第23話 竜と探索者

 ファティが目を覚ますと、不思議な場所にいた。

 柔らかい陽の光がさんさんと差し込んで、地面はふかふかの土の上に青い芝が一面を占めていた。


 ぽつんとそこに立ち尽くしていたファティは、ゆっくりと周囲を見てぽつりと漏らした。


「どこだろ? ここ」


 見渡す限りどこまでも同じ光景が続いていく世界の中で、ファティは1本の木を見つけた。その大きな木の下には2人の男女が座って、休んでいた。


 地平線まで続いていく芝の中、その木にいる男女の顔を見て――ファティは思わず駆け出した。


「……嘘」


 思わず、声が漏れる。


「嘘……。う、そ……」


 心臓が早鐘のように鳴らされる。


 自分の見間違いではないかという不安と、もしかしたらという期待で心の中がぐちゃぐちゃになって、上手く走れない。地面に足が取られて、コケてしまいそうになる。

 まるで、夢の中にいるようだった。


「……お母さん。お父さん」


 木陰で休んでいるのは、間違いなく数年前に流行り病で死んだ自分の父親と母親で。


「お母さん! お父さん!」


 大声を出しながら、走る途中でぼちゃ……と、小さな川にファティの足が埋まった。


「……川? なんで、こんなところに」


 小さな川には、こんこんと透き通った水が流れておりファティが川底を蹴ったことで、巻き上がった泥を下流へと押し流していった。


「お父さん! お母さん!!」


 ファティが大きく声を出すと、木陰で休んでいた2人が目を開くと驚いたように目を丸くして。そして、目を伏せて立ち上がると、ファティから離れるように地平線の奥へと歩いていく。


「なんでっ! なんでそっちに行っちゃうの!」


 ファティの足が動く。

 自らの一歩で簡単に超えてしまえる川を渡ろうとして、


「来るなッ!!」


 ファティは初めて聞く、父の怒号で足を止めた。


 鬼気迫る父の声と、それでも一つも変わらない父親の声でファティは呆然と立ち尽くした。川に片足を入れたまま、立ち尽くすファティにそっと父親と母親が振り向いた。


 先程とは打って変わって、どこまでも優しく慈しむような瞳を宿してファティを見つめると、名残惜しそうに顔をくしゃりと歪めて2人は踵を返した。


「ま、待って! 行かないで! 一人にしないでっ!」


 ファティは動けなかった。

 だから、叫ぶしか無かった。


 気がつくと、ファティの両目から涙が溢れ出していた。


 来るなと父親に叱られたことではない。

 父親と母親が去っていくことではない。


 死んでしまった父親と出会えたことに、二度と聞けないと思っていたその声。

 その声の怒りの中に、大海のような優しさがあると知って涙が止まらなかったのだ。


「お父さん! お母さん!」


 2人を呼ぶ。呼んでも、呼んでも、2人は振り向かない。

 ファティを置いて、どこまでも遠くに去っていく。


「行かないでっ!」


 涙に溢れ、もはや2人の姿すら見えなくなったファティの視界がぐにゃりと曲がっていく。それでもなお、追いかけようとするファティの腕を誰かに掴まれた。


「……えっ?」


 後ろを振り向く。


 顔は、見えなかった。

 拭っても、拭っても、溢れ出る涙で顔が見えなかった。


 ただ、真っ黒な服に身を包んだその人が優しく抱きしめてくれたのは分かった。

 その後ろでは真っ白な少女が揺れていた。きっと笑っているのだろうと、ファティは思った。


 ――――――――――――――


「さぁ、マスター! 思い知らせてやりましょう! 天下の“鏡櫃“ここにありと!」

「ダンジョンにか? そんなことやったら強すぎて他のダンジョンから出禁食らうぜ」

「そんな弱っちぃダンジョンなんてこちらから願い下げですよ!」


 アイリと共にシスが15階層の中に入ると、そこには巨大な吹き抜けが広がっていた。


 ダンジョンの1階層から15階層までぶち抜いたのだろう。

 天井はもはや地面から見えないほどに高く、その高さに対応するように部屋の広さも半径数百メートルはあるかと思うような円形の部屋だった。


「ほー! こりゃ大きいですね!」

「ダンジョン最後のあがきだ。ここまでやるだろうさ」


 巨大な広場の上空には一匹のモンスターが羽ばたきながら、空を飛んでいた。


 恐らく元は赤かったであろう鱗は黒く変色し、弱点である翼には常に風と魔力がまとわれて生半可な攻撃は通じないことになっている。


 口元からは白くなるほどにまで熱せられた炎の吐息が漏れている


「はぇー! Eランクダンジョンでも、力を振り絞ればドラゴンまで出ますか」

「ただのドラゴンじゃねえな。悠久の時を生きた長命のドラゴンだ」


 シスがそう言った瞬間、ドラゴンの口が大きく開かれる。

 魔力がそこに集まって、真っ白な吐息が放たれた。


「【展開】」


 だが、シスの一声によって生じた鏡の箱によってそのブレスは防がれる。

 熱伝導率はゼロであり、背後にいるシスたちには熱さなど微塵も届かない。


 ドラゴンは更に吐息を強くすることで、箱を熔かしにかかるが鏡の箱は何一つ動くこと無く、変動することもない。


 当たり前だ。

 鏡の箱は、箱ではない。


 外に飛び出した停時空間ステイシスフィールドと現実世界を分けるための、境界線でしかないのだ。


「マスター。ドラゴンと言えば堅牢な鱗が有名ですね!」

「そうだな。どんな名工が鍛えた武器も、いかなる賢者が放つ魔法も通用しない鱗だ」

「こんな話が残っていますよ。ドワーフの名工が自分の作った素晴らしい武器の斬れ味を試すために、ドラゴンの鱗に振り下ろしたら傷一つ付かず逆に剣が折れたと!」

「ドラゴンの鱗の硬さを象徴する有名な話だな」


 ドラゴンの口からほとばしるブレスの熱量が上がる。


「それに、こんな話もありますよ。賢帝と謳われた魔法使いが、自らの腕を試すべくドラゴンを相手にし、持ち得る全ての魔法を使ったがドラゴンには傷一つ付かず頭から喰われたと」

「ドラゴンの堅牢さと、人の愚かさを象徴する有名な話だな」

「この話、どう思います? マスター」

「そりゃあ、アイリ」


 シスが指を動かす。

 ドラゴンの頭部を包むようにして、鏡の箱が展開される。


 頭から先が止まった時間の中に取り残され、それ以下の身体は通常の時間に流される。

 すなわち、止まった時間の中にある全ての分子は停止し、動き続ける時間の中では分子は動く。


 それにより、止まった時間と動く時間の境界面では物体は断ち切られる。


「相手が悪いだろ」


 ドラゴンの首から下が箱から無理やり切り離されて、地面に落ちた。


 それが如何に堅牢だろうと、どれだけ丈夫だろうと関係ない。

 刀で物体を断ち切っているのとは訳が違うのだ。


 その境界面に存在している全ての分子ごと断ち切るシスの魔法の前では、防御という行為自体が無為に帰す。


「流石ですよ! マスター!!」

「だろ?」

「ダンジョンの核を壊して、ここから出よう」

「出たらご褒美のちゅーですよ! 約束しましたからね!!」


 ダンジョンの最奥にいるラスボス。

 通常はそこまでのダンジョンは、しかし核へと繋がるための道をだらりと力なく開き、成すすべもなく2人を受け入れた。

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