もう一度、きみに触れたい。

長月そら葉

第1話 時間を超えるという禁忌

 世界を堕鬼人だきにの脅威から救った四人は、一旦それぞれの暮らしへと戻った。

 阿曽あそ須佐男すさのお八岐大蛇やまたのおろち……そして、温羅うら。皆頻繁に会って近況を報告し合う大切な仲間たちだが、各々の日常があるのもまた事実。

 これは、とある日の温羅の物語。




 麗らかな空の広がる春の日。温羅は一人、とある場所を訪れていた。

 遠い昔、ある少女と初めて出会った思い出の地。里から少し山に分け入った先にある、清水が湧く小さな池だ。


「懐かしい、な」


 斜面に立つ木の幹に手を置いて体を支え、温羅はしみじみと寂しげな笑みを浮かべる。ここへ来ても、もう彼女には会えないとわかっているからこそ、ここへの足は遠退いていた。


 それでも温羅がここへ来たのには、訳がある。親友であり仲間でもある須佐男に呼ばれたのだ。


 さくさくと落ち葉を踏みしめ、池へと近付く。温羅の視界に、池の端で空を見詰める須佐男の姿があった。


「須佐男」

「よお、温羅。よく来たな」

「きみが呼んだんだろう? それで、何の用だい」


 温羅が首を傾げると、須佐男はニヤッと笑った。

 そんな時、大抵何かに巻き込まれるのがお約束だ。温羅が身構えていると、須佐男は「バレたか」と舌を出してから言葉を続ける。


「お前に、オレの力がどれだけのものなのか、確かめる手伝いをして欲しいんだ」

「……つまり、須佐男はまだ自分の力について把握出来ていないということか? あの時からどれだけ経ったと思っているんだ」

「そ、それはそうなんだが……」


 まさか反撃を食らう等とは思っていなかったらしく、須佐男は言葉を詰まらせる。しかし咳払いをして気持ちを落ち着けると、だからと話を戻した。


「これから、お前には時間を越えてもらう」

「月読さんから、時間を越えることは禁忌だと教わらなかったのか? 未来へも過去へも、この時代を持ち込むことは……」

「わかってる。だから、温羅の体はここに残る」

「は?」


 須佐男の言う意味がわからず、温羅は思わず呟いた。それが苛立っているように聞こえたのか、須佐男は「良いから聞け」と手をバタバタと振る。


「過去へ飛ぶのは魂だけだ。体から離れ、魂を過去の温羅の体に宿らせる。同一人物で片方の魂は眠らせるとは言え、長くはもたない。こちらの時間で半日が限界だ。その間だけ、協力して欲しい」

「ちょっと待ってくれ!」


 温羅の声が山に響く。戸惑いに満たされた表情と声をぶつけられ、須佐男は楽しそうに笑った。


「お前のそんな顔、見られる日が来るなんて思わなかったな」

「茶化さないでくれ……。わたしの魂を過去に飛ばし、過去の体に宿って一定時間過ごせば良いんだな?」

「理解が早くて助かる。勿論、これによってオレの力はより強くなるし、暴走させないで自由に使いこなすという目標にも近付ける。月読兄貴からの許可もあるしな」


 ただし、と須佐男は少し真面目な顔をした。


「お前には、禁忌が発生する」

「だろうね。それは?」

「まず、


 干渉、つまりは過去を変えてはならないということだ。死ぬ運命の人を生かしてはいけないし、生きていたはずの人も殺してはならない。その他、その時代になかったはずのものを当時の人々の前に見せてもいけない。


 当然の禁忌だと頷いた温羅だったが、ふと前提条件が破綻していることに気付く。


「そもそも、時間を超えること自体が禁忌なんじゃ……?」

「今回は例外だ」

(……禁忌に例外も何もなくないか?)


 ジト目で見られ、須佐男の頬を冷や汗が伝う。

 例外などに禁忌破りをされたら、何でもありにならないだろうか。温羅の心配を他所に、須佐男は「言っただろう」と笑い飛ばす。


「オレは時間を司る神だ。その力を確実にするために、これは必要なことなんだぜっ」

「須佐男、言いたいことはごまんとあるが……今回は何も言わない」

「助かる。温羅、協力頼むぜ」


 ほっと胸を撫で下ろした須佐男が、温羅に「来いよ」と指で示す。


「何処へ?」

「お前にとって、大切な場所」

「―――まさか」


 温羅が須佐男を追い越す。決して良い足場とは言えない山の中で、温羅の駆ける足音が響く。

 息を弾ませ、温羅は池を半周した。辿り着いた場所には、小さな祠がある。

 祠は、あの娘が来る度に手を合わせていた忘れられた山の神のもの。山を支配する当時の温羅たちですら、忘れ去っていた小さな力のない神さま。

 参る者もいなくなり、ただ寂れて崩れかけたそれを前にして、温羅は立ち尽くす。


「それを媒介にして、時を繋げる」


 温羅が振り返ると、須佐男が真剣な顔をして立っていた。

 媒介にする。その意味を理解した時、温羅は思わず大声を上げそうになった。

 言葉が飛び出す瞬間に押し留めたが、温羅の上半身に熱が集まる。胸の奥が、不自然な鼓動を打ち始めた。


「ちょっ、ちょっと待て。須佐男、繋げる時ってまさか―――」

「ようやく気付いたか」


 ふっと須佐男の表情が崩れる。してやったりという悪戯めいた笑顔に、温羅は全てを悟った気がした。


「わ、わたしはもうっ…………っ」

「ある人の願いだ。オレは、叶えると約束したんでな」

「ねが……い……?」


 須佐男の唇が動く。その意味を読み取る前に、温羅の意識は途切れた。



「行った、か」


 眠るように倒れた温羅の体を支え、須佐男は息をつく。温羅の体を木の幹に預け、その傍に膝を折って頬杖をついた。

 目の前には、規則正しい呼吸をして目を閉じる親友の姿がある。彼の魂は、今過去にあるのだ。


「きっと、お前には辛い時間だろうが……。彼女の願いでもあるんだ」


 自分の神の力を強める目的も、確かにある。だがそれには、誰かの魂を過去に送る必要はない。それ以外の方法で強めることは可能だ。

 それでも、この賭けに出なければならない。


「決して過去を変えるなよ、温羅」


 日が降り注ぐ森の中に、須佐男の静かな声が響いた。

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