第7節(その3)

 かつて竜退治のために意気揚々と進んだ街道筋を、今度は一人で駆けていく。辺境域までずっと馬で駆け通し、やがてその村は見えてきた。

「やはり、まだここにいたのか」

 そこでベオナードが出会ったのは……開拓民の村で、畑仕事に精を出していたのは、かつてその地で共に竜を退治した、あの魔導士アドニスであった。

 そしてその畑のすみに座り込んでいる、幼子の姿。

「……あのときの赤子か?」

「ええ。見ての通り普通の人間の子供よ。あなた達が疑っていたような、化け物とは今の所違っているようね」

「その、化け物とやらについてだが……」

 ベオナードは自身が王都で対面した、近衛騎士ルーファスの現状について彼女に語って聞かせた。彼がひとしきり話し終えたところで、アドニスは渋い表情を見せた。

「……出来れば、今更そういう話をこんな僻地まで誰も持ってこなければいいのに、と思っていた」

「そりゃ、すまなかった」

「私が戻ったところでどうにかなるわけでもないでしょう」

「だが放っておくわけにもいかない。今から戻っても間に合わないかも知れないが、旧知の仲間の顔を見てやるぐらいの事は、してもいいだろう?」

 そう言われて、アドニスはしばし思案顔になったかと思うと、ややあって鍬を置いた。

 村人に事情を説明すると、アドニスは荷造りもそこそこに、幼子をともなってベオナードとともにその日のうちに村を出立した。わずかばかりの荷物と、例の緋色の剣を携えて。

 久方ぶりの、それはひっそりとした凱旋行であった。

 ベオナードからすれば往路は一人であったので馬を早駆けして五日ほどの道のりであったが、復路は幼子も一緒であり、おおよそ十日ほどの旅程であった。おおよそ二週間の間に果たしてルーファスがどうなったか心配ではあったが、アドニスを伴って屋敷を再訪してみると、近衛騎士は未だ存命であった。名のある騎士の邸宅を訪れるには、アドニスは砂ぼこりまみれのあまりにつつましい身なりだったが、その名を聞けば通してもらえぬ道理はなかった。

 かくして騎士ルーファスは、かつて自身が殺せと主張した幼子に、病床にあって再び相見えることとなったのだった。

 そこでベオナードは絶句した。

 前はまだ無事だった、近衛騎士の端正だった顔立ちが、今はすっかりうろこに覆われている。顔かたちはかろうじて近衛騎士の面影をとどめていたが、あいさつに軽く上げた手が、以前とは違い指の数が人間のそれとは違っているのが分かった。

「お前でも驚く事があるか、正騎士よ。……わざわざ魔導士を迎えに行っていたのか」

「お久しぶりね、ルーファス」

「驚いたであろう。ベオナードもお前も、いずれこうなるのかも知れぬから、よく見ておくのだな」

 蛇のような眼差しが、アドニスの傍らに立つ小さな人影を捉えた。

「やあ、可愛らしいお嬢さんだ。……あの時の赤子か? 大きくなったな。いくつになった」

「あれから四年たった」

「四年か。……ざまあない。今となってはこの私とどちらかが化け物であるか、分かったものではないな」

 ルーファスはそう言って、力なく笑った。笑ったまま激しく咳き込んで、苦しそうにしながら寝台に身を横たえる。

「念のために訊く。魔導士よ、私を元に戻せるか。呪いから解き放ち、この身を元通りによみがえらせられるか」

「……残念ながら、私にはその方法は分からない」

「そうか」

 そう返事をしたかと思うと、ルーファスは伏せったままもう一度激しく咳き込み、そのまま眠りについたのかそれ以上何も言わなかった。

 一同が生きたルーファスに会ったのはそれが最後だった。

 そのまま屋敷を辞去しようとした一行だったが、使用人に強く勧められて、その晩はルーファス邸の客人として逗留する事になった。旅の砂ぼこりを落とし一息ついたところで、気が晴れるわけでもない。夕食の席で弾む話題があるわけでもなく、用意された来客用の寝室にそれぞれ引き下がろうとした折に、あるじがすでに息をしていない旨使用人に告げられたのだった。

 数刻前に生きて顔を見たはずの病床にふたたび通されてみれば、屋敷のあるじは確かに物言わぬ様子になり果てていた。

「だれか、血縁のある者はいるのかな?」

 ベオナードの問いに、使用人……執事だという初老の男性が答える。

「ご両親はすでに亡くなって久しく、ご本人は独り身でございました。親類もおられることはおられますがここしばらくはあるじ自ら、そういった皆さまとのやり取りを遠ざけておられました」

 曰く、近衛騎士ルーファスは元々裕福な商家の生まれであったという。騎士となったルーファスに代わり生家の事業は父親の兄弟が引き継いだが、彼自身も独り身では持て余すような立派な邸宅とひとかどの財産を相続しており、屋敷には執事以外にも料理人や庭師など複数の使用人を抱えていた。おそらく竜退治の一件がなければ、ゆくゆくは伴侶を迎え順風満帆な人生を送っていたに違いない。

 そのような身の上であるから全く葬儀も何もしないわけにもいかず、何人かは連絡をせねば、という執事の言葉をベオナードが遮った。

「あのような状態ゆえ、しばし様子を見たい。待ってもらえるか?」

「しばし、とは」

「二日ほど」

 執事は一瞬黙り込んだが、ルーファスの最期の姿を見れば否も応もない。

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