出逢いは予告通り


 この日、私は、いつもより早くアパートを出て、キャンパスに入った。気づけば、あっという間に春が過ぎ、もう初夏の匂いがしている。


 昨日の夜に聞こえた声。一体あれは何だったんだろう。私は、何かの聞き違い、もしくは自分の精神状態がおかしな事になっているのではないか?と不安になっていた。


「そんなことあるわけないよ。あるわけない!」


 あれだけ強く思っていたのに、今、私の中には、そうなればいいのにという気持ちが少しずつ芽生えはじめていた。


 私は、心理学概論Aの教室に入ると、真ん中より少しだけ前方の長机の端に座る。このポジションが自分の定位置だった。


 本当に隣の長机に人が来るのだろうか?


 次々と、生徒が教室に入ってくる。


「暑いね。これ終わったら、もう午後は授業サボってカフェでも行こうよ」

「いいねいいね。午後の科目は代返効くから私も大丈夫!」


 みんな凄く楽しそうだ。

私は、また孤独を感じ、身体全体が小さくなっているような気がしていた。


 

 五分遅れで教授が教室に入って来た。

前回の授業のおさらいから、挨拶もそこそこに授業が始まる。


 教え方が今一つなのだろう。受講している生徒はみんな眠っているかスマホをいじっている。イヤフォンで音楽を聴いている生徒もいた。正直、私もとても退屈なのだが、根っからの真面目さゆえか、一言一句聞き逃さないように話に集中し、ホワイトボードに書かれた文字をノートに写していた。


 とはいえ、やはり気になるので、ちらちらと左側を見る。

 まだ、誰も来ない。


 やはり、あの声は、気のせいだったのか……。


 しかし、一時間ほど経った時、それは突然起こった。


「痛っ」


 私の後ろに座っている男子が小さな声を上げた。


「ごめん。コンタクトが外れちゃって。そっちに落ちたんだ。動かないでいてくれる?」


 そう言いながら、その男子は、私の横のテーブルに移り、足下を探しだした。


 本当にコンタクトを落とした人が現れた!私の緊張はさらに高まる。


 しばらくじっとしていたものの、彼はまだ見つけられずにいるようだ。動かないでと言われたが、自分の足下くらいは探した方が良いのではないだろうか。思い切って彼に言ってみる。


「わ、私も、探そうか?」


「ほんとに?ごめん。助かるわ」


 教授は片手に持った書籍ばかりを見ている。

 私は机の下に潜り、床を凝視する。授業中に、ノートに書くのを中断したのはもしかして高校時代を含めて始めてかもしれない。


「あっ、あった!動かないで!」


私が声を上げたものの、彼は自らの足でコンタクトを踏んでしまった。


「あー。くっそ、折角買ったのにな。今時、ハードコンタクトなんて珍しいと思ってる? 俺、すごい乱視なんでソフトだと上手く行かないんだよな〜。あー、、もう片方も外さないとバランス悪くて気持ち悪いわ」


 彼は、右目を左手で広げ、右手でコンタクトを外し、ケースの中に入れる。

 そして、私の方に顔を向け、小声で「ありがとう。ごめんね。授業中に」と囁いた。


 私は、「いえ。どういたしまして」とだけ応え、授業に集中しようとした。

そうでないと、私の頬が赤くなっているのを彼に見られる気がしたから……。



出会いは予告通り。

私の心は激しく音を立て動いていた。





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