第14話 双子たちと怪盗の短くも長い夜⑥

「泥棒さん、あの蟲ってなんなんですか? 普通の生き物って感じじゃないです」


 メアリの攻撃が失敗に終わったあと、アンは気味悪そうにしながらそう訊ねた。


「あれはナノボットだ。親機から送信される電波を拾って命令を遂行するだけの機械蟲。だから生き物じゃない。天下の大企業『パラドック社』様が作り出した最先端のカラクリさ」

 

 ルーサーは浮遊を続けたまま、工場地帯の奥に拠を構える巨大な施設群を睨んだ。

 

 そこらの錆び付いた工場やプラントとは違って、無駄に新品感の漂う研究施設がそこにはある。敷地も広く、幾つもの研究機関、生産設備が一ヵ所に寄り集まっている。そしてその中央に鎮座する建造物には、パラ=ローグに産業革命をもたらした新時代の尖兵、『パラドック社』の社章がデカデカと掲げられているのが見えた。


 苦虫を噛み潰したような顔で、ルーサーは説明を続ける。


「奴らは噛みついた物体をゴマ粒以下まで分解し、腹に貯め込んだゴマ粒をケツからひり出して新たに物質を再構成するんだ。なんでも奴らにかかれば、三日で家の解体と移転の両方を済ませることができるらしい。まあ、それには膨大な量の人手、もとい膨大な量の働きアリが必要になるとは思うがな」

「お家を食べてお家を作る……なんだか、シロアリみたいですね」

「俺と同じことを考える奴がいて嬉しいよ。要するにあれは、害虫だ」


 丁度、シロアリがまた壁を食い破った音が聞こえた。地上を見下ろすと、倉庫の壁を突き破ってバイクが飛び出して来るのが見えた。強盗を乗せたバイクはそのままフェンスを越えて、倉庫と隣接したプラントの敷地内に侵入する。鉄骨やらパイプやらで見通しの悪い悪路を奴は平然と突き進む。

 ルーサーたちは上空から、その姿を見失わないよう追いかけた。


「だが、所詮は電子制御のカラクリに過ぎない。——メアリ、電気を操るお前の魔術は奴にとっては天敵みたいなもんだ。狙いが多少大雑把でも、奴らの回路をショートさせるには十分だろうからな」

「メアちゃん、おうちの電化製品とかパラコルとか壊すの得意だもんね」

「好きで壊してるんじゃないし! ちょっと他人ひとよりビリビリしやすいだけで」

「なんにせよ、次チャンスがあったら構わずぶち込め。奴の兵隊と渡り合えるのはお前だけなんだからな。頼りにしてるぞ」

「……っ、当たり前じゃん! あたしは最初っからそのつもりだよ」


 その言葉がくすぐったかったのか、メアリは少し照れた素振りで顔を逸らした。


「いいな、メアちゃんは……私だって……」


 きっとメアリの活躍を見守ることしかできないのがもどかしいのだろう。アンの表情には少々陰が差して見えた。実際、人形遣いパペッターの彼女に今できる仕事はない。

 そもそも肝心の人形自体、今の彼女にはほとんど残されていないのだ。


「アン、お前お友達は何体連れてきてる?」

「……あ、えと……この子だけです……」


 よく見ると、アンの背中には一体のぬいぐるみが引っ付いていた。

 服の後襟に両手で掴まり、ぶらぶらと揺れている。見覚えのある顔だった。ルーサーの首に注射をぶっ刺したあのぬいぐるみだ。まさかこいつが生き残っていたとは……。

 奇妙な偶然にルーサーは苦笑する。


「一体いれば十分だ。それさえあれば、お前は強盗如きに負けやしないだろ?」

「それって、どういう……」

「お前がやるんだ。奴から賢者の石を奪い返すのは、お前の仕事だ」


 ルーサーの一言に、アンはぽかんと口を開けて固まったあと、すぐに「いやいや」と首を振った。


「そ、そんなの無理ですっ! そんなこといきなり言われたって……」

「なら一つ訊くが、賢者の石は今どこにある?」

「……え? それは、あの強盗さんが持ってるんじゃないですか?」

「そうだ。じゃあ奴は今どこにそれを隠し持ってる?」

「……え、えっと……ポケットの中だと思います」

「どこの?」

「……左です。左の胸ポケット」

「上出来だ。そこまで冷静な観察眼を持ってるなら、奴の懐から石ころ一つ盗み出すくらいは簡単にできるだろ」

「そんなっ、……そんな適当な理由。無責任です」

「俺はできると思ったことしか言わない。やるかどうかはお前が決めることだがな」


 アンはなんとか反論しようとぱくぱくと口を開いていたが、結局はなにも思いつかなかったようで、諦めた面持ちでため息を吐いた。


「……そんなのズルいです。そんな風に言われたら、やるしかないです」

「チャンスは俺が作ってやる。あとはまあ、上手くやってくれ」

「やっぱり適当! 適当すぎますっ!」


 アンはぷんすこと頬を膨らませ、ルーサーの肩をバシバシ叩く。とはいえまんざらでもなさそうにしている。この調子なら彼女に任せて問題はないだろう。

 アンの瞳にはすでに灯が点っていた。


「もー、いつまで遊んでんのさ! やるんならさっさと片付けちゃおうよ!」


 焦れた様子でメアリがぶーぶーと口を尖らせている。

 確かにこれ以上の無駄話は不要か。奴もそう悠長に待ってはくれないだろう。プランは頭の中に組み上がっている。あとは、実行に移すだけだ。


 だが、そこでふとルーサーはある違和感に気付いた。

 

 強盗は未だプラントの敷地内でバイクを走らせていて、時折その姿が物陰に消えたり、現れたりする。その程度のことで見失うことはなかったが、奴の姿を追うばかりで、別の存在がその場からことに気付くのが遅れた。


「おい、お前ら……シロアリの数が減ってる! さっきまであいつの周りをブンブン飛び回ってた蟲共は、どこに行った?」

「あれ、本当だ。ちょっと少ない、かも……メアちゃんはずっと見てたよね? メアちゃんはどこに行ったか見てないの?」

「あたしに訊かれても……でも、少ないなら少ないで別にいいんじゃないの?」

「よかないだろ。あの蟲は奴にとって唯一の防御手段だ。奴の身を守る兵隊だ。それを手放すってことは、奴の気が変わったってことだ。つまり——」


 ルーサーは慌てて周囲を見渡した。

 その直後に、それは来た。

 

『——ミュィィィイイイインッ!』


 ジャングルジムのように複雑に絡み合った設備群。その一部が、瞬く間に灰と化してぶわりと宙に舞った。いや、灰になったわけではない。……喰われたのだ。

 そして宙に舞った灰のように見えた物は、シロアリだった。

 物陰に潜んでいたシロアリの群体が工場の一部を解体し、その勢いのままルーサーたちに襲いかかって来る。ミュィィイイン、と甲高い羽音が迫って来る。


「チッ、舌噛むなよお前ら……!」


「……えっ、きゃああ……っ!」

 

 襲い来るシロアリの群体に対し、ルーサーは急降下してそれを躱す。だが、一度逸れたらもう戻って来ることのない銃弾とは違い、はねを持ったシロアリは途中で方向を変え、鉄製の足場に降り立ったルーサーたちを目掛け再び飛んで来る。——かに思えたが、奴らがとった行動はルーサーの予想の上をいった。


「——なんか降って来る!」


 それは鉄の雨だった。

 氷柱のように鋭く研ぎ澄まされた鉄の棘が、頭上から大量に降って来たのだ。

 

 分解した工場の一部を再構成したのだろう。シロアリは体内に蓄えた物質を鉄の棘へと作り替えた。そしてそれは奴らの尻から放たれた。要するに、蟲の糞だ。


「ぎゃっ、うんちだうんち! きったなっ!」

「やめてよメアちゃん! メアちゃんがそんなこと言うから、もううんちにしか見えなくなっちゃったじゃない!」

「馬鹿言ってる場合か! アレに当たったら全身蜂の巣だぞ!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐ双子たちの手を引いて、ルーサーは鉄の絨毯爆撃から逃れるべくさらに降下する。プラントの設備を屋根代わりに雨を凌ぎながら逃げ回り、しかしその間にも強盗はエンジンを吹かして遠ざかって行く。そしてついにはプラントを抜けて、奴はアスファルトの道路に飛び出した。

 その先は直線ルート。奴が次に加速したならば、追いつくことは困難になる。


 奴に追いつくためには、こちらも逃げているだけでは駄目だ。


 ルーサーは物陰に隠れることを止め、宙を蹴って飛び出した。空はシロアリの群体に覆われている。だったら、とルーサーはさらに高度を落とした。

 

「——え、ちょっと泥棒さん!? 落ちてますっ、どんどん落ちてますよ!」

「違う。前に進んでるだけだ」


 燕のように低く、低く、地面を舐めるように飛翔する。

 当然シロアリはそれを追って来るが、構わずルーサーは、強盗の背を追うことだけに全神経を集中させる。今の奴の速度にならギリギリ追いつける。

 ガリガリと地面に孔が空く音が聞こえる。雨音はすぐ後ろまで迫っている。


「おじさん! もう、うんちがすぐ後ろまで来てるって! どっかに隠れないと!」

「ケツは気にするな、このまま突っ込む!」

「突っ込むってどこに! このままじゃあたしたちうんち塗れの孔だらけだよ!」

「もう駄目……! 死んじゃう……っ!」


 双子たちはルーサーの身体にしがみついて来る。ルーサーも彼女たちを抱き寄せ、しかしさらに加速する。奴との距離が徐々に縮まっていく。

 

 あと十数メートル、あと数メートル……。

 

 あと少しで、奴の背後に伸びた影に触れられるほどのところまで来た。だが、死の雨との距離も同様に縮まっていく。

 

 あと数メートル、あと一メートル、あと——。


「——D2D、ファントム・ダイブ……!」


 ルーサーがそう呟いた直後、時速六十キロの影がトプンと波打った。そして——、

 

 天から降り注いだ無数の鉄の棘が、三人の影を貫いた。 

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