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