第2話 初めて逢った日

「ん……?」


 温羅が目を覚ますと、自分が何処にいるのかわからなかった。見慣れない、洞窟のような天井と粗末な寝床。そして消えてしばらく経った松明。

 身を起こすと、伸びをした。それから、ようやくぐるりと周りを見渡す。

 自分の他には誰もいない。どうすべきかと腕を組んだ時、近付いて来る荒い足音に気が付いた。


「温羅、起きてるか!?」

「その声、もしかして……」


 頭の中で警鐘と困惑が鳴り響き、温羅は思わず立ち上がって臨戦態勢を取る。近くに横たえられていた剣を掴み、強襲に備えた。


「温羅! ……お前、何やってるんだ?」

「それはこちらの言葉だ。―――五十狭斧彦いさせりひこ!」


 温羅は剣を構え、倒したはずの男の名を呼ぶ。

 五十狭斧彦は温羅が自分の半身を取り戻す際に戦った、過去の因縁だ。

 であるにもかかわらず、何故彼がここにいるのか。


 困惑が拭えない温羅を気味悪げに見ていた五十狭斧彦だったが、ハッと気を取り直す。そして、手にしていた大振りの剣を横にして温羅に見せるように持った。


「何を驚いてるのか知らんが、今日も行くだろ?」

「行く……? 何処へ」

「……お前、熱でもあるのか?」


 いつものお前じゃないみたいだ。そう言って、五十狭斧彦は一度剣を鞘に戻して腰に両手をあてた。


「決まっているだろう? ふもとの村を襲いに行くんだ」

「……っ、成程な」


 温羅の中で、わかっていたはずのことがようやく現実味を帯びた。

 須佐男の力で、自分は過去に飛ばされたのだ。そして五十狭斧彦の反応を見る限り、自分の姿は過去のまま。須佐男の言った通り、


「くそっ」


 体調が悪いと嘘をつき、温羅は五十狭斧彦に同行せずに居残った。耳を澄ませれば、何人もの仲間だった鬼たちの声が聞こえる。

 どれも獰猛で、村人を怖がらせることを楽しんでいる声だ。

 温羅は拳を床に叩きつけ、冷静さを取り戻そうとした。今がいつかわからない以上、下手に動くことは出来ない。

 何せ、行動には『禁忌』という制限が課される。


『決して、過去を変えてはいけない』


 それはただ過去の行動をなぞれば良いということなのだろうが、これからの出来事を知っている温羅にとっては厳しい。どうしても、過去を変えたいと願ってしまう。


「これからを過去あったままなぞれば、彼女は……」


 運命とは残酷だ。残酷だからこそ、未来の温羅はかけがえのない仲間に出逢うことが出来た。失ったからこそ、得られたものがある。

 もしも過去を変えてしまえば、運命の糸は繋がりを変えかねない。変わった未来で彼らと再び出会うことは出来るのか、それは誰にもわからない。


「……考えても、仕方がない」


 須佐男は、誰かの願いだと言った。その誰かもわからないままでは、どう振る舞えば良いのかもわからない。

 温羅はため息を一つつき、夜を待った。




 夜が更け、しろの至る所で高いびきが聞こえる。

 夕刻、五十狭斧彦たちが村から巻き上げた穀物や衣、宝などを持ち帰った。それらを使って宴会を開くから来いと誘われたが、温羅は行く気にもなれずに辞退した。


「何だよ、つれねぇな」

「すまないな、五十狭斧彦」


 おざなりな謝罪を置き去りにして、温羅は自室に籠っていた。全ては、鬼たちが寝静まった夜を待つために。


 そっと鬼ノ城を抜け出すと、温羅はある場所に向かった。

 それは須佐男が温羅を過去へと送り出した場所であり、大切なあの人と初めて出会った思い出の場所。清い水が湧き出す秘密の池だ。


「―――っ、あった」


 あるのは当然だ。未来で残っている場所なのだから。

 わかってはいても、温羅は胸を撫で下ろす。ここが、過去において彼を決定的に変えたのだから。


「でも、まさかあの日ではないよな……」


 見上げれば、木々の枝葉の間から夜の空が覗く。三日月が頼りなく地上を照らし、星々が輝く静かな空だ。

 しばしその闇を見上げていた温羅の耳に、ガサリという何かを踏み締める音が聞こえた。更に、誰かが息を呑む小さな音も。


「あなたは……!」

「きみ、は……。あ、待ってくれ!」


 脱兎のごとく踵を返して立ち去ろうとした娘を、温羅は呼び止めた。決して逃がしたくない、逃がしてはならない機会だ。

 しかし彼女は立ち止まることなく、慌てた為か足を踏み外す。娘の眼下に、真っ暗な池が迫った。


「!?」

「危ないっ!」


 温羅は躊躇うことなく、娘の体を引き寄せた。そうすることで彼女を守り、ほっと息をつく。


「よかった……」


 思わず抱き締めそうになるが、また彼女を怯えさせると自制する。不自然でないように離れ、温羅は改めて娘に声をかけた。


「大丈夫かい?」

「は、はい」


 そっと振り返った黒髪の娘は、怯えを押し殺した表情で温羅を見た。彼女の濡れた瞳に射抜かれ、温羅の胸がどくんと大きく鳴る。


(阿曽媛……)


 失ったはずの最愛の人。未来では命尽き、同じ名を持つ少年の中に宿る少女。

 阿曽媛が、目の前にいる。その事実が、温羅の言葉を奪った。


「……」

「あ、の」

「―――っ、ごめん。無事でよかった。……きみは、麓の村の」

「はい。……阿曽、と申します。助けて頂き、ありがとうございました」


 怯えながらも毅然として、阿曽媛は名乗る。その姿に見惚れかけ、温羅は初対面である姿勢を貫かなければと我に返った。

 密かに咳払いをして、温羅は自分も名乗る。


「わたしは、温羅。鬼ノ城で、鬼たちをまとめる立場にある。……怖がらせているのはわかっているけど、少し話せないかな?」

「……。わかり、ました」


 深呼吸をして、阿曽媛は温羅の傍に腰を下ろした。池の端にあって、ふたりの間にぎこちない雰囲気が流れる。

 それでも、言葉を交わせば徐々に空気は柔らかくなるものだ。


 過去の記憶の通り、阿曽媛は病弱な母のためにと薬草を採りに山へと入ったらしい。そこで普段出逢ったことのない鬼に出逢ってしまい、驚いてしまったようだ。


 分かり合えないはずの人と鬼。奇跡のような夜は、長くは続かない。夜明けが近くなり、月の光が届かなくなる。

 阿曽媛は腰を上げたが、少し名残惜しげに見えた。


「そろそろ、戻らなくてはいけません」

「……また、会えるかな?」


 温羅の問いに、阿曽媛は控えめに頷いた。

 彼女の手には、清い水を入れた桶がある。阿曽媛がここに来た目的は、水を持ち帰ることにあるのだ。

 鬼が統べるこの山に分け入るのは、麓の人々にとっては命を張った危険な行為だ。鬼に見付かれば、ただでは済まないことは明らかである。

 それでも夜の闇に紛れてやって来た華奢な媛に、温羅は再び惹かれていた。


 それから何度も逢瀬を重ね、ふたりの心は確実に近付いて行く。

 しかし残酷な運命の足音は、確実に近付いていた。

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