授業参観日

Jack Torrance

第1話 暴虎馮河なママ

到頭この日がやって来た。


それは、授業参観日だ。


僕は、その事ばかり考えて昨晩はあまり眠れなかった。


去年の悪夢を思い出して…


『エルム街の悪夢』のように夢の中でフレディに惨殺された方がどれだけ楽だっただろうかと僕は去年の悪夢を回想した。


ママはトムトジェリーのプリントTシャツに毛羽だった黄土色のカーディガンを羽織ってスーパーの衣料品売り場で売っている安物の黒のナイロンパンツに足下はピンクのフリル付きソックスにアディダスのコピースニカーだった。


太っちょのママはナイロンパンツは勿論ウエストは伸縮するゴムの物しか履かなかった。


そもそも、ママにはウエストと言う名の括れは存在していなかったし寸胴と呼ぶに相応しい体形だった。


ミス寸胴と言う称号が与えられるコンテストが存在するのならばママは入賞は間違いなしだろう。


カーディガンの前の三つボタンは横に膨張して今にも引き千切れそうになっていた。


トムとジェリーも心なしか平べったい顔に引き延ばされていた。


おまけにパパのニコンの望遠カメラをストラップを掛けて首からぶら下げていた。


何処からどう見ても新進のおばさん素人カメラマンといった出で立ちだった。


そんなママが教室を所狭しと駆け回り売れっ子パパラッチよろしく!


僕の一挙手一投足をカシャカシャとピントの中に収めていく。


どうやら、僕はママにとって最高の被写体らしい。


僕はママのその地球外生物的振る舞いに耐え忍び身じろぎ一つせずにイースター島のモアイの石像のように固まっていた。


消し去りたい過去。


ヤンキースのレジー ジャクソンよろしく!


僕は、その消し去りたい過去を忘却の彼方にフルスイングで場外ホームランした。


我ながら良い打席だったと自分を誉めそやし気持ちの切り替えが出来た。


あれから1年。


授業参観日という悩ましい1日が訪れた。


睡眠不足の僕はCIA史上、過酷にして難航を極めるミッションを与えられた諜報員のような心境でその日の朝を迎えた。


朝食に出たスクランブルエッグとコーンブレッドを性悪刑務官に監視されながら胃袋に詰め込む囚人のようにそそくさと食べ終え僕は家を出ようとした。


今日の朝のママとパパはラヴラヴだ。


そう言えば、眠れなくて夜中にトイレに行った時にママとパパの寝室のベッドがギシギシと軋んでいたけどプロレスごっこでもしてたのかな?


「行ってきまーす」


ママとパパが玄関まで来て見送ってくれた。


「気を付けて行くんだぞ、ジョニー」


「また後でね、ジョニー」


ママがウインクしている。


僕は死神に見初められたような気分で急いで玄関を出た。


学校までの道すがら僕は気もそぞろに向かった。


1時間目と2時間目の記憶が曖昧だ。


僕は授業参観に割り当てられている理科の授業の事が気になって上の空だった。


僕は3時間目の歴史の授業を終えて去年の忌まわしいあの日が脳内に鮮明にフラッシュバックした。


ストレス。


緊張。


プレッシャー。


急激にはち切れんばかりに膨張してきた膀胱。


催してきた尿意とこみ上げてくる吐き気を解放するべくトイレに向かった。


僕は性的興奮から来す勃起とは別の勃起を悟られないように内股歩きで行った。


ジッパーを下ろし便器に向かって尿道から高圧洗浄機の如く迸るおしっこを見ていた。


余りの水圧で便器にひびが入るんじゃないかと思うくらい凄い勢いで飛び散っていた。


飛沫が飛び散ってズボンの股間の部分がおしっこでちょっと濡れた。


隣で用を足していた仲良しのチェイニーが横目でそれを見ながら言った。


「ワオー、ジョニー、お前のしょんべん真っ黄色ですんげえ勢いだな」


僕はジッパーを上げて股間に飛び散ったおしっこを掌で叩(はた)き、その汚れた手をズボンの後ろのポケットで拭って手を洗わずにトイレを出た。


幾分かの残尿感を残しつつチェイニーと戯れながら教室に戻った。


教室の引き戸を開けた瞬間、僕は頸椎を痛める勢いで二度見した。


ジャメヴュ!!!(未視感 実際はよく知っている事を初めてのように感じる事)


僕は眼を瞬(しばたた)かせて三度見した。


食肉加工工場で氷点下の冷凍庫に吊されたカチカチの子豚のように瞬間凝固した。


まるで液体窒素に漬けられでもしたかのように。


去年と全く同じ出で立ちだった。


ママがヒンドゥー教の女神カーリーのような佇まいで誇らしげな表情で仁王立ちしていた。


クラスメイトのママ達は花柄の可愛いらしいワンピースやカジュアルで格好良く決めたデニムのジーンズにロックミュージシャンのTシャツ。


それに人気ブランドのジャケットを羽織って粧し込んでいるのに…


なのに、なのに…


ぼ、僕のママときたら去年と何一つ変わらない出で立ちで澄ました顔で仁王立ちしている。


変わったところといえば少し太ったせいかカーディガンの三つボタンの一番下のボタンが引き千切れていて、トムとジェリーの顔の面積が心持ち大きくなって色褪せている事くらいだろうか。


きっと、このファッションがママの中ではイケていて一帳羅なんだろう。


そう言えば、僕はママのお洒落した姿を見た事が無い。


パパはこんなママの何処に惚れているんだろうという考えが滲み出る冷や汗と共に脳裏に過った。


パパのカメラも定位置のポジションで威風堂々とその座を占めている。


レンズはぎらつく光を眩く放っていた。


その光は妖しげで残忍な一つ目の悪鬼の佇まいを露見させていた。


僕は見なかった振りをして自分の席に戻ろうとした。


ママと目を合わさずに…


すると、ママの甲高い声が教室を劈いた。


「ジョニー、ジョニーーー」


ママが人差し指を立ててクイクイと動かしカモンの合図を送りながら微笑んでいる。


横の席のウォルト デチャントが肘で僕を小突きながら言った。


「ジョニー、ママが呼んでるぜ」


教室の中をクラスメイトとママ達のクスクスと笑う声がオーケストラの残響のように響いている。


僕は『デッドマン ウォーキング』でショーン ペンがブーツを履かせてもらえずにスリッパで死刑が執行される部屋に向かわされる時のように惨めな気持ちでママの下へ歩を進めた。


ママは周囲の目も気にせずに親指以外の指をソフトクリームを嘗めるようにベロベロとべろで湿らせテイル。


ママのべろがダイヤガラガラヘビの二股に分かれている舌に見えた。


そして、その湿らせた指で僕の寝癖した髪の毛を頭蓋骨が陥没しそうな圧でグイグイと撫で付けた。


何度も、何度も…


そして、人差し指をまた念入りにベロで湿らせて僕の目頭の目やにを拭った。


僕は毛穴と涙腺からママのばい菌に身体を浸食されて行く。


ママの臭)くさ)い唾の臭(にお)いが鼻を突く。


その臭気は半径100ヤードくらいの人達を殺傷出来るくらいの神経ガスのように僕は感じた。


「オッケー、ジョニー。あなた、世界一の男前になったわよ」


踵を返して席に戻ろうとしたらママが背中をポンと叩いて言った。


「頑張るのよ、ジョニー」


僕は自分の席に戻るまでの通路にグリーンマイルが敷かれているような幻覚を見た。


このままガス室に行ってもいいという気分だった。


失笑するクラスメイトとそのママ達。


席に座ると隣のデチャントが小声で言ってきた。


「ジョニー チェンバレンが改良に改良を重ねて開発したどんな寝癖でも一発で直る唾入り整髪料。その名も『ジョニー ザ キラー』今なら先着300名のお客様に3ドル55セントでご提供させていただきます」


僕は煮えくり返る怒りを抑制して表情一つ変えずに言った。


「ふーん、すごいね」


デチャントは肩透かしを喰らったような表情で目を逸らした。


すると、引き戸がガラガラと開いてコンラッド先生が入って来た。


教壇に立ち先生が言った。


「今日は、お母さん達がいらっしゃっているけどいつもと変わらないように元気良く勉強しましょう」


僕は心の奥底で叫んだ。


世界の中心で愛を叫ぶように…


あんた、来るのが5分遅いよと…


そして、4時間目の参観授業、理科の授業が静かに幕を開けた。


コンラッド先生が元素記号を黒板に書きながら言う。


「この元素記号は何を表しているのかな?解る人、手を挙げて」


クラスメイトのみんなが我先にと挙(こぞ)って手を挙げて行く。


PAが調整されたコンサートホールのように鋭いママの甲高い声が室内に鳴り響く。


「ジョニーーー、ママにいいとこ見せてちょうだいーーー」


クラスが爆笑に包まれる。


コンラッド先生は僕が手を挙げてないのにそれを無視して僕を指名してきた。


「ジョニー、お母さんにいいところを見せてあげなさい」


黒板に書かれた元素記号はHだった。


僕は仕方なく立ち上がって答えた。


「ヘリウムです」


コンラッド先生は笑いながら言った。


「ジョニー、残念。ママにいいところは見せられなかったね。正解は水素だよ」


カシャ、カシャ、カシャ、カシャ。


ママが僕の周辺に駆け寄って来て戦場カメラマンさながらの勢いでカメラのシャッターを様々なアングルから気前よく切っている。


僕にとってはまさしく戦場で修羅場と化していた。


僕は心の奥底で思った。


今日の授業が毒キノコや毒蛇、毒蜘蛛の事だったら僕はママにいいところを見せられたのに。


何故なら如何にして事故死に見せかけられるか僕は熱心に研究しているから。


その時には警察の鑑識を欺き完全犯罪を成し遂げる自信がある。


僕が将来ママに抱く事になるかもしれない殺意の事を考えて準備は万端だ。


デモ、もう一人の自分がそんなママを心底狂おしいまでに愛している事も重々承知している。


僕の悩ましい思春期は続く。


来年の授業参観日は仮病を使う事にしよう…


やっぱり、僕はママが好きなんだ。


最期の掃除で塵取りに取った塵と共にゴミ箱に今日の記憶も捨てて来た。


そして、瞑想しながら家路に就いた。


「只今、ママ。今日の晩ごはん何?」


キッチンからママの明るい声が聞こえる。


「ジョニー、今日はハンバーグよー」


僕はママやパパに感謝し普段の何気ない幸せを噛み締めながらキッチンに入って行った…

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授業参観日 Jack Torrance @John-D

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