3,さいはての夏

 最初の夏から五十年。ヒアカは六十五になった。

 まだまだ体は動く。けれど、これが最後の夏だと、ヒアカは決めた。

 いつかは終わりが来る。予期せぬ唐突な終わりではなく、きっちりとけじめをつけた終わりにすべきだとヒアカは思う。

 五十年でヒアカはどれほど網羅することができただろうか。

 書き溜めた地図を広げて繋げてみたことがある。縮尺も精度もバラバラで、ヒアカは思わず笑ってしまった。

 でもそれが、若いころからずっとアタリを探してきたヒアカの成果だった。

 まあでも、たぶん、まだまだ世界のほとんどが未踏だろう。

 それは少し心残りに思わないでもない。でもヒアカにこれ以上はどうしようもなかった。


 何年かに一度、変わり者の少年が有名な冒険家ヒアカに弟子入りしたいとやってくることも、あった。

 目をキラキラさせて、空の果てを見たい、世界を冒険したい、そう言い募る子供も、いないではなかった。

 だが、そんな子供に空のハズレの話なんかをヒアカはしたくなかった。まして、ハズレを目にして落胆する姿を見たくはなかった。

 だから、まずは自分一人で見に行くように勧めた。

 空の端のハズレを見て、もし子供がアタリを見つけたいと、ヒアカと同じように思うなら、きっともう一度ヒアカのところへ来るだろう。そうしたら、その時は弟子にするつもりだった。

 結局、ヒアカのもとへ二度訪れる子供はいなかった。

 しょうがない、とヒアカは思う。心踊らせて見に行った空の端がハズレだったというのは本当にしょんぼりする。しょうがないのだ。

 最後の夏もヒアカは一人で出発した。


 世界はヒアカにいろいろな顔を見せた。

 時に美しく、時に険しく。時に優しく、時に厳しい。危ない目に遭ったのも一度や二度ではない。けれど、旅路の多くはヒアカにとって喜びと驚きに溢れる、楽しいものだった。

 初めて踏み入る土地、初めて見る景色、初めて触れる動植物。気づいたものは細かく地図に書き入れて、膨大な量になっている。持って帰れるものは村へも持ち帰った。

 慣れた手つきで素早く調理し、一人夕餉をとりながら旅を振り返る。そんなひとときがヒアカは好きだ。

 最後の旅でもヒアカはひとつずつ空の端を回った。大地の割れ目に沿って岐路をひとつずつ間違いなく選ぶ。

 空と大地の接し目で空をそっと捲る。

 つるりとした壁にはっきりと書かれた文字を確認する。ハズレ。すぐに次へ向かう。

 最後だからこそ、できるだけ回りたかった。

 アタリを見つけられる可能性がどれほどあるだろう。五十年でその可能性がほんの僅かであることは思い知っている。

 でも。だから。ヒアカにできるのは、ぎりぎり最後まで諦めないことだけだ。


 そのぎりぎりも尽きる時がきた。

 ヒアカは最後の空の端に立った。

 これがハズレでもアタリでも、ヒアカは村へ帰る。そしてもう空の端へ来ることはない。

 ひんやりすべらかな空の端をつまむ。そっと捲り上げる。ハズレ。すぐにその黒い文字がヒアカの目に映った。

 最後もヒアカが見た世界の端はハズレだった。

 悔しいような、清々しいような変な気分で、ヒアカはしばらくハズレを見つめ続けた。

 ヒアカの冒険はこれで終わりだ。アタリは見つからなかった。ヒアカは全部ハズレた。

 もはや見慣れたハズレを見納めて、ヒアカは空から手を離す。つもりでふいに気になった。

 ヒアカはいつも空を捲ってハズレを確認してきた。ハズレの文字だけを気にしてきた。けれど。思いっきり引っ張って捲り、内側を覗き込んだら壁の上の方がどうなっているか、見られないものだろうか。

 最後だ、見ておこう。とヒアカは思った。

 よいしょっと空を引っ張る。空は軽いが突っ張るような抵抗があった。空を破らないように気を付けて、ヒアカは大きく空を捲る。

 セカイノ。

 ハズレの上に別の大きな文字が現れて、ヒアカは目をまたたいた。

 なんだこれは。

 全力で頭の上まで、腕の届く限り捲り上げてみた。文字のすべてが姿を現した。


 ココハ

セカイノ

 ハズレ


『ここは世界の外れ』

 呆然としたヒアカの手から空がすり抜ける。

 空は柔らかく揺れていつも通りの姿になった。

 そのままヒアカは世界の外れに立ち尽くした。

 自分はなにを見たのだろう。

 ここは世界の外れ? うん、知ってる。

 頭のなかがぐるぐるしている。

 つまり。アタリハズレのハズレだと思っていたハズレは、そのハズレでなかった、のか。

 五十年探していたアタリは、そもそも在りはしなかった、というのか。

 なんという間抜けな。無駄を。踏み続けてきたことか。

 十五の歳にたった一ヶ月、慣れない旅と苦労の果てにたどり着いた空の端がハズレだった、あのときの失望を遥かに凌駕する失意が襲う。

 とはいえ、最初にちゃんと壁の全てを確かめなかったヒアカの落ち度、でしかない。

 ヒアカはとぼとぼと空の端を後にした。


 やり場のない、煮えたぎるような感情を一体なんと呼べばいいのか、ヒアカには分からない。

 怒りとも悲しみとも違う、真っ黒なやるせなさ。そいつに心を食われながらヒアカは後悔し続ける。

 なぜ初めて空を捲ったとき。あのとき、あともう少し上まで捲ってみなかったのか。ちょっとでも見ていれば。いや、あのときは初めてのハズレに驚いて、悲しくて、すぐに指を離してしまった。

 あのときでなくてもいい。五年、十年。いくつものハズレを見慣れたあの頃、たった一度でも捲って上を見ていれば。でもヒアカはひとつでも多くの空の端へ回ることばかり考えていて、ハズレを見るとすぐ空の端に背を向けていた。

 何百回とあった気づく機会を逃し、最後の最後で気づいてしまった。

 いっそ気づかずに終わっていれば。アタリを見つけられなかったことを悔しがりつつも、ヒアカはなにも知らず穏やかな老後を過ごしていつか死の眠りについただろう。

 知らない方が良かった?

 それは違うな、とふいにヒアカは思った。

 人生を賭けたアタリとハズレの、その真実を知らずに死ぬなど。一見穏やかだったとしても、それはヒアカの本意ではない。

 なんであれ、事実を正確に知り得たことの方が尊いとヒアカは思う。

 ならば、五十年もの歳月を費やしてしまう前に、もっと早く知れていれば良かったのか?

 もしヒアカが二十、三十の歳で文字に気づいていたら。さて、自分はどうしただろうかとヒアカは考えた。

 冒険をやめて村での暮らしに戻った? ヒアカには想像できない。

 もし最初に気づいていたら? 冒険家としてのヒアカの人生などなかったとしたら?

 村での普通の暮らし、普通の人生にも幸せはあっただろう。でも。それでも。冒険のないヒアカなど、ヒアカには到底想像できない。

 五十年、求めたアタリは見つけられなかった。

 そもそもアタリなどなかった。

 結婚や子供、普通の幸せはなかった。

 それでも、ヒアカは人生が決して無駄でも無意味でもなかった、と思う。

 彼が冒険で歩み得た無数のものらは、たとえアタリが存在しないとしても、消えて無くなるようなものではなかった。

 もし人生をやり直せると言われても、ヒアカはきっと同じ人生を選ぶ。いや、できることなら今日の空の端の続きからやらせてほしい。やらせてくれないだろうか。やらせてもらえないか。

 ヒアカはいつも通りしょんぼり顔で村へ帰った。


 冒険家を引退したヒアカは、書き溜めてきた地図と記録をまとめて出版した。

 空の端、世界の果ての秘密も明かした。

 いつか誰かが地図の続きを埋めて、世界地図を完成させてくれることを願って。

 公開された事実は、特に驚きをもって迎えられるなどということもなく、おおよそ「へー、そーだったんだ」などと言われたぐらいだった。

 ただ、風変わりな奴が興味を持ったりして、実際に見に行って、そして「本当に書いてあった!」と興奮しながら楽しそうに話すようになったから、空の端を見に行く人は徐々に増えた。

 ヒアカの地図を頼りに“空の端見物ツアー”なんてものが始まったり、ここから少しずつなにかが変わっていったのかもしれない。


 これが最初の冒険家ヒアカの残した全記録である。


〈空の端がどうなってるか、見に行ってみた:終わり〉

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空の端がどうなってるか、見に行ってみた たかぱし かげる @takapashied

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