エピローグ ~一枚の写真

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ふたりは結ばれ、宝物はついにひとつに。

そのきっかけとなった一枚の写真とは……。


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「ただいま」

 クロエは自宅のドアをあけ、軽快な足取りでリビングへ向かった。ここはマンハッタンのアッパーイーストサイド。リビングルームの大きな窓からは、セントラルパークの深い緑を見下ろすことができる。

 ダレルはソファーにゆったりと腰かけて、コーヒーを飲んでいた。ステレオからはベートーベンの弦楽四重奏曲が静かな音で流れている。

 ダレルがカップをソーサーに戻し、にっこりと微笑んだ。「おかえり。ずいぶん遅かったね」

 クロエがダレルの肩に腕を回し、ふたりは軽くキスをした。「帰りにリッツァのアパートに寄ったのよ」

「そうか。元気だった?」

「来月からいよいよコロンビア大学の学生になれることに、すごく興奮してたわ。部屋もとても快適そうで、気に入ってるみたい。あなたのおかげよ、ありがとう」

「どういたしまして。きみのデザイン専門学校のほうはどうだった?」

「とても自由な雰囲気で、楽しいわ! 新しいアイデアがどんどん湧いてきそう」

「それは頼もしいね。アンティーク家具の仕入れのほうにも、そのアイデアを生かしてほしいな」

「もちろんよ」

 クロエはキッチンのカウンターで自分のコーヒーを注いでから、ダレルのとなりに腰かけた。

「ところで、招待客のリストなんだけど、こんな感じでいいかな?」ダレルが、ずらりと名前が列挙された紙の束を渡した。

 クロエはそれを受け取り、ざっと目を通してから声をあげた。「まあ、いったい何人招待するつもりなの? 五百人?」

「そこまではいかないよ。三百五十人くらいかな」

「そんなにおおぜい……。緊張で口もきけなくなりそうよ」

 ふたりは四週間後に、ヒルトンホテルで結婚披露パーティーを開くことになっていた。結婚式は、ニューヨークに引っ越してくる前にサフォロス島の教会ですでにすませた。出会ってからちょうど一年めの、八月のまぶしい光が降り注ぐ日だった。アメリカからはダレルの両親だけを呼び、叔母夫婦と従妹、地元の友人たちに囲まれたこぢんまりした式だった。

 クロエにとってはそれだけでじゅうぶんすぎるほどだったが、ダレルはニューヨークの友人や取引先にも花嫁をお披露目したいと言い張った。

「だいじょうぶ。きみのウェディングドレス姿に、みんなのほうこそ口がきけなくなるさ」

 ダレルが優しくクロエの髪を撫で、とろけるような口づけをした。

「ウェディングドレスはもう着たのに」

「ぼくに言わせれば、きみのウェディングドレス姿は何度見ても見飽きることはないよ。神々しいほど美しいぼくの花嫁を、みんなに自慢したいんだ。いいだろう?」

 クロエは頬を染めてダレルに微笑みかけてから、ヴィクトリア朝の飾り棚のほうに目を向けた。そこには結婚式の写真が置いてあった。真っ青な空、紺碧こんぺきの海、白い教会。それよりも白く輝くドレスをまとったクロエと、優しく寄り添うりりしいタキシード姿のダレル。

 クロエのまなざしに気づいたダレルが言った。「島が恋しい?」

 クロエはダレルの肩に頭をもたせかけて答えた。「今は、あなたとの新しい生活のことだけで頭がいっぱいよ。店も従妹のドリスがしっかりと引き継いでくれたし、なんの心配もしていないわ」

「春になったら、またみんなで里帰りしよう」ダレルが優しくささやき、クロエの背中に腕を回した。

 ふたりはしばらく黙って、飾り棚の上を見つめた。写真の横には、あの特別なイースターエッグが置かれていた。真珠色のなめらかな表面に、色とりどりのルビーやサファイアがきらめいている。そしてその横では、〝卵〟の外に出された天使が、夢見るような表情で微笑んでいた。天使のかかえた時計が、ゆっくりと時を刻む。

「そうだ、いいものを見せてあげよう」ダレルが立ち上がって、飾り棚の引き出しから一枚の写真を出し、クロエに手渡した。

 色あせたセピア色の写真には、十人くらいの正装した人々が並んで写っていた。中央の男女は頭に王冠をのせている。

「これは……」

「ギリシャ国王の晩餐会で撮られた写真だよ。裏を見てごらん」

 クロエが写真を裏返すと、そこには流れるような書体でこう記されていた。

〝国王の晩餐会。となりにクリスティアナ。一九二一年四月〟

「曾お祖母さまが写っているの? どこ?」

「左端のこの男性が、ぼくの曾祖父フレデリック。そのとなりのこの女性が、きみの曾お祖母さん、クリスティアナだよ」

 優しいまなざしをした背の高いハンサムな男性のとなりに、黒いドレスをまとった若い女性が写っていた。かすかに顔をうつむけ、柔らかな笑みを浮かべている。

「信じられない……ふたりが並んでいる写真があったなんて……」クロエはしばらくじっと写真を見つめていた。

 ダレルが穏やかな声で言った。「美しい女性だ。きみは驚くほど曾お祖母さんによく似ている」

 クロエは顔を上げて、ダレルをまじまじと眺めた。「あなたこそ、曾お祖父さまにそっくりだわ。なんだか怖いくらいよ」

「じつは、これが父を説得するための切り札になったんだよ」

「どういうこと?」クロエはきょとんとした。

 あのあと、クロエとダレルの父とのあいだのわだかまりはすっかり解けて、今ではすっかりお気に入りの〝娘〟としてかわいがってもらっている。

「父が曾祖父の遺品を整理していたら、この写真が出てきたんだ。これを見て、フレデリックがぼくにそっくりなことに驚いたらしい。クリスティアナがきみにそっくりなことにもね」ダレルが愉快そうに言った。「それが〝卵〟についての考えを改めるきっかけになったのさ。きみに返して、天使像とひとつにするのが、曾祖父の望みをかなえるいちばんの方法じゃないかと」

「そうだったの」クロエは、人生の不思議をしみじみと感じながら言った。

「美術館との契約を破棄するのに少し手間取ったけどね。つまり、きみと結婚できたのはフレデリックとクリスティアナのおかげということになるかもしれないな」

 クロエはふっと笑って答えた。「曾お祖父さまと曾お祖母さまに感謝しなくてはね」

「そうだな」

 ふたりは肩を寄せ合って写真をじっと見つめてから、そっと口づけを交わした。


― 完 ―


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【漫画原作】永遠の時をいだく天使 ― An Angel with the Clock of Eternity ― スイートミモザブックス @Sweetmimosabooks_1

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