10年越しの約束を果たさんと

紀伊航大

第1話 約束

「卒業おめでとうございます。」

盛大な拍手に見送られながら学校を後に。寂びれた校舎に別れを告げるように一礼して校門のそとに出る。卒業式というよりも運動会に相応しいほどに晴れ渡った空。雲ひとつない青空とまばゆい光を放つ太陽の共演は目に毒だ。日光を受けて胸元のネックレスがきらりと光る。シルバーの細いチェーン先にうすピンクのパズルピースが揺れ、私の想いを掻き立てる。


布団ををはねのけて起き上がる。見慣れた天井に頭が追いつかない。白黒のモノトーンカラーで統一されている自分の部屋だと気づくまでにしばらく時間を要した。汗で嫌な湿り具合になった寝巻。もう一度眠りにつこうと頭まで布団をかぶる。浮かんでくる映像をふりはらうように首を振る。必死の抵抗もむなしく寝付きの悪い私の頭は冴えわたり、意識はシャンとしていた。諦めてカーテンを開け、空気を入れ替える。閉め切っていた寝室にマンションの外の梅のかすかな匂いが鼻腔をくすぐる。壁にかかった1人暮らしのお祝でもらった時計の針は5時前を指していた。予定の起床時間まで1時間以上早い。大きく息をはきながらベッドに倒れ込み視界を両手で覆う。先ほど開けた窓からは私を急かすように春風が吹きこむ。乾燥した頬に一筋滴る、それは頬を伝いシーツに小さな水たまりをつくる。

アイロンをかける暇もなく皺のついたスーツに袖を通す。応急処置で皺を引っ張り直す。


もう慣れてしまった満員電車。田舎から上京したての頃は改札に止められていたことを思い出し小さく笑う。

作り笑いとともにデスクにつく。繁忙期でデスクの上に山積みになっている資料。それとは別にパソコンに届く修正依頼。色恋沙汰や浮いた話もなくバカ真面目にバカ正直に仕事だけに取り組んだ結果は女性社員としては異例のスピード出世だった。忙しさにかまけて休日はメイクすらしなかった。デパ地下コスメを嬉しそうに買い漁ったのはいつのことだっただろうか。おかげで山のようにある貯金。同世代の子は結婚・出産ラッシュだというのに。一度新卒の部下の男の子に

「あかね主任って結婚しないんですか。」

と尋ねられたことがあるがそれも記憶に古いので相当前なのだろう。オフィス内でひときわ大きい私の席には多くの部下が来る。一瞬たりとも気が抜けない。いや、そもそも普段であれば気を抜くことなどないのだ、普段でさえあるならば。目覚め最悪の今日。頭をよぎるのは今朝の夢のことばかり。滅多にしないタイプミスに部下の名前の呼び間違い、重要事項の伝え忘れなど数え出せばキリのないミスの数々。気のきく部下たちによって少し早く長いお昼休憩に入る。私の心内とは裏腹にあの日と変わらない晴れ模様。忙しなく動いている部下に後ろめたい気持ちが先行するがテラスに出るとその気持ちも薄れていく。久しぶりに気分転換にそとへ出ることにした。故郷の街並みとは180度違う都会の風景。オフィスから出てすぐのところには連日行列ができテレビや新聞で特集されるオシャレなカフェがいくつも並んでいる。だがいまの私が欲していたのは田舎の緑だらけののんびりとした空気感。唯一思い浮かんだ場所へと足をのばす。だだっぴろい公園が広がる市街地。地元民にもあまり知られていないお気に入りのスポット。少し奥にいったところには噴水があり小さな川のせせらぎも聞こえる。東京人のあくせくとした生活にまだ慣れず方言丸出しの喋り方で逃げるように上京してきた少女だったあの頃。体裁よく取り繕うこともできない、成人としての対応もできない、心を許せる友達もできない。できないだらけの現実の壁にぶち当たり、人目もはばからずに泣いた。今でもここに来るとその頃の私の影が見える。大人になるために私が捨てたものはすべてここにある気がする。この公園の名すら知らないのに。誰にも教えたことのない故郷と同じ名をつけた私のオアシス。


「新見あかね、ただいま戻りました。」

心からの笑顔とともにオフィスに帰りを告げる。

心機一転でデスクに向かい、今朝の倍の処理スピードで片っ端から案件を片付けていく。心なしか部下たちの私を見る目も柔和な笑顔に見える。端のデスクではぴょこぴょこと黒い短髪頭が揺れている。数年前までは新卒なんて呼ばれていたはずの彼もいよいよ自分の仕事を任されたらしい。私も頑張ろうと携帯の電源を切り、再びパソコンに視線を戻す。

「あかね部長、お先に失礼します。」

私と彼を除いた社員は手際よく仕事を片付けて帰宅した。私も帰ろうとパソコンを閉じて立ち上がる。夕焼けと昼間の青空のグラデーションを満足げに眺め、気分がいいので今日は久しぶりにハンバーグでも作ろうかと考えながら悩んでいる彼の後ろにまわる。彼のパソコンには来週に迫ったプレゼンの資料が乱雑に並んでいた。小さくため息をつきハンバーグは今度にしようと決め、荷物をデスクに置く。

「プレゼンは相手がわからなきゃ意味ないんだから資料を整頓して。あとここの意図がわかりにくい。もっと具体的な資料だして説明するの。それからこっちは…….」

やっと完成したプレゼン内容を見て太鼓判を押し、彼に帰るように促す。戸締りを確認してオフィスを2人で並んで出る。

「じゃあ、おつかれさま」

手を振って帰ろうとすると慌てた声がした。

「あ、あの。こんな時間までつきあわせてすみません。お礼に僕がご馳走するのでご飯に行きませんか。」

腕時計に目をおとすとまだ7時過ぎ。飲みに行くにはちょうどいい時間帯だ。

「いいよ、いこうか。でも私が上司だしおごりは遠慮します。」

そうと決まれば気分もいいので私が唯一知っているお店に連れて行こうと先頭に立って歩き出す。


「でさぁ、私が作った資料をね課長が会議で発表したのね。そしたらそれが社長賞取ったのよ。許せなくない。第一あれはぁ…」

「主任、飲みすぎですよ。たちの悪い酔っ払いじゃないですか。」

傍から見れば後輩の男の子に酔っぱらってくだを巻く上司とそれを介抱する優しい部下の最悪の図式の完成である。黄金色のビールをかっくらう。店内の照明が首元をきらりと光らせる。遂に意識が飛び始めた。当たり前である。序盤から飲んだこともないペースで飲み続けていたのだから。携帯で時間を見ようにも電源がつかない。故障かと思ったところで意識は途切れた。



あかね部長が寝てしまった。本当は今日、告白をするつもりだったのだが。こどものようにすやすやと寝ている横顔は、それはそれは美しかった。部長の携帯を拝借し、電源を入れると大量の不在着信。なにも分からない僕はとりあえず履歴の一番上の人物に電話をかけた。



10年ぶりに愛しい女のもとへとはるばる来た。

愛車をかっ飛ばしているのにはワケがある。重大なワケが。あれから10年。もうあいつは覚えていないかもしれない。やっと俺にも甲斐性と覚悟が出来た。この10年の間一度も連絡をよこさなかった男のことなんて眼中にもないだろう。あいつの母親にもきいてみたがつながらないと言われてしまった。為す術なく近くの店でコーヒーを飲んでいたところに入った一本の着信。コンマ何秒の速度で電話に出るも聞こえたのは知らない男の声だった。

店の名前だけ何度も尋ね、メモする。幸いにもここから15分程のところだった。息をきらし飛び込んだ。目の前の光景に唖然とする。大の男の前で愛しい女が眠っているのだ。抱き上げようとする男に

「触るな、俺がやる。」

とドスのきいた声で圧をかけ食事代を握らせて会計をすまして帰るように言った。突然現れた不躾の男の登場にたじろいだものの丁寧に礼をいう男はいいヤツなんだろうなと俺は思ったがこれだけは、いやあいつのことだけは譲れない。お姫様だっこで車に乗せる。ふわふわとした柔らかい感触は俺の理性を壊しにかかる。ペットボトルの水を無理やり飲ませるとうつろだった目が戻った。そして俺を二度見する。口元に手をあてて呟く姿は天使以外の何者でもなかった。

「はやとっ。」

腰に衝撃が来る。抱きつかれたとわかると余裕ぶって頭をなでてやる。

「ひさしぶりだな、あかね。少し話さないか。」

「じゃあこの先の公園いこ。」

あかねにナビ係をしてもらうが酔っ払いの言うことなんて当てにならないなと苦笑した。同じところをぐるぐると20分まわった挙句道が間違っていたのだから。ふらふらと足元のおぼつかないあかねはみていてこっちが心配になる。それでもどんどん奥へと進んでいく。

噴水が視界の端に映ったころあかねがいきなり振り向く。俺は情けないことにそのまま押し倒される。

「10年もなにやってんのよ、バカ。」

温かいモノが俺の服におちる。月明かりで照らされた彼女の胸元が光った。俺は正気を取り戻して立ち上がる、あかねも一緒に。

「それ、ネックレスっ。まだつけてたのか。もしかして俺を待っててくれたのか。」

こくりと頷くあかね。

ここで決めなきゃ漢じゃねぇと覚悟を決める。何度もシュミレーションした。片膝をつけてポケットにしまっていたちいさな箱をあかねに見えるように開く。

「約束の10年、待っててくれてありがとう。幸せにするから。

俺と結婚してください」

泣き崩れるあかね。その直後

「はい。

10年も待ったんだから、約束よ。幸せにしてね。」

暗い公園には俺たちのシルエットだけがあった、重なり合った。



次の日やはり二日酔いで、一緒に飲みに行った彼からは昨日のことについて根ほり葉ほり聞かれた。最後のに微笑んでおめでとうございますと言われて遅れて照れた。顔真っ赤ですよと部下たち全員に突っ込まれ、結局社内の噂になってしまった。

「ただいま。」

家に帰ると愛しい人がいた。私は、はやとの胸に飛びこんだ。よろけて頭を押さえるはやとがかわいい。


そんな2人の首にはお揃いのネックレスが、手にはお揃いの指輪が光っていた。

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