目覚めの証 1

 カリムが診療所を出てイアンナを追う少し前、イアンナはクルトゥラの王都へ向かう馬車の中にいた。


 口を一文字に結び、涙が溢れそうになるのを必死に堪えて、馬車の窓から見える景色を見つめていた。


 付き添いの兵士に声をかけられてもイアンナは答えない。大人の、それも王都の兵士に対して随分な態度だと子どものイアンナもわかっている。


 両親や村の皆に悲しい顔をさせ、大事な友だちまで傷付けられたことが許せない、小さな彼女なりの抵抗だった。


「勇者殿、そろそろお腹が減っていませんか?」


 気遣う様子の兵士の言葉に、無視を決め込む気でいたが、ぐぅとお腹が反応する。


 本当は、お腹がぺこぺこだ。朝から何も口にしていなかった。それでも唇を噛み締めて外の景色を見つめ続ける。


「お昼にいたしましょう。母君から軽食をお預かりしています」


 母からのと聞いて反射的に兵士を見る。

 馬車に乗せられてから、はじめて見る兵士は、父より少し歳上に見える穏和な表情の男だった。


 兵士が差し出してきた小さなバスケットは、確かに母から預かった物なのだろう。母がよくお弁当を入れて持たせてくれる物だ。


 せっかく母が作ってくれたお弁当を無駄にはしたくない。


 兵士からバスケットを受け取り、膝の上でクロスを開くと、ベーグルと果物が入っていた。


 ベーグルを両手で持って頬張ると、大好きな母特製のソースの味がして、堪えていた涙が溢れ出す。

 


 昨日の夜までは、とても楽しくて、とても幸せだった。

 

 夕方にとても綺麗なお兄さんと楽しい約束もしたし、家に帰ると、いつもは着せて貰えないフリルとリボンが沢山ついた淡い水色と緑色がグラデーションになっているお気に入りのドレスを着せて貰った。


 節句のお祭りが始まると、村中が賑わい、皆が代わる代わるイアンナをお祝いしてくれた。

 


 節句の挨拶にプリムスの領主、モリス卿の屋敷へ行くと、普段は怖い顔の領主も、にこにこと笑顔でイアンナを出迎えてくれ、お祝いの言葉を貰った。その上、肩車までしてくれたのだ。

 

 父の肩車よりも幾分か高い視線にイアンナがはしゃいでいると、モリスは物静かな声音でイアンナに語り掛けてくる。

 

「よいか、イアンナ。この先どんな未来が待っていても、お前の父と母はこの村にいる。お前はずっと、このプリムスの子だ。忘れるでないぞ」

 

「うん? わたし、どこにも行かないよー! 大きくなったら、おとうさんみたいなお婿さんもらうの! それで、おかあさんみたいなお嫁さんになるの!」

 

「……そうか。そうだな」

 

 領主はイアンナの返事に何度も頷いてイアンナを降ろすと、頭を撫でてくれた。


「いつまでも宴の主役を独り占めしていては、皆に恨まれてしまうな。儂はお前の父と少し話があるのでな、先に母と帰りなさい」


 促されて母を見上げると、何故か母は涙ぐんでいる。イアンナが首を傾げると、母は彼女を抱きしめた。


「おかあさん? なんで泣くの?」

「カーラは、イアンナが大きくなったことが嬉しいんだよ」


 イアンナの傍にしゃがんで、そう教えてくれる父の目も僅かに赤い。


 側からみれば、分かりやすい言い訳であったが、両親の涙の理由をイアンナが知るのは少し先の話だ。


 母に手を引かれ、領主の屋敷を後にすると、握ってくれる母の手がほんの少し強く感じた。


「ねぇ、イアンナ。今夜は一緒に寝ましょうね」

「えー! 今日からお部屋くれるって約束!」


 半年程前からイアンナは、お姉さんになるのだから7つの誕生日のプレゼントは1人部屋が欲しいとおねだりをしていた。


 根負けした父が、物置きに使っていた小さな部屋を片付けて、イアンナの部屋にしようと、約束をしてくれていたのだ。


「……今日だけだから、ね? お願い」

「しょうがないないわねぇ! 今日だけね!」


 いつも『お願い』をする立場だったイアンナは、母からのお願いが何だか不思議で嬉しくて、いつもの母の口調を真似てみる。


 立場が逆転していることに、おかしくなって2人で笑いながら村の広場へ戻って行った。

 

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