第2話 ヒップホップユーフォリア

「あれ?賢人さん、昔、渋谷のサイファーでご一緒させて頂いたことありましたよね?私は当時トモという名で活動していました。あれからヒップホップは鳴かず飛ばずで、趣味の延長で洋服の通販をはじめたんですよ。それがこの会社『Tomo Town』なんですけどね」


 トモは遠い記憶をたどりながら、俺に話しかけてきた。ラッパーに憧れていた学生の頃にサイファーで対峙した相手とのまさかの邂逅であった。白シャツに濃紺のきれいめデニムというシンプルでシュッとした服装からはダボっとしたラッパー的なラフさが消え去っている。面接用の会議室は相手の手元が見えるぐらいの広さの部屋で、質素な雰囲気が駆け出しのベンチャー企業っぽい。


「あの時のトモさんですか!?当時と服装も雰囲気も違うからわからなかったです。私にとってはデビュー戦でガチガチでした。何も出来なかったことがすごく悔しかったです。こんな形で再会するとは奇遇ですね」


 8年前の渋谷だった。あの悔しさがキッカケになって、次々とサイファーにチャレンジした。ラップバトルが様になってきた頃に就職活動がはじまり、ラッパーとして振り切る勇気がない俺は、現実路線を選びコンサル会社に就職した。トモもラッパーとしては脱落したようだ。だが、トモからは起業家としての覇気を感じる。ストリートスマートとして、乱暴な言い方をすれば野良犬として、サバイブしてきた生命力がみなぎっていた。どんなに綺麗な経歴であっても自分で直接何かを売って金を稼いだことがないコンプレックスが俺にトモを大きく見せたのだろう。トモは俺の職務履歴書にチラッと目をやりつつ、ヒップホップトークを続けた。


「賢人さんは、他のラッパーと毛色というか雰囲気が違っていたので覚えていました。賢人さんの立派な経歴を拝見させて頂いて納得しました。こう言ってはなんですが、賢人さんのような方がヤンキーカルチャーのヒップホップをやろうと思ったのは興味深いですね」

 

 俺は正直に答える。

「そうですね……ラッパーは常に『俺がジブラだ』って主張するじゃないですか?私の回りには良くも悪くも優等生で、ああやって自己主張する人はあまりいなかったから、それがかっこよく見えたのですよ。『レペゼン渋谷』とラッパーが地元を名乗るのも、武士が『俺は薩摩の西郷吉之助だ』って名乗るのと同じで、日本人が古来持っていた気質があるとも感じていました」


「なるほど。ラップは主語が明確。あまり考えたことなかったけど、たしかにそうかもしれませんね」


 トモは共感する。俺は持論を展開した。


「あの頃は私も私なりに尖っていましたから、ヤンキーカルチャーのヒップホップに対して真っ当に勉強して理性的に生きている庶民のヒップホップを創ってやるぐらいに考えていました。」


「『洗濯物干すのもヒップホップ』的な世界観?」

 

 トモがお互いの共通言語であろうZORNの『My LIfe』から有名なパンチラインを引用した。


「ん……ZORNも元不良ですから、ちょっと違います。普通の公務員やサラリーマンの哀愁や、敷かれたレールの上を真面目に走ってきた人生を謳うヒップホップのイメージです。ヤンキーカルチャーがアプローチできない層に届けばいいなと」


 話が脱線しかけたところで、トモが元に戻してきた。


「賢人さんのカウンターの発想、とってもいいですね。弊社のサービスはゼロをイチにする部分は出来たので、イチをヒャクにする部分を一緒にやってくれる人を探していて、まさに賢人さんみたいに物事を考えられる人を求めています」


 ヒップホップが繋ぐ縁。そんなものを感じつつ、面接ではこれまでの職歴や将来どうしたいのかといった一般的なことから、俺から見た事業の伸び代について軽くディスカッションした。トモはメモを取りながら俺の話を真剣に聞いていた。感触は悪くない。お互いに前向きだったと思う。事業は面白そうだし、俺が活躍できそうな気もした。トモの会社も俺のようなビジネスエリートと呼ばれる人材が必要になってくるステージなんだろう。お互いの利害は一致したし、かつてサイファーを一緒にやっていたことも事業が成功したときのエピソードとしても面白い。コンサルを辞めて、ベンチャー企業に幹部として入るのは理想的なキャリアだ。そんなことを考えたらわくわくしてきた。


 一通り話し終わった後、帰り際にトモが持っている俺の職務履歴書がチラッと見えた。そこには一言「仕事ができそう、つかえそう」と書いてあるのが見えた。そのことが脳の片隅にこびりついた。


 翌日、エージェントを通じて内定のお知らせが届いた。提示された条件は年収500万円の平社員。幹部でもなんでもない、ただの労働者だ。不安定なベンチャー企業なので、めちゃくちゃ頑張って提示してくれた金額なのかもしれないし、将来的にはパートナーとして受け入れられる可能性はあるだろう。だが、メモにあった「仕事ができそう、つかえそう」からは「手足としては悪くない」というニュアンスが伝わってくる。俺は東大を出て、コンサル会社に入社し、アカデミックエリートとして敷かれたレールから落ちること無く、コツコツと努力を積み上げてきた。そのことの社会的な評価もまあまあ感じてきた。そんな俺が野良犬ベンチャー企業に転職すれば幹部として歓迎してくれると考えていた。とんだ勘違いだった。採用側は違う論理で動いていたのだ。


 かつて俺はヒップホップスター達に憧れ、ラッパーを目指した時期もあった。当時はただただステージの上で強烈に輝くラッパーを単純にカッコいいと思ったが、大人になった今の俺からは別の景色が見える。俺が憧れていたのはラッパーとしてのライミングやワードセンスといった表面的なスキルや華々しいステージではなく、自由に自分の考えていることを表現し、主体的に自分の人生を生きる姿だ。トモの会社に転職して、トモの下で労働者として働くことはヒップホップと言えるのだろうか。



 3ヶ月後、俺はコンサル会社を退職し、起業した。起業といっても辞めた会社から仕事をもらいつつ、自分で何かをやってみようと考えているにすぎない。不安はあるが、今は見えない未来にわくわくしている。俺が憧れたヒップホップスター達に少しだけ、本当に少しだけ、近づけた気がした。

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