5 家政婦じゃなくて恋人

 数駅向こうの鎮魂ちんこんムードとは打って変わり、改札を出ると豪快な和太鼓の音が盛大に響き渡っていた。

 駅の入口には大きな角松としめ縄が飾られ、一足早く正月ムードを漂わせている。


 青灰色に整備された石畳を歩いて、京子は道の奥に構える背の高い門へ向かった。

 少しずつ変わる街並みを眺めながら過ごす日々も、もう六年が経とうとしている。上京したての頃は工場ばかりの雑然ざつぜんとした町だったが、小規模ながらも駅ビルがオープンすると、途端に人が増え通りも華やかになっていった。


 先月開店したばかりのベーカリーを横目に機械工場を壁伝いに歩くと、すぐにその門は姿を現す。閉塞へいそく感さえ感じさせる高い塀に囲まれたその施設の、唯一の入口だ。

 門の右側には、『ALGS(アルガス)』と施設名の彫られた銅板がはめ込まれている。


 ここは特殊な能力を持って生まれた人間が集まる、特務機関の中枢ちゅうすうだ。

 耳当てつきの帽子に濃紺の外套がいとうを羽織った二人の大柄な男が、門をまもって立っている。


「おはようございます、京子さん」

「おはよう。今日は寒いね、お疲れ様」


 京子は敬礼を返して門が開くのを待った。

 数十年と変わらない手動の門は、本部に配属されている十人の護兵ごへいが交代で二十四時間の護りをしている。彼等は非・能力者ノーマルでありながらアルガスで唯一「兵」と呼ばれる精鋭たちだ。


 門の奥には冬色の芝生が広がり、五十メートル先の建物までコンクリートの細い道が伸びている。本部の建物は巨大な立方体の四階構造になっていて、窮屈きゅうくつな小さい窓が並んでいた。


 入口の手前には、全支部にあるという長官の胸像が鎮座する。アルガスのトップでありながらほとんど本部に居ることのない彼が、京子は苦手だった。


 扉の前に立つ別の護兵に挨拶し、中へ入る。

 大階段を上り、二階の西奥から三番目が京子の部屋だ。ロックを解いて中に入ると、部屋はまだひんやりとしていた。


 バッグから取り出した水筒をテーブルに置いたところで、部屋の扉がノックされる。

 返事を返す間もなく「入るわよ」と入室して来た女性は、管理部門の香月こうづきセナだ。京子より三つ年上で、男子の多いアルガスでは女神的存在である。


 「おはよう」と向かいの椅子に座ると、彼女は持参した花柄のマグカップを握り締めて興味津々に京子を覗き込んだ。


「で、どうだったの?」


 彼女が何を話しに来たかは想像できる。


「どうって。えっと、いつも通りお墓参りに行ってきました……」

「いつも通りって、やっぱりまた一人で行ったの? カサブランカ持って」


 朱羽あげはの事を言おうか悩んで、京子はまぁいいかとセナに話した。

 「そうなの」とアーチ型に整えられた眉を上げたセナは、薄く笑んでコーヒーを飲む。


「彼とは一緒じゃなかったんだ。それで、朱羽ちゃんは元気してるの?」

「まぁ、とりあえずは元気そうでした」

「なら良かった」


 セナに朱羽の話をすることを、京子はタブーだと思っている。彼女がそれを気にしているのかは分からないが、複雑な三角関係の二辺に二人が身を置いているからだ。

 思わぬ緊張を紛らわそうと、京子は水筒の蓋を開く。白い湯気と共に甘い匂いを広げたコーヒーは、冷え切った身体と心を落ち着かせてくれた。


「それ、桃也とうやくんが用意してくれたの?」

「そうです……」


 色々と見透かされている。

 水筒のコーヒーは、朝食用のサンドイッチと一緒に桃也がテーブルの上に用意してくれたものだ。京子が目覚めた時彼は既に家を出ていて、今日はまだ「おはよう」のメールしかしていない。


 セナは不服そうにほおを膨らませる。


「そんなに仲が良いなら、一緒に行けば良かったじゃない。同じ場所へ行くのに、どうして時間をずらしてバラバラに行くのよ」

「だって。何か気まずくて」


 墓参りを誰と行くかで、普通こんなに興味を持たれるだろうか。

 桃也と付き合っていなかった二年前までは、話題にも上らなかった事だ。なのに去年一人で行ったと報告してから、セナも朱羽も何だかおかしなことばかり言ってくる。


「あれから五年も経ったのよ? 彼が京子ちゃんを責めてると思うの?」

「思いません。ただ、変に話してこじらせたくないから」

「もう弱気なんだから。恋人なら一緒に行って、彼の胸で泣いてくればいいでしょ? そうしたら次の年は自然と二人で行けるんじゃない?」


 「そんな」と飲んでいたコーヒーを吹きそうになって、京子は慌てて口を押えた。テーブルに点々と散った茶色の雫をティッシュで拭き、大きく溜息を吐き出す。


「ハードル高すぎますよ。今更どう切り出していいのかも、その後どうすればいいのかも分からなくて」

「やっぱり前もって電話しておくんだったわ。昨日は朝からいないし、雅敏まさとしさんも何も教えてくれないし、報告書まとめてたら忘れちゃったじゃない」


 セナはアルガスで唯一、マサを本名の『雅敏』で呼ぶ。本人いわく、『年上だし、佐藤って苗字は他にもたくさんいるでしょ?』とのことだ。


「まだ初恋の人が忘れられなかったりして?」

「そんなことありません。あれは昔の話だって言ったじゃないですか」


 強めに否定するのは、前に話した過去の想いだ。とうの昔に諦めた恋なのに、今だにその相手の夢を見ることがある。未練みれんを残したつもりはないが、曖昧あいまいな夢から覚めるたびに気持ちが過去を辿たどろうとした。


「だったら桃也くんに頼ればいいわ」


 セナは朱羽と同じことを言う。


「私って、そんなに桃也に遠慮してるのかな……」

「恋人同士の関係って、その人に自分が素直になれるかを見極める時期だと思うの。もちろん、家政婦みたいに使のとは別よ? 京子ちゃんは彼がやってくれるからって甘えすぎよ」


 言い返す言葉が見つからず、京子はがっくりと肩を落とした。

 同棲してから、桃也は家事全般をしてくれている。好きでやっているという彼に甘えてしまっているのは事実だ。

 大学生の彼がこれからどうしていきたいのか、きちんと話をしたことはない。

 このままが続くとは思えないけれど、このままでいたいという気持ちがあるのも確かだ。だから余計に、将来を話すことができずに色々なことを遠回しにしてしまっているのかもしれない。


「セナさんには敵わないな」


 セナと朱羽は似ていると思う。

 彼女の気持ちは分からないが、三角関係のもう一辺にいるマサが選んだのはセナだった。


 セナは腕時計を確認し、マグカップを手に立ち上がる。


「『大晦日おおみそか白雪しらゆき』の事、京子ちゃんが悪いなんて思ってる人は誰もいないんだからね?」


 そんな言葉を残して、彼女は部屋を後にした。







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