『山根 賢治』の場合・5

 タクシーを降り、課長を追ってそろそろ10分。だんだんと慣れてきた夜目は彼が歩め寄っていくモノの輪郭を捉え始めた。

 ……これは、屋根付きの倉庫か?

 屋根つき、というかといった表現の方が正しいだろうか。最奥に位置していたせいで道からは見えなかったが、かなりの大きさを誇っている。

 距離を保ちつつ後を追っていくと、さびまみれた鉄骨の骨組みと、所々に穴の開いたトタン製の屋根が目に入ってきた。更に正面を覗く3方を取り囲む薄い壁は至る所に亀裂が走っており、もはや経年劣化と言うにも度の過ぎた様相を見せている。少し強めの地震、あるいは台風のひとつであっけなく倒壊しても、なんの不思議もない。

 そんな最低限をギリギリ下回る程度に雨風を凌げる造りの下、に乱雑に積まれていたのは明らかに役目を追えたであろう産廃の山だった。

 酷い有様だ。素人目にもわかる程ボロボロに使い込まれ、あるいは時の過ぎゆくままに晒され続けたガラクタたち。

 その端に紛れ、隠れるように置かれたドラム缶の前で、課長はどこかに電話を掛け始めた。


『……い、はい。……到着……』


 ささやかだが、今はこれ以上なくうるさく聞こえる夜風の音に紛れて聞こえてくるのは、明らかに緊張で口を乾かした課長の拙速な語り口だった。

 ……やはり、彼を狼狽させるだけの何かが、ここにはある。

 伝播してくる緊張に身を強張らせる中で、社会人の習性か電話越しでも頭を下げる彼の姿はこれ以上なくシュールに映っていた。

 ただその様子からすぐに相手が応対したのは分かる。掛かった雲に付きの輪郭がぼやけ、夜風は徐々にその強さを増していく。数メートルの距離のおかげで、話は途切れ途切れにしか耳へと届いてこない。

 そのもどかしさからいつの間にか私は大胆にも、いやさ迂闊にも、一歩ずつその距離を縮め始めていた。


『………認しま……これを処分……ウチでこ……リフォームを、注文していただけるんですね』


 ――!!

 近づくほどに明瞭さを増していく会話に出てきた『注文』そして『リフォーム』という単語。袋小路の日常とそれを打破するために動いた今夜の非日常。そのお互いがハッキリと繋がった瞬間だった。

 一拍を置いて、課長の喜色に塗れた返事が耳に届く。やはり彼の不審な道行は、数字を上げるためのものだった。それもあの様子では正道ではなく、何かしら大きなリスクを背負っているのがありありと見て取れる。

 眼前に広がる倉庫もどきが陣取るスペースはかなり広い。正確な奥行きまでは掴めないが、横幅でいえばコンビニ程度の小規模店なら2件はすっぽり収まってしまえるほどだろう。

 更にこれだけ劣化の進んだ建物だ。請け負うのは名目で柱の一本だけを残す、もはやリフォームとは名ばかりのとなる。もしも契約を結べたならば相当に大きな取引となるのは目に見えている。半ば努力目標嫌がらせと言えるほど無茶に設定された半期目標をも楽々上回れるだろう。

 それこそ、ウチのようなとても大手と言えない会社が受け持つには不自然であると思える程の規模――それを独力で獲ってこれるほど、彼は有能な営業マンだったか?

 他人の事を言えた義理ではないが、それにしたってで任せるには規模が大きすぎる。倉庫のそれと一緒に、段々と掴めてきた事態に湧き上がってくるキナ臭さが鼻をついてきた。

 うちの会社だけの話に限らず、ここ数年業界を取り巻く不景気の波は末端を切れば凌げるほど矮小なものではない。彼もまた自分の椅子を残すのに必死、ということなのだろう。 

 張子の虎の如く縦に振った首は、一体どんな条件を吞み込んで見せたのだろうか。

 それも仔細の一切を会社に伏せたまま……生唾を飲み込み、もう一歩。積み重なる廃材の影に身を潜め、再び耳をそばだてる。


『はい。2週間……わかっています。しかし、他の廃材はともかく――』


 先ほどまで浮わついていた声色が急に沈み、課長はそこで一度言葉を切って首を僅かに右へ、次いで僅かに下へと動かした。その背中しか見えない私にも確証が持てる。そもそもが建物の右端に立っていた彼の動いた顔と視線の先にあるものはといえばひとつしかない。端に追いやられているドラム缶だった。


を普通の処理業者に頼むわけには――いえ、申し訳ございません!』


 それまで相手を刺激しないように気を遣った口調で抗議していた課長の声が、突然切羽詰まったものに変わった。こちらが何事かと勘繰る間もなく、彼は電話越しであることを完全に忘れた様子でやおら腰を折り曲げて詫び始めた。今の一言が電話口の向こうにいる相手の不興を買ったのだろうか。

 廃材の種類が違えば、処理する業者もまた変わるのは当たり前の事だと思うが、それがどうしてここまで相手を瞬間湯沸かし器にしたのだろう。

 激怒の理由に見当がつかない私を尻目に、課長は軽く見積もっても数分の間は必死に様子で謝り倒し、それでようやくゆるしを得て背筋が再び伸びた。


『やらせていただきます。幸い、心当たりがありますので……本当です。ええ、ええ。それでは、またご連絡差し上げます』


 最後だけまるで普通の営業電話のように交わされたやり取りが、かえって直前の異質さを際立たせた気がした。

 そして再び、駐車場には水を打ったような静けさが戻る。課長は通話を終えたスマホを耳から離し、その手をだらりと下げて大きく溜息を吐いていた。

 ……整理すると、つまり彼は分不相応と言える程大きな取引をまとめようとして『リフォーム予定の土地にある廃材の処理』という条件を突きつけらた。そして今夜はその確認のためにここを訪れた。という事なのだろう。

 取引の条件として、工事を行う場所の掃除や整理を任されるのは別におかしな話ではない。うちらとしても片付かない事には工事に着手できないので、予算に収まるようであれば業者を手配するし、そうでなくとも別途、ある程度は値引きしても渡りをつけるのは当たり前のことだ。

 だが、そう事態が単純でない事は、漏れ聞こえてきたやり取りと状況が示している。

 それまで課長の後ろ姿に当てていた焦点を外して立ち上がり、さらにその奥――恐らくは話題の中心にあったであろう4つのドラム缶に目をやる。


「どうしろっていうんだ!こんなもの!」

「ひっ……!」


 その瞬間。

 まるでタイミングを計ったかのように響き渡ったのは、怒号と響かない銅鑼ドラを叩くような鈍い轟音。課長が革靴でドラム缶の底を蹴っ飛ばした拍子に、思わず悲鳴を上げてしまう。

 しまった――!思わず口を強く結び、起こるであろう事態から逃げるように強く目をつむる。


「や、山根君……?どうしてここに?!」


 しかしいくら現実から逃げ、おまけに口に手を当てたところで、既に手遅れだった。

 弾くように上げた視線の先で、課長の驚きに丸まった瞳がまっすぐこちらを捉えている。

 続く沈黙が痛い。言い逃れは出来そうにない。観念してそれまで軽く屈めていた腰と膝を完全に伸ばして廃材から身を出すが、それでこの場を切り抜ける文句が都合よく浮かぶ筈もなかった。


「ずっとつけ回していたのは君か?聞いていたのか?どこからだ?」

 

 いたずらに続く視線だけの交錯を無意味と取ったのだろう。こちらがあるはずのない妙案を求めて視線を泳がせている間に、左の靴底を半歩引いた課長の方から再び口を開き、質問を変えてきた。


「……始めからか」


 ――クソっ。

 毒づく彼に返答に窮し視線を外して黙り込む。そんなこちらの態度こそが、一番の返答となってしまった。咄嗟に否定することも出来ずただおずおずと頷きを返す私に向かって、課長は眼光に剣呑な意味合いを込め始める。 


「それで、君はどうするつもりだ?を押し付けられた私を会社に報告して糾弾するか?それで君の椅子が戻るわけでもないのに?」


 矢継ぎ早に放たれる問いかけの口調。それは彼もまた、いやあるいは私以上に焦燥に駆られている心の内を示していた。時間、場所、状況、そして私と課長。その全てが普段通りではない。


「いいえ」


 だからこそ、そこに普段生まれるはずのない活路が生まれる。

 ここの立ち回りこそ肝要だという直感に可能性に賭けてきっぱりと首を振る私を見る課長の顔が、猜疑さいぎに歪んでいく。

 畳みかけよう。恐らく課長は相手方の声まで筒抜けだった、つまり自らもまた言い逃れできない所にいるとと早合点している。落ち着きを取り戻されてシラを切り通されたら終わりだ。


「なら一体――」

「その缶の処理、私に任せていただけませんか」


 声とともに吐きだした息はひどく冷たく、それと対照的に身体がかあっと熱くなる心地を覚えていた。

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