第54話 拳を握れバカ! 目を開いて立ち向かえ! ボクがお前を支えてやる!


 泣きじゃくる少女に声をかけることができず、俯きながら立ちすくむボクは、自分の不甲斐無さと覚悟の足りなさが悲劇を招いてしまったのだと心の底から自分自身を責めていた。

 同時に、人間は何をしても許されるのか? 違う。魔族に生まれたら人間に粛正されないといけないのか? 違う! ……と唇を噛み、静かに煮え滾っていた。


 だってそうじゃないか。


 ……魔族が人間を傷つけるのは〝罪〟で、人族が魔族を殺すことは〝神〟に認められたような解釈。人族が好き放題に魔族を蹂躙するなど、神が許してもボクが許さない……!


『そう……違うんだ。人間だろうが光の精霊だろうが……神だろうが、エゴを押し付けるのは間違ってる。だから……ヤツらを放っておくわけにはいかないのさ。そうでしょ? ロクス……』


 シャドルトがボクの脳裏に割り込み、告げる。頭の中に浮かんだ彼女はどこか懐かしい者に久しぶりに出会ったような……そんな表情を滲ませていた。大きく見開いたシャドルトの瞳はどこか柔らかく緩んでいる。

 そんな、頭の中で反響する彼女の言葉が本当の意味でボクの決意を固めるに至った。


 ボクの中の正義が、理不尽を振り翳す人間を許さないということを──


「……そうさ」


 ボクはもう、母への想いも妹への愛もかなぐり捨てて魔族の一員として戦うと誓ったんだ。


「このままにしてはおくものかッッ。もうボクに半分人間の血が流れていたって、そんなこと知ったことか!」


 力強く魔剣を握り締め、大声を出す。人族に対する慈悲の感情は木っ端微塵に砕け散り、憎悪と狂気がボクを支配していく。


「人間と魔族にどんな差があるんだ?! 姿形が異形だから?! でも可笑しいじゃないか!! 魔族にだってほら、赤い血が流れているというのに!!」


 壮絶な死を遂げ、変わり果てた人猫族を見渡しながら、ボクは憤怒や絶望、さまざまな感情を渦巻かせながら叫んでいた。


 ボクは慟哭するヒクリに背を向け、天を仰ぎ宣言する。


「……ボクらが嘆き悔しがるばかりではないことを人族に教えてやる! ただ蹂躙されるのが運命ならばその運命とやらを弾き飛ばしてやる!」


 炎が高らかに燃え上がる中で……ボクは捨てた。優しき母ソニアと、勇者として選ばれた妹エイナへの想いを封じ込め、人族の血を流している人としてのボク自身を……。



 今此処にいるボクは──


 『魔族』であり、『魔剣使い』なのだから。




   ◇




 月の光が薄らと黒煙の隙間から見え隠れする。ボクを陰鬱な思いにさせるその光景が、何だか無性に焦燥感を掻き乱して堪らない。

 ハンスを打ち倒したが、セルセレムではもう一人……ジョンソンという名の聖騎士もいた。……それはつまり、魔族に対して蹂躙に興じる聖騎士がボクらの前に立ちはだかるという事だった。


 「──ギリッッ!」


 奥歯を強く噛み締め……ただ何もしないでじっと人族の攻撃を待ち受けるだけなんてのは酷く気に入らない。

 この惨状を目にして、きっと自分の一族を思い出して胸を痛めてるはずのウェドガーさんは気丈に人猫族の亡き骸を魔法王国へと運んで弔う段取りを進めているというのに。



「……何考えてんだ、ダチ公?」

「ロクス、どうしたワン?」


「……ロウアン。ウルフィ……」


 俯くボクの正面から声を掛けられる。

 顔を上げると、そこには心配そうな顔をしたウルフィと、竜化を解き人型に戻っていたロウアンが居た。


「ま、俺ぁお前が考えてることに察しがつくけどな」

「ロウアンは読心術が使えるワン?」

「ちげーよ、ウルフィ。オレならこの後どーするか、って考えたらよ、その結論に至ったわけよ。ロクス……行くんだろ? 人族の都によ」


「……そのつもりさ。聖剣を握りしめたままのハンスの腕を人族の都に……リィファ教会大聖堂に突っ返してやろうってね……! なぜなら魔王エノディア様も言ってたじゃないか、数千年の怒りを人族にぶつけてやると! なら積年の恨みを晴らす堰をきる役目はボクがやってやる! だから……ウルフィ、ロウアン、ボクに少し付き合ってくれないか?」


 母や妹が今いるだろう帝都に、魔族として人族へ宣戦布告をするような行為は少しだけ後ろめたい気持ちもある。しかし、ボクはロウアンの目を真っ直ぐに見つめて願いを口走る。

 今ボクがこれからすることが正しいのか否かなんて考えるのはどうでも良かった。ただボク自身が下劣なことをする人族が許せなくて……そんな、個人的な感情に突き動かされているってのはわかってる。


「……バカだなロクス。硬っ苦しいのはやめにしろっての。この俺がお前の頼みを断るわけねーだろ? 行こうぜ、ダチ公」

「ロクス、オレたちはもうトモダチだワンよ? 水臭いワンねえ、いくらでも付き合ってやるワン!」


「あ、ありがとう……ふたりとも……」


 もしかしたら引き止めてくると思っていたボクの予想に反して、すんなりと言い放つふたりに驚いて、思わず二人を見てしまう。


『いい友人を持ったねえ、ロクス。うんうん』


 と、そのふたりの返答に、頭の中ではシャドルトが頷いていた。もしかしたら彼女にとって彼らの返答は予想の範疇だったんだろうね……。

 僕を肯定し、良しとしてくれる……人族として過ごしていた時には味わえなかった、不思議な心地良さをボクは感じていた。


「てゆーかよ、ロクス……魔王の妹がこっち見てるけど、なんかあんのか?」

「……え?」


 ロウアンの言葉に後ろを振り返ると、頬を膨らましたファルルが両手を腰に当て、ボクを睨んでいた。


「──ロクス、あなた一体何処に行くつもり?」


 いつの間にか気配もなく背後にいたファルルが口を開くとボクは驚きのあまり一瞬だけ硬直してしまう。


「どこって……人族の都?」

「はぁ……そう言うんだろーなと思ったけど……」


 呆れ顔で呟くファルルがボクを仰ぎ見ながらゆっくりと口を開く。


「ロクス、もう引き返せないのよ? それでもいいの?」

「引き返す? ファルルはおかしなこと言うね。ボクはもう人族の命を奪った……そんなボクがどこに引き返すってのさ」

「……違うわよ、ロクスの妹ちゃんのこと……」

「…………」



 しがらみを抱えているボクのことを心配しているのか、ファルルは口を引き結び、胸の前で両手を握り俯くと……その先は言わなかった。


 彼女の言いたいことは理解できる。

 もう兄と妹としての関係は持てない、そう言いたいんだ。そりゃあボクだってエイナと……エノディア様とファルルみたいに一緒にいられる兄妹でいたかったよ。


 でも、妹は魔族を滅ぼす勇者として選ばれて……ボクは人間と魔族の間に生まれ落ちた〝忌子〟。相容れないからボクは追放されたわけだし……。


 と、一瞬訪れた沈黙を破り、ボクは彼女に告げる。


「……ファルル、ボクはね……何よりも君たちを助けたいと思ってる。だからボクの大事な仲間……家族や友人を奪っていく人族が許せないんだ」


 そうさ。この感情には一切嘘なんてない。今ボクは本当の意味で魔族として生きることを誓ったんだ。皆が死んでしまうくらいなら血を流すことも惜しまない、力続くかぎり……戦って、戦って、戦ってやる! たとえこの身が砕け散ろうともさ!


 と、ファルルに感情をぶつけるように声を出す。すると、彼女は呆れた様に小さく息を吐き、仕方がないとばかりに肩を竦めると背中の羽根をパタパタとさせ、ボクの瞳をじっと見つめてくる。


「……ロクスの気持ち、伝わったよ……。でも気をつけて……ね」

「うん……ありがとう、ファルル」



 苦笑と微笑みが混ざり合う、そんな表情をしたファルルに背を向けると、ボクは未だ泣き止まない人猫族の少女の前へと踏み出した。


「うぅ、にゃ、にゃ、うにゃっ……」


 ボクは涙をポロポロと零すヒクリの前で膝をつく。頬を優しく撫で、その大粒の涙を親指で拭い去る。


 今この瞬間は泣いていてもいいかもしれない。ボクは彼女を立ち上がらせたかった。

 このまま悲しみの深淵にいたなら、きっと弱いままでいつか人族に殺されてしまうだろう。一族と最愛の者を失った絶望が彼女を泣かせているなら──


 ──ボクが彼女の希望になってやる。



「ヒクリ、とても辛い出来事だったね……忘れようたって忘れられないほど心が傷ついたね」

「うぅっ……ぐすにゃ、うにゃ……」


 ヒクリの顔を両手で包み込む様に触れると、ボクは親指で目元の涙を再度拭う。もう彼女に涙を流させないと誓いながら……


「だけどね、ヒクリ。このまま泣いていても君のおかぁさんは生き返らない」

「う……にゃ……?」

「……だから……残された君がこれから命を繋いでいくんだ」


「……いの……ち?」


「そうだ、そのためにボクは誰にも……君を殺させない! だから……今から言うことを良く聞いてほしい」


 悲壮感に包まれた彼女の頬に手を当てたまま、ボクは容赦なく勇気を注ぐように激を飛ばすことにした。でなければ、彼女の心はいつしか深く閉ざされてしまうと思ったんだ。

 どうすることもできなかった不運を受け止めさせて、その上で彼女を奮い立たせることこそが……手を差し伸べることなんだと──


「拳を握れバカッ! 眼を開いて立ち向かえ! ボクがこれからお前を支えてやる! ずっと……ずっとだッッ」


 真っ直ぐに瞳をじっ……と見据え、ヒクリの頬から手を離すと……ヒクリは涙を止めていた。目尻は赤く、充血していて潤んではいるけれど……ボクを直視した彼女の瞳には生気が宿り、ボクを見やる。


 悪夢としか言いようのない、見るも無残な悲劇が起きた場所で、彼女はボクに向け震え声で尋ねてくる。


「……ぐすっ。あ、あにゃたはだれなんだニャ……?」


 涙ぐむ彼女にボクは微笑んで言った。


「……ボクの……いや……俺の名前はロクス。魔王軍所属、魔剣使いロクス=ウールリエルだッ」


 その声に呼応するかのように、力強く漆黒の翼を大きく広げ、白い歯牙を煌かせた竜へと変化したロウアンの背に乗り……俺とウルフィは高々と天空へと舞い上がるのだった。



  ◇



 時を少しだけ進ませて──とある山間の奥地の魔族の里で、燃え盛る炎の中で涙を流した人猫族の少女ヒクリは後に、この日のことをこう述懐する。


 悲劇の中に、幻想的な光景を目にしたと。


 身の丈ほどの黒い剣を担ぎ、竜の背に乗り空へと飛び立つ少年の姿はまるで、そう、まるで──御伽話の英雄……暗黒騎士アウラスのようであったと──



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る